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浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

内田樹『昭和のエートス』(バジリコ)

2011-11-19 20:51:46 | 日記
 図書館でふと借りた本である。内田の本は、とにかくどんどん読ませる。ふむふむ・・・、なるほど・・・・と読んでいくのだが、しかし読み終えてしばらく経つとどんなことが書かれていたのかほとんど記憶にないのだ。

 今日『昭和のエートス』を読み終えて、そうか内田は教養主義的な啓蒙的な文を書いているのだと思い当たった。読む際に大脳を駆使しなければならないような本もあるのだろうが、それは知らない。

 内田の言うことは、ほとんど正しい。納得しながら読むことが出来る。だがその先がない。この本に「人の知的な深みは、その人が抱え込んだ葛藤の深さと相関する」(26)とあった。つまり内田の本を読んでいても、葛藤が生じないのである。

 おそらく私が内田とほぼ同時代を生きてきたこと、問題意識に於いてそんなに変わらないからだと思う。

 しかし時になるほど!という指摘に出会うことがある。同じようなことは考えているのだが、その考えてることを的確に表現しているのだ。安倍晋三という人物が「戦後レジームからの脱却」を訴えていた。それについて「「戦後レジームからの脱却」というのは言い換えれば敗戦を「断絶」として受け容れることを拒否するということである」(30)と内田は書く。その通りだと思う。しかしこういう簡潔な表現はしてこなかった。

 長いのでここでは引用しないが、84~5頁に記された神についての議論、なるほどそういうように考えるのかと、ここではじめて印象的な葛藤を得た。でもレヴィナスの論理なら、神はやはりいなくてもよい、ということになる。

 最近の若者の労働の仕方についての議論も参考になる。「バイト労働に慣れた若者には「ジョブ・デスクリプション」に規定された以外の労働をする理由がわからない」(121)そうか、若者がやるアルバイトの仕事の内容は、「誰でもできるマニュアル化された労働」で、その「互換性の高さ」により評価され、「余人をもって」自由に変えられるところにある(120)。与えられた仕事だけをやり、それ以上、それ以下の仕事をしない。そういうディシプリンを受けた人びとが労働現場に入ってくると、「与えられた仕事」しかしない、のである。

 教育や学校について書かれていることも、ほぼ同意出来る。

 私は、高等学校に選択科目が存在するが、そんなものはなくせばよいと思ってきた。芸術科目はそれぞれ内容が明確であるから選択でよいが、私が受けてきた教育のように、とにかくすべてを学ぶということが最善であるということだ。物理も化学も生物も地学も学ぶ、日本史、世界史、倫社、政経、地理・・・とにかくすべてを学ぶのだ。そしてそれを学ぶ意味は問う必要はない。教養として、森羅万象を理解する前提として、知っておいた方がよいものはすべて学ぶのである。

 学校教育に「消費者」という概念が入り込んできてから、学校はおかしくなってきた。市場原理とは、まったくなじまないのである。

 しかし、日本政府は、アメリカ的な思考を執拗に導入してくる。まさに「属国」としての面目躍如である。

 この本、教養を得るための導入として読んでも良いのではないかと思った。


棄民

2011-11-19 11:09:30 | 日記
 国家は、市民社会に基礎づけられているけれども、市民社会の動向に規定されているわけではない。国家は国家自体の 論理をもって、自己の存続のために行動する。国家は、基礎にある市民社会に敵対することでも平気でやる。その敵対が どうしようもなくなったとき、おそらく革命が起きる。

 だが市民社会が、自らと敵対的な行動をしている国家の動静に無関心でいるとき、革命は起きず、知らぬうちに市民社 会は崩壊の一途をたどる。もちろんその場合、市民社会全体を崩壊させれば、国家はその足場を失うわけであるから、国 家は市民社会全体を崩壊させるわけではない。

 国家にとってもう必要ないと判断された市民社会の構成員を、国家は無慈悲にも棄てる。歴史的に振り返れば、そうい うことはいくつでもさがすことが出来る。満洲移民がそうだ。また鎌田慧が数多くの著作で、戦後のそういう事例を詳細 に報告している。

 さてここで紹介するのは、炭鉱労働者である。日本国家がエネルギー政策を大きく石炭から石油へと転換する際、多くの炭鉱労働者が棄てられた。

 炭鉱労働者については、上野英信の『地の底の笑いの話』(岩波新書)が有名で、今も版を重ねている。また最近ユネスコの世界記憶遺産にされた山本作兵衛の絵画がある。


 さて、山本も上野も、九州の炭鉱労働者住宅で知己の間柄であった。

 昨年上野の子息・上野朱(あかし)の『父を焼く 上野英信と筑豊』(岩波書店)が刊行された。上野英信その人とその周囲にいた人々との暖かな交流、そして上野亡き後の自分自身をえがいたものだ。さすがに父に似て良い文章である。文に情感がある。

 私は上野が編集した『写真万葉集・筑豊』を数冊持っている。それにはエネルギー政策の転換で消えていった九州筑豊炭鉱の写真がたくさん掲載されている。ボタ山も映っている。

 その本にはボク宛の上野英信のサインがある。友人の新聞記者S氏が上野氏を訪ねたとき、ボクのことを説明してサインをもらってきたのだ。

 今までに国家が行ってきた棄民政策を振り返ると、そのありさまは非情と言うしかない。その非情さは、上野のような記録者がいてこそ明らかにされる。幾重にも折り重なる歴史の重さのなかに埋められるわけにはいかないのだ。国家というものの本質を明確にすべく、棄民とされたひとりひとりの顔をいつでも浮き彫りにすることができるようにしておかなければならないのだ。

 今私はいくつもの記録すべきものを抱えている。その一つは、「平成の大合併」で棄民とされつつある山間僻地の住民達だ。おそらくTPPにより、その棄民政策はさらに促進されるだろう。