白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

「守、破、離」

2006-11-06 00:45:05 | Weblog
元サマナの方からこのようなメールをいただいた。

『 日本 の武道や伝統芸能でよく言われることだそうです。

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「守」の段階では師匠の教えを真剣に学び、その通りに稽古を積む。

「破」の段階ではその教えとあえて違うことをやってみる。

「離」の段階では、「守」にも「破」にもとらわれない境地に至る。

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 この「守・破・離」は現在の教団にそのままあてはまります。

「グルがいたときの教え・実践の伝統を守り続けるべき」というのが「守」のA派・原理主義派です。

「もうグルは教団にいない。状況の変化に応じて教え・実践は変化させるべきである。そして情報は公開すべきである」と旧団体の伝統を破ったのが「破」のM派・社会融和派です。

「もう教団にいるべきではない。教団から離れ、一般社会の中で修行すべきである」というのが「離」の社会復帰派です。

 このように見ると、この3つの考え方は相反するものというより、段階的なもの、一つの大きな流れだと思います。

 ですから上祐代表がグルの教材を放棄し教団から離れるというのも「離」の
段階であると見ることもできます。 』

 確かに、上祐氏ほどのステージにあれば、「離」の段階に進んだと言えるのかもしれないが、それぞれ悟っていない者の、意識はさまざまであろう。そのため、若干の不協和音が起きているのかもしれない。

 ネットで禅の話を読んでいたら、面白い話があったので、転載させていただいた。先ほどの、「守、破、離」の話にもどこか通づるものがあるような気がする。


『 中国の荘子の「言葉を忘れている人」というエピソードだそうだ。 

仕掛けの目的は魚を捕らえること 魚がつかまったら仕掛けはわすれられる
言葉の目的は意を伝えること 意が伝わったら言葉は忘れられる

言葉を忘れている人にどこで会えるだろう?
その人こそ 私の話したい相手だ。 』

『 仏陀はよくこんな話をしたそうです。

 雨期の河を渡ろうとしていた人たちがいました。河は洪水であふれて、とても危険な状態でした。しかし彼らには舟があったために、無事渡りきることができました。そして彼らはこう考えたのです。
 「この舟は私たちを救ってくれた。命の恩人だ。それをどうして捨て置けようか。これを置き去りにするのは恩知らずのやることだ。」
 そこで彼らはその舟を頭上に担いで歩いていったのです。
 街にはいると人が尋ねます。
 「何をやっているんですか?舟を頭に乗せて歩く人など見たことがないが。」
 彼らは言いました。
 「この舟は洪水で流されるところだった私たちを助けてくれたのですよ。命の恩人なのです。私たちは恩知らずにはなれませんから、こうして一生この舟を担がなければならないのです。」 』


* これは、教祖の説法でも、河を渡った後の筏は、もう持ち歩く必要が無いという話があったことをご記憶の方もいらっしゃるだろう。また、続けて、このような話もあった。


『 仏陀が死んだ直後の弟子達の美しい話があります。

 覚者の死、それは突然です。誰も予想できません。なぜなら、覚者達の死ぬ時を決めるのは彼ら自身だからです。
 仏陀の死もそうでした。弟子達は面くらいました。誰も仏陀の言葉を記録してなかったからです。これでは後世にあの偉大な言行が伝わりません。
 そこで、十大弟子をはじめ、悟りを開いた弟子達500人が寄り集まって仏陀の言葉を思い出そうとしました。ところが、どうしたことでしょう、誰も思い出せないのです。サーリプトラやモッガラヤン、マハーカッサパたちは思い出せないのです。一番仏陀を理解していた人たちが、です。
 マハーカッサパは言います。
 「私は確かに彼を聞いた。しかし、彼が何と言っていたかは覚えていない。それに私には彼の言ったことと、自分の言うことを分けるのは難しいんだ。」

彼は仏陀を味わい、仏陀と同化するくらいに深く入り込んでいたのでしょう。

さらにお話は続きます。

悟りを開いた弟子達が皆、覚えていない。そこでアーナンダが呼ばれました。彼は未だ悟っていません。仏陀の存命中に至ることはできなっかったと伝えられています。しかし、彼は仏陀のいとこで、いつも仏陀の側にいました。それが仏陀の弟子になるとき、アーナンダが出した条件だったのです。しかし、あまりにも多く聞きすぎたため、悟りが遅れたと言われています。
 その悟ってない彼がなんと、全ての仏陀の言辞を正確に覚えていたのです。覚醒に達していなかった彼が! 

 逆説的に見えるかも知れませんが、アーナンダはまだ仏陀の言葉に捕らわれていて、意味を掴んでいなかったのです。彼は未だ魚を捕らえることを考えていたために、仕掛けを、舟を持ち運んでいたのですね。ですから、仕掛けの方を覚えていたのです。彼は後世、こういわれています。"多聞第一"。しかし、あまりにも聞きすぎたため、言葉を落とせなくなっていたのでした。 』


* 教団では、マハームドラーの成就者は阿羅漢と同等であると言われている。そうすると、すでに彼岸に到達し、筏を担いで歩く必要は無くなっているはず。何故、未だ筏を担いで歩こうとするのだろうか?