白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

冠婚葬祭

2006-11-05 01:46:33 | Weblog
 今日は、我が家で法事があり、お客さんが来るので、昨日は、一日てんやわんやであった。掃除と部屋の片付けで一日が終ってしまった感がある。現世では、当たり前のことだが、冠婚葬祭というものがある。しかしながら、私はマハポに行く時に、一度ほとんどの現世のしがらみを断ってしまっている。一度現世のしがらみを断ってしまった者にとって、冠婚葬祭というのはなんとも煩わしいかぎりである。

 考えてみると、オウムを知る前は、普通の一般的な生活を送っていた。体質に合わなかったので、タバコこそ吸わなかったけど、毎日酒を飲み、カラオケを歌いまくっていた。冠婚葬祭も律儀に出席し、ご祝儀や香典を包んで渡し、時にはスピーチまで行った。本来、教師のままでいたら、冠婚葬祭は絶対切れない行事なのだ。受け持った子ども達が、大きくなり、次々適齢期になれば、毎年結婚式に御呼ばれするようになる。私の場合、呼ばれたのは、一番最初に受け持った男の子の結婚式だけだった。その後は、マハポに行ってしまったので、必然的に結婚式には出席出来なくなってしまった。これも、子ども達には、本当に申し訳なかったと思っている。

 それに、年賀状も出さなくなってしまった。教師を辞めた後も、しばらく、年賀状を出し続けてくれた子供もいたのだが、その時は、すでに実家にいなかったので、年賀状を返すことも出来なかった。そのうち次第に、はがきが来なくなっていった。最後まで、はがきをよこしてくれたのは、大学時代の友人一人だけだった。この友人とは、今も年賀状のやりとりをしている。正月は、一枚だけ年賀状を書けばよいので、楽と言えば楽なのだが、自分は過去の縁を、どれだけないがしろにしてきたのだろうかと考えると、やりきれない思いになることもある。

 そんなわけで、今、結婚式のご祝儀の相場がいくらで、香典はいくら包むのか、さっぱり分からなくなってしまった。もちろん、ケースバイケースで額が変わるのは当然だが、それにしても疎くなったものだ。元の人達は、このような現世での付き合いとか、どうされているのだろうか?

 私などは、どうしても、教義がこびりついているので、墓参りに行くという行為が、全く無意味に思えてしまう。そんな墓参りをしても、すでに転生しているのだから、意味がないだろうと思ってしまうし、坊さんがお布施を貰って、お経を唱えている姿を見ると、来世は地獄か餓鬼に転生してしまうのだろうななんて考えてしまう。

 我が家でも、母は、毎朝仏壇と神棚に手を合わせているのだが、仏壇とは、本当は先祖壇であり、先祖は救済するべきものであると考えてしまう。神棚も、本当の神など宿っていないと思っているので、全く仏壇にも神棚にも手を合わせていない。

 結婚式も、しがらみが一つ増えてしまって気の毒にと思ってしまうし、子どもが出来ても、しがらみの対象がまた一つ増えてしまったとみてしまう。食べ物から、生活全般まで全て、教義の網の目が及んでおり、現実生活を送るのに、信徒の私でさえもかなり抵抗があるのだ。

 元信徒、元サマナの人達は、現世でのしがらみについて、どうされているのだろうか?そういうことは、一切無視しているのだろうか?それとも、通常通りのお付き合いをしているのだろうか?ここら辺は是非意見を聞いてみたい。

 ここら辺で、うまく現世と折り合いがつかないと、結局は世間から見て、常識的な付き合いの出来ない、変わり者というレッテルを張られ兼ねない。所詮オウムにいた人だからと、白い目で見られてしまう。

 明日は早いので、今日は今から寝ることにする。コメントは今日の夜に返信させていただきますので、ご勘弁願います。