昨日に続いて、酒井禅師の言葉を引用する。
酒井禅師は、「死」に対して、分かりやすい言葉で説いている。
「この世に命を授かりもうして」からその一部を抜粋する。
「死」はなぜ怖いのか?
死ぬことに対して、目的をこしらえていないから、怖いような気がするんだよ、
と酒井禅師は言っている。
「死んだら極楽に行ける」と思っていれば楽に死ねる。
ただ、自分は確実に極楽に行けるほど善い行いをしているとは言えない、
地獄に堕ちないかどうか不安である。
その場合、閻魔さんのところで審判を受けるわけだ。
その際、閻魔さんに提出するのが「人生の卒業論文」である。
人生とは、閻魔さんのところに持っていくその「卒業論文」を書くこと、
と考えたらいい。
そう考えると、人生の目的がはっきりする。
どう生きたらいいのか、
死ぬ時までに自分の人生をどのようなものにしたいか、
見えてくる。
閻魔さんがそれを見て選別する。
非常にユニークな考え方であるが、分かりやすいし、納得のいく表現である。
「死」という人生最大のテーマをこれほど優しく説いていることに驚かされる。
であるならば、閻魔さんに評価してもらえるように、
毎日、毎日、コツコツと論文を書くことである。
毎日、目的を持って「一日一生」のつもりで過ごすことである。
ここで、ある点とある点が結びついた。
それは、「死」という点と「PDCA」という点である。
「死」という点は、酒井禅師の「人生の卒業論文」である。
一方、「PDCA」という点は、人のために役立つという大きな目的のために、
毎日の目標を定めて「PDCA」(計画・実行・評価・改善)を回すことである。
この「PDCA」は私の得意分野である。
今まで、PDCAは論理的にかつ効率的に業務を行う手段と考えていた。
この「PDCA」が「人生の卒業論文」を書く手段であることに気づいたことは、
私にとって大きな成果であった。
毎日、毎日、目標を定めてPDCAを回すことが人生の目的であり、
その集大成が「人生の卒業論文」ということになる。
将来、閻魔さんがそれをどう評価するか楽しみである。
このように考えると、人生の終末に向け、
「人生の卒業論文」を書くことは、楽しみとなる。