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hakuunの未来ノート

将来のため、人生やビジネスに関して、考えたこと、感じたことを綴ります。

価値観と基礎造り

2013-09-13 | 人生観

昨日、TVを見ていたら、綾小路きみまろさんとローラさんと、2人で食べ歩きをしていた。

きみまろさんの軽快なトークと、ローラさんのボケ(?)のやり取りが面白く見入っていた。

番組最後で、きみまろさんが「今の若い人と付き合うのは大変、価値観が違う。加藤茶さんが40歳以上若い嫁さんをもらったが大変だと思う」としんみり言っていたのが印象的だった。

 

10年一昔と言うが、世代間の価値観の差は、どの時代でもある。

10歳、20歳と違えば、考え方も違うし、経験も異なる。

そうなれば、人生観や価値観ま全く違うと言っても良いだろう。

 

TVであれば、ギャップは面白いかもしれない。

しかし、これが就職活動や仕事であればどうであろうか?

面白いと言っているわけには、いかない。

そのギャップをどのようにして埋めるかである。

若者と大人の双方の努力で、このギャップを埋めるしかないだろう。

 

就職に関して、今の若い人の価値観は大きく異なっている。

一昔は、「医者になりたい、エンジニアになりたい、学校の先生になりたい」というのが一般的であった。また、どの国においても、このような答えが返ってくる。

あるデータによると「将来の希望は、フリーターになりたい」というのがあったそうだ。

このコメントには愕然とする。

確かに雇用面では、非正規労働者が約3割をしめ、就業状況は厳しい。

一方で、正社員として就職している人もいる、この事実を忘れてはならない。

フリーター180万人の全員が「フリーターになりたい」と希望しているとは思わない。

 

ニート60万人、フリーター180万人、この数字は極めて異常だと思う。

国も、様々な政策を打ち立て、小学校・中学校から「働く意義」を教育していくという。

国や学校で教えることも大切であるが、まずは家庭教育である。

 

最初の教育は、お父さん、お母さんである。

両親が家庭で、子供に対して、「働くこと」に対して、どのような話をしているのだろうか?

仕事もスポーツも考え方も、基礎や基本は大切である。

「砂上の楼閣」という言葉がある。

ぜひ、「働くこと」に対する基礎造りは、しっかり行うかどうかで、その後の人生に大きな影響を及ぼすことだと思う。

また、子供の幸せを願うのであれば、親が自分自身の背中で教えてほしい、行動で教えてほしい、と改めて思う次第である。

 


才教学園

2013-08-28 | 人生観

「才教学園」とは、今新聞紙上を取り上げられている長野県松本市にある小・中一貫教育を行っている学校である。

教職員の配置の違法性があったということである。

http://www.shinmai.co.jp/news/20130828/KT130827FTI090029000.php

どうして、こうなったか分からないが、早く解決して、ステップアップしてほしいと思う。

 

実は、最近、この才教学園に注目をしていた。

それも良い意味である。

 

月刊誌「致知」2013年9月号に特集として「心の持ち方」という記事があり、「教育こそ日本の未来をひらく」というタイトルで、才教学園の山田理事長と名学館グループの佐藤代表が対談している。

 

この学園は、志教育に力点をおいた新しい学校であり、勉強と人格教育の両輪によって子供たちの学力、人間性において顕著な成果を見せている。

全国各地から見学者も多く、注目の学校である。

 

今はホームページが閉ざされているが、その内容は素晴らしいものであった。

http://www.saikyo-gakuen.ac.jp/

ホームページは、学校の広報であるから、良い記事しか書かないが、中学1年生か2年生で英語検定1級や準1級に合格した記事など読むと、学力的にもかなりレベルが高いと思う。

 

実は、この月刊誌「致知」の記事を読むまでその存在を知らなかった。

以下、その記事からコメントを引用したい。

「山田理事長は、教育の志を貫いて、子供のために一途になり、自ら学校を立ち上げた人」

 

「小手先の教育改革では最早どうしようもない。

根本から人を育てる、国をつくる人材を育成するという視点に立脚し直さなくては、日本の未来は暗澹たるものになる。

私は本気で人を育てる教育が今こそ必要だ」

 

「才教学園小中学校は平成17年4月に開校しましたが、実は開校の20年前から自分の理想とする学校を創りたいと思い続けていました。

その背景には常に、日本の教育はこのままではいけないという強い思いがあります」

 

この才教学園は、長野県松本市の郊外にある。

私も昔、松本市に住んでいたことがあるが、このような地で学校経営をするなど考えることができない、というのが感想である。

ビジネス面からみれば、通常東京をはじめ大都会で成り立つものである。

「小・中一貫教育」というより、「中・高一貫教育」としたほうが、人も集まり、経営も楽になる。

しかし、この山田理事長は「小・中一貫教育」を選択し、人材教育に人生をかけている。

頭が下がる思いである。

 

「才教学園は、“世のため人のために尽くす高い志を持った人を育てる“ことを目的に創った学校で、この理念がすべての基本です」

 

「戦後の教育で、自由主義、個人主義を取り入れ、その結果として、利己主義が蔓延して“自分さえよければよい”という意識が大人にも子供にも根付いている」

 

「教育は国の根幹をなすものである。

このまま道徳観、倫理観なき教育をしていたら、優れた人格を備えた人材は生まれません。

その流れを食い止め、正しい道に向かわなければならない。そのための学校が才教学園です」

 

この山田理事長の日本を思う篤き心、子供たちを思うその志には、心が打たれる。

損得勘定でいったら、このような理念は生まれない。

社会の善悪を基準にしてはじめて生まれるものである。

 

今回の事件は、どのような結末になるかわからないが、「ピンチはチャンス」として頑張ってほしい。

 


思考の三原則

2013-07-30 | 人生観

安岡師は、昭和の代表する思想家の一人である。

名前は、以前から知っていたが、師の本を読む機会はなかった。

今回、論語を読むにしたがって、師の名前に触れることが多く、偉大さが見えてきた。

そこで、「運命を創る」という人間学講話という本を購入した。

 

「明治・大正・昭和三代の盛衰」という章の中で、「思考の三原則」ということを書かれている。

その1 目先にとらわれないで、できるだけ長い目で観察すること

その2 一面にとらわれずにできるだけ多面的に、できるならば全面的にも考察すること

その3 枝葉末節にとらわれないで、できるだけ根本的に観察すること

 

逆に言えば、ものごとを目先の結果だけにとらわれたり、ある一面だけ見てものごとを判断したり、根本的なことを考えずに、枝葉末節にこだわったりすると、結論が反対になることもある、といっている。

特に時局の問題などは特にそうなるので、できるだけ長い目で、できるだけ多面的に、できれば全面的かつ根本的にみなければ、決して正しい考察は成り立たない、と言っている。

 

企業経営など、特に「思考の三原則」が当てはまる。

目先の利益だけ追及している会社は、外部環境の変化に流されており、その浮き沈みは激しい。

赤字になる原因も様々な要因が重なっている。

その絡まった糸を、一本一本手で丁寧にほぐしていく必要がある。

これをいい加減すると、また糸は絡み、赤字となる。

糸が絡む根本原因を突き止めないで、表面的な処理だけをやっている企業は、自分の力で利益を生み出すことができない。

逆に言えば、外部の環境変化は、当たり前であるから、その環境変化に柔軟に対応し、さらに独自の努力で利益を生み出す仕組みを作ることである。

どのような仕組みを創れば、利益が出るか、根本的に考える必要がある。

自社になければ、成功事例を研究すれば、解決のヒントが見えてくる。

 

概念化や科学的知識体系などを、バカにする経営者が多々いる。

そのような人は、「何事も経験である」といい、一般化された理論を否定する。

しかし、「一般化された理論」とは、成功事例の共通点を集めたものであり、概念化したものである。でるから「一般化された理論」をどのように自社に加工して当てはめるかということである。このプロセスを行うことで、「活きた理論」となる。

このプロセスの精度を上げることで、企業の未来が見えてくる。

 

やはり、安岡師が言われるように、できるだけ長い目で、枝葉末節にとらわれずに多面にモノをみて、根本的に思考することが重要である、ということがわかる。

 

 


サラリーマン社会の特徴

2013-07-16 | 人生観

今、キャリアコンサルタントの勉強をしている。

統計によると、労働人口の85%が通称「サラリーマン」と呼ばれる人である。

昭和20年では、その割合は30%で、残りの70%が農業や商店での仕事であった。

戦後の経済発展に伴い、第一次産業の人口が減り、第二次・大三次産業に移行している。

このデータについて、過去において様々な切り口から分析・検討している。

 

今回は、キャリアコンサルタントの切り口から、考えてみたい。

私の小さい時には、今のスーパーマーケットなどなく、八百屋さん、酒屋さん、魚屋さんなどの商店がどの町にもあった。

八百屋さんであれば、長野のリンゴ、和歌山のみかん、山梨のブドウ、茨城の白菜など全国各地の旬の野菜や果物を、卸から仕入れていた。

それに対して、利益を上乗せして、我々消費者に売っていた。

さらに、季節ごとに、仕入れ野菜や果物の種類、天候に応じてお店に置く量も日々変化していた。

また、必要に応じて、お店の模様替えもするし、商店街のイベントにも参加する。

それこそ、八百屋さんの旦那さんは、蝶の目と虫の目を使い分けて、商売を行っていた。

当然、八百屋さんの子供は、小さい時から両親の姿を見て育っている。

仕入先との付き合いやお客様に対する接し方なども、肌で感じていた。

酒屋さんの子供も、魚屋さんの子供も同じである。

多くの子供は、「働くこと」に対して、小さい時からある意味、教育されてきた。

 

サラリーマンの子供はどうであろうか?

父親は、早くから家を出て夜遅く帰ってくる。

当然、会社では様々な仕事をしているいるが、家にいる子供には、父親が働いている姿を見ることができない。

そのために、商店の子供のように、家で「働くこと」に対して、肌で感じることができない。

結果として「働くこと」に関して接することができない。

そのために、「職業観」と言うモノが芽生えていない。

特に、サラリーマン2世などは、その傾向が強い。

このことは、容易に想定される。

であるから、高校生、大学生になっても、仕事観の無い若者が出来てしまう。

そのために、今では小学校・中学校から「働くこと」についての教育指導も行っているという。

学校の先生は、いかに大変かが、わかる。

 

では、サラリーマン社会はどうであろうか?

第一に、「競争社会」である。企業は利益を上げることは最低条件であるし、最大の目標にしている企業も多々ある。

そのために、企業間競争は当然のこと、部門間競争や従業員同士の競争も生じている。

となれば、お互いに協力することも無いし、思いやりの心も育ちにくい。

一方、個人商店は、上記に示したように他の商店や地域と協働でイベント等を行うので、協調性は当然芽生えてくる。

 

第二に、組織は分業体制である。

企業は、営業、工事、購買、総務、経理、等々の部門い分かれて、その一部門で仕事をしている。そのために、会社全体を見る視点が育たない。

一方で、個人商店はすべて一人でやっている。常に全体を視ながら部分を視ている。

 

第三に、業務の標準化である。

企業が効率化を目指すために、業務の平準化、標準化を行う。

外食産業Mなどのマニュアルなどはその顕著な例である。

そのため、独創性や個性などは、なかなか育ちにくい。

 

第四に、企業は階層構造である。

常に、上司が権限を握っており、下位の者は上司の指示で動いている。

その結果、指示待ち人間が多くなり、自分で考えて行動する土壌は育ちにくい。

 

第五に、企業は集団で業務を行う。

多くの部署では、課長や部長を長として、業務に励んでいる。

個人評価もあるが、多くの場合、部門として、評価される。

このような集団主義的な運営では、独創的な発想は育ちにくい。

 

サラリーマン社会について、極端に書いているかもしれない。

しかし、多かれ少なかれ、どの企業にも当てはまることと思う。

 

その結果、どうなるか、ということである。

自分のキャリア形成について、考える環境が無いし、またその素養も育っていない。

企業にいる間は良いであろう。

しかし、いつかは、卒業する。

卒業すれば、個人商店の親父になるのである。

そのとき、困るのは本人である。

人生80年、90年時代である。

長い人生を考えると、早い段階から、人生設計を考えた方が良い。

いつかは、「卒業」するのである。

「キャリア形成」について考えなければならない時期が必ず来る。

卒業間じかになって、準備をしても遅いと思う。

準備を早い段階から行うことで、結果的に本人の幸せにつながるだろう。

 

 


論語

2013-07-09 | 人生観

今月から、論語の勉強を始めた。

論語を読み始めると、心に響き、乾いた砂に水滴をたらしたようにどんどん吸収されていく。

論語は、約2500年前の孔子様の教えである。

人間としてどうあるべきか、という基本を教えてくれる。

人間としてどのように生きるべきか、という道徳観である。

まだ、良し悪しがわからない子供にとって、人間としての基礎づくりは大切である。

今のいじめなどは、人間の価値観ができていないことが、大きな原因だと思う。

 

今、子供たちに、人間観・道徳観を教えるのは誰なのか、疑問である。

 

親なのか?

学校なのか?

それとも自分で学ぶのか?

 

戦前は、「道徳」や「修練」として基本的な人間教育をしてきた。

しかし、戦後、戦前の良いところも全て否定したため、道徳観が育たなくなったと思う。

 

「道徳観は自分で学ぶもの」ということを言う人間もいるようだが、

ものごとの良し悪しが分からない子供にどのように学べ、というのだろうか?

そこは大人の責任で、しっかり教えるべきである。

英語教育を行うことも良いが、その前にやるべきことがあるはずだ。

今の学校教育は、受験のための勉強だけで、人間形成に関するものがなおざりになっているような気がする。

道徳教育もしかり。

国語力もしかり。

 

様々な主義主張を唱える人がいることは知っている。

その多くは、自分の権利を主張しているだけであり、子供に対する思いやりは感じられない。

教育の基本は、自己犠牲を強いても、将来の日本を背負う若者を健全に育てることであろう。

それが、思いやりであり、子供に対する愛である。

 

論語には、この思いやりについて、様々な切り口から書かれている。

 

論語は、2500年もの間、時代が変わっても受け継がれてきている。

2500年間、どの時代においても受け入れられてきたということは、

ものごとの真理として考えてよい。