白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

第2回ボーディーサットヴァの会

2006-11-11 00:09:04 | Weblog
 それでは第2回ボーディーサットヴァの会を開催いたしまーす。
今日は、調子も良いようなので、BS会を開くことにしました。けっこう体力を使うものですから、調子が悪い時はお休みさせていただくこともありますので、ご了承ください。それでは、早速始めます。

 シヴァの喜びさんのブログで、「サマナの葛藤」について、いろいろと話し合いがなされていましたが、私もずっと考えていた内容だったので、こちらでも話し合いが出来ればありがたいと思い、シヴァの喜びさんのところからちょいと転載させていただきました。

サマナの葛藤 (2ちゃんより転載)

2006-11-06 22:19:55

今日現役サマナからメールをもらった。
こう書いてあった。

「サマナの中には、教団が解散することを望んでいるものも多い。」

多くのサマナが教団という枠組みから解放されたいと思っている。

しかし自分の意思で教団を離れると
「これはグルに対する裏切りではないか?」
という不安・恐怖・後ろめたさがつきまとうことになる。

教団がなくなってくれれば、
「自分は教団にいたかったのだけれど、教団がなくなってしまったのだからしょうがない。さあ、社会復帰しよう」と思えるということだろう。

今、教団には
「教団がなくなるのはイヤだ!」という思いと
「こんな教団なんてなくなればいい!」という思いとが交錯している。


>しかし自分の意思で教団を離れると
>「これはグルに対する裏切りではないか?」
>という不安・恐怖・後ろめたさがつきまとうことになる。

 このような感覚は、現在残っている信徒、サマナ共に持っている感情だろうと思われる。外部の人間からすれば、なんとも奇妙な感情に感じるであろうが、相当に根強い恐怖感が存在するのではないかと思われる。いわば神仏を恐れる、根源的な恐怖に近いものがあるのかもしれない。

 教団の人間は、グルは時間、空間を超越した、解脱・悟りへの導き手であり、バルドーでの導き手であると考えている。解脱・悟りを目指す者にとってグルとの縁を傷つけることは、自己の未来際における解脱・悟りを大きく損なうものになりかねないと信じている。したがって、絶対の帰依を誓おうとするのである。この点においては、A派の気持ちも当然理解が出来る。しかしながら、絶対の帰依=教団維持なのか?というと、ここはまた問題である。

 とりあえず、ここでの大前提としては、グルが偉大な解脱・悟りへの導き手であるという前提にたって物を考えている。この前提が崩れれば全てが崩れてしまうので、その点は今の段階では考えないことにする。

 信徒のレベルだと、悟り・解脱もそうだが、それよりもバルドーでの導きをしてもらえるかどうかが重要なのかもしれない。これらは、どちらも他力的な意識が強いように思われる。しかしながら、これは一概に否定をすることが出来ない人間の願望なのだ。それはある意味、人間の弱さと言うか、死の恐怖心からくる依存心なのかもしれない。

 グルから離れることは、すなわち真理から遠ざかることを意味しており、今生真理から離れると、未来際において、いつまた真理に巡り合えるか分からない。そのような、想いが潜在意識に深く根付いているため、余計教団を離れたり、グルを否定することにためらいが出てくる。教団のビデオでよく見せられた、500年に一度、海上に頭を出す亀が、大海を流れていた牛のくびきに偶然頭を差し込む、そんなまれなチャンスで知り合った真理をみすみす手放して良いのだろうかという想いが働くのだと思う。

 それでも、教団での生活が嫌でたまらず、我慢が出来なくなって離れると、自分は自己のエゴに負け、グルの教えに背いた不肖の弟子であると自分を責め、自己嫌悪に陥り、精神が不安定になり、へたすると自殺したくなってくる。

 これは、まじめに修行に取り組み、導きも一生懸命やってきたような人に、起きる可能性がある。私のように、夜中に脱走して逃げ帰ってくるようなやつには、自殺などというのは程遠い話なのかもしれない。

 それはさて置き、どうすればこの恐怖心が取り除かれるのだろうか?おそらく、元の人達は、それぞれが、自らの中で、なんらかの折り合いをつけて自分の心を納得させたはずである。できれば、その辺りの心情をお聞かせいただければありがたい。

 一番根本的な解決法としては、グル、すなわち教祖がただの人と心の底から思えるならば、今までの全てがひっくり返るので、グルとの縁を傷つけるという恐怖は解消されるかと考えられるが、現時点で教団に残っている人は、そう考えられない人達が残っているのだと思うので、その点は否定せずに、不安や恐怖をいかに取り除くかを考えていこうと思っている。なかなか、困難な問いかけなのかもしれないが、皆さんのお考えをお聞かせいただければ幸いである。

 私としては、シヴァの喜びさんが、コメントされていた次にような言葉が、一つの手がかりになるのかなあと考えている。申し訳ありませんが、最後のグル否定のところは省略させていただいた。

(シヴァの喜びさんのコメント)

グルと弟子とは本来とても常識では語れない絆で結ばれるものです。

それは輪廻の大海さえ越える。

なのに、一回裏切ったくらいで見捨てるようなグルならこっちから願い下げである。
そんな心の狭いグルを我々は目指しているのだろうか?

否。

ならば一体何に怯えるのだろうか?

結局我々は自分自身に怯えているのである。
自分が作り出したグルという幻想に。」


 ついでに、時々聞く五逆の罪というのがある。大罪の中の大罪で、無間地獄に落ちるとか言われている。グルに背くことが五逆の罪に当たるのではないかと、考えてしまう人もいるのかもしれない。五逆の罪についてネットで調べたので載せて置く。五逆の罪に当たるのかどうか皆さんで、ご検討願いたい。

そもそも五逆の罪とはなんぞや?調べてみた。

小乗の五逆
①母を殺すこと、②父を殺すこと、③阿羅漢を殺すこと、④仏身を傷つけ血を流すこと、⑤教団を破壊すること、

また、大乗の五逆
①塔寺を破壊し経像を焼き三宝の財産を盗むこと、②声聞・縁覚・大乗の教えをそしること、③出家者の修行を妨げあるいは殺すこと、④小乗の五逆のうちの一罪を犯すこと、⑤因果の道理を信ぜず、悪口・邪淫などの十不善業をなす

(無間地獄)
阿鼻地獄は無間地獄ともいわれ、大焦熱地獄の下、地獄の最低の場所である。
殺生、盗み、邪淫、飲酒,妄語の五戒と、邪見を抱き、清らかな戒を守っている尼僧を汚し、五逆の罪(母を殺す、父を殺す、聖者を殺す、仏の身体を傷つけて出血させる、教団の和合一致を破壊し,分裂させる)を犯し、信者の施しによってむなしく過ごしていた者が堕ちる地獄である。
これまでの七大地獄のすべての苦しみをあわせても、阿鼻地獄の苦しみは、その千倍にもあたる。この阿鼻地獄の苦悩を聞いたならば、すべてみな恐ろしさに堪えられず、聞いただけで死んでしまうことになろう。
このようなわけで、この地獄について千分の一も解き明かしてはいない。というのは、とてもすべてを説きつくすことも、聞く事も,例える事もできないほどであるからである。


 さんざん地獄の恐ろしさを聞かされ、中には、瞑想体験によって地獄を経験した者にとっては、単なる絵空事とは捉えていないはずである。これを見る限り、教団から離れたり、グルに心で背いたからといって、五逆に当たることは無いように思われる。

 今日は、突っ込みどころ満載ですので、皆さんの自由なご意見をお待ちしています。