白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

松本サリン事件

2007-06-27 16:24:48 | Weblog

松本サリン事件から13年がたつのですか・・。

 

 正直当時は、松本サリン事件とは、何のことやらさっぱり分かりませんでした。松本市で、サリンとかいうガスで、人が殺されたらしいということくらいしか知らなかったと思います。そのうち、河野さんに、疑いがかけられたりしていたので、オウムとは関係ない話だと思って大して気にも留めずにいました。そのうち、オウムにも疑いの目が向けられだしましたが、フリーメーソンのプロパガンダだろうくらいにしか思っていませんでした。

 

 それがなんと、河野さんは被害者であり、冤罪に巻き込まれただけで、犯人はオウムの人間であったとは・・。

 

 地下鉄サリン事件によって、松本サリン事件もオウムの仕業であることが明らかになりました。しかし、地下鉄サリン事件のインパクトが強くて、松本サリン事件がどんなものであったのかを、良く知らないままに時が過ぎていきました。

 

 松本サリン事件で、死者7人・重軽傷者660人と大変な被害を与えたことすら、当時は人事のようでした。世界の先進国で初めて、一般市民に対して化学兵器が使用されたテロ事件なのだそうです。

 

 自分達の布施が、こんな形で人を苦しめるために使われてしまったことが残念でなりません。被害を受けた皆様方には、本当に申し訳なく思っております。

 

 被害者の皆様方のご冥福をお祈りしますとともに、二度とこのような非道が繰り返されないことを切に願っております。

 

松本サリン事件

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/matumoto.htm


VT正悟師のブログから転載

2007-06-24 09:08:01 | Weblog
 VT正悟師のブログコメント欄に今朝方投稿されたコメントです。脱会を決意された方からの投稿のようです(真偽のほどははっきりしません)。どちらにしても、今後、アーレフ本体から離れる人が、相当数出てくるのではないかと予想されます。まあ、代表派もサマナが、ぼろぼろ抜けていっているので、どっちもどっちなのですが・・。

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脱会します

欺瞞性を排除するといってましたが、
以前よりひどくなる一方でついて行けないので脱会します
近いうちに、ほかにもまだまだやめる人がいますのでそのつもりで
支部のサマナの皆さんは本当に一生懸命やっていますが
サマナの上に立つ師がなんにも考えていない
A正悟師は論外
サマナがかわいそう

神秘力身につける前に結核に感染しないごく普通の健康状態になってください


・旧オウム真理教事件への反省と再発防止の徹底
・破産管財人との債務引受契約に基づいた被害者賠償の継続
・社会との協調を重視した宗教的実践(上祐氏時代の拡大路線と欺瞞性の排除)
・合議制による教団運営

どれも守られてない
結核のことで社会と協調するつもりがないとはっきりわかりました

| 200706-24 05:06:24 | #- URL [ 編集 ]

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A派トップの師は、ご家族から声をかけられるまでパッとしない師(U師やB師など)ばかりですよね。

説法はちょー下手で、なにを言いたいのだかさっぱりわからん人たちばかり。

そんなだから、当然組織の中ではくすぶっていたのだが、人材不足にからかなにか知らんが、ご家族から声がかかって、それを小躍りして「ようやく陽の目をみるときがきた」とばかりに、(おだてられた豚よろしく)木に登ってしまったというのが現状だ。

上ばっかり見ずに下を見ろ。こわくなって降りたくなるはずだ。

| 200706-24 06:30:02 | #- URL [ 編集 ]

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超能力といえば、北千住のシャンバラにいた某師。

自分が特別の人間であるかのように振る舞うのが好きでねぇ~~。困ったもんでした。いまでもA派で頑張っていらっしゃるのでしょうか?あいかわらず・・・なのでしょうか?

なにやらアストラルで気功を伝授してもらったといっていて、サマナのまえでもときおり気功の型を見せびらかしていた。そして、やめときゃいいのに、気功の訓練をサマナに押しつけるんだ。

その気功、アマゾンで購入できるようなどこにでもある書籍で紹介されている気功とまったく変わらないだよ。そんなの、わざわざアストラルまで行って習うなよ~。せっかつアストラルで習うなら、なんかもっとすごいものを習ってこないと。

しょうじき、わたしゃ白けましたけどね。

その師は、たしか世界最強の心理学を体得しているとも豪語していた。
「それを使いこなせるのは世界にはわたし一人なんだよ」と言い、そしてそれをサマナに小出しに教えては、いちいち感想を聞くんだよ。みんな「す、す、すごいです」と答えていたそうだ。というか、そういう雰囲気だったそうだ、はじめから。どうせどっかの一日体験セミナーに出て仕入れてきた程度のものだったのに。。。

つまり、超能力といっても、エセ・まがいもの・パクリが多いんだよね。サマナは従順をよしととしつけられていたから、どんな珍奇な芸に対してもつっこんだりしなかったけど、あんたら、井の中の蛙だよ。裸の王様さ。

社会を馬鹿にせず、もっと社会に真摯に向き合い、社会に通用するようなものを目指したら、そろそろ。教団ないでのステージが上になればなるほど、恥ずかしいですよ、ホントに。。。
| 200706-24 06:45:36 | #- URL [ 編集 ]

上祐氏のミクシィ内発言と反応②

2007-06-19 00:39:38 | Weblog
昨日の続きです。

725 :正論(上祐コミュから抜粋):2007/06/18(月) 12:14:47 ID:4YJHn/a3
心が広ければいいってわけじゃない。
立ち上げた後の手段におおかたの過ちがないとしても、
ワイの視点ではそもそも立ち上げた時期も順序も段階も経緯も間違っているのですよ。

オウムの事件に関わった者の一番の原因は麻原の存在や誤った教義、
それに加えて宗教に対する依存なんですよ。
宗教に対する依存が上祐氏を含むオウム信者を間違った方向へ向かわせたんです。
その教訓が果たして生かされているのか。

…宗教に対する依存により過ちを犯した者の責任として、
宗教に対する依存から一度離れて日常に戻るという選択をしなかったことは
大きな過ちだったと言えるでしょう。
上祐氏が出所と同時にアーレフに戻ったことを考えても
宗教への依存が継続していると捉えてよい。
それに加えて一連のオウム事件が解決したわけではないし
残った謎も数多くあり捕まっていない元信者もいる。
その上、遺族への賠償が済んだわけでもなければ
刑期を終えたことで社会的なみそぎが済むわけでもない。
どう考えても、一度宗教への依存から離れて
日常に戻るという当然歩むべき経緯を経ずに段階を大きく飛び越えて、
上祐氏が自ら率先して新しい宗教団体を立ち上げるなど到底認められるものではない。

こういう否定的意見から目を背けるのではなく、
どう受け止めるかが上祐氏及びスタッフそしてひかりの輪に
期待する立場の方々に求められているのではないかと思いますよ。
ひかりの輪に期待するならばワイの意見を跳ね返すだけの根拠が必要なのです。

726 :上祐回答1:2007/06/18(月) 12:16:57 ID:4YJHn/a3
 私も、私たちが、ミリコンさんの反論は跳ね返すだけの根拠は「必要ない」と思います。
私たちの団体が団体として存在するに必要なのは、
犯罪を二度と犯さない、という決意と実行であって、それ以外ではありません。

 もちろん、これはミリコンさんへの批判ではなく、
ミリコンさんの真意は、反論を跳ね返すことが、
団体のために重要である、という意味であって、
それを「必要」という言葉で強調したのだ、
と解釈しています(そうでなければ、ミリコンさんが、
教団にとって必要なものを決定する存在=昔の松本氏のようになってしまいますから)。

 ただ、こうして、少しずつ、教団、信者に課す義務が、
その表現において、過剰になっていく傾向が、住民の問題に関わらず、
この問題にはある、と私は思います。

 さて、宗教への依存をやめることが必要だという主張については、
私は、そうは思いません。
 まず、宗教が悪いのではなく、テロが悪いからです。

727 :上祐回答2:2007/06/18(月) 12:18:15 ID:4YJHn/a3
 次に、自分は何度か述べましたが、松本氏への依存を超えるには、
松本氏を超えた宗教を必要とするのが、信者達だ、と思います。
また、似た傾向を持った若者達でしょう。

 というのは、彼らは、宗教のない世界、すなわち、
今の消費主義的、物質主義的、煩悩主義的な一般の社会に対して、
それを望ましいとは思っていません。

 表現を変えれば、その価値観自体が、ある意味で、
先進国の人間を中心として、消費、物、金を信仰する宗教であり、
彼らが拒絶している宗教です。

 そして、もし、一般の社会の大勢の価値観が完全であれば、
そもそも、オウムなど生まれていない、と思いますし、
松本氏の社会批判が、多くの信者に受け入れられることもなかった、と思います。

 もちろん、自らを神とした松本氏の世界観は妄想であり、反省しておりますが、
社会が悪であるという彼の理論の一端は、現実の社会の問題・歪みにマッチしており、
その部分については、空理空論ではありませんでした。

 更に言えば、伝統宗派の形骸化を突いて、
その当時としては、若者に手応えのある宗教として、
発展した(発展した締まった)面があるのも、オウム真理教の特徴でした。

 よって、信者や同じ傾向を持った人たちには、
現在の社会の大勢の価値観も、彼らが全く魅力を感じなかった形骸化した伝統宗派の価値観も、
松本氏のような宗教絶対主義の価値観も、その全てを超越する、
新しい思想・宗教・価値観が必要だ、と思います。

730 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 13:33:31 ID:KNDMSPza
>私も、私たちが、ミリコンさんの反論は跳ね返すだけの根拠は「必要ない」と思います。
>私たちの団体が団体として存在するに必要なのは、
>犯罪を二度と犯さない、という決意と実行であって、それ以外ではありません。

言葉がないね もうこういうこといっていて・・・

732 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 14:16:08 ID:xMgf/5Av
>>住民・マスコミの教団批判の表現が少しずつ、過剰、過激になり、
信者も、それを当然として受け入れていく事が健全だとは、
今は思えなくなりました。

存在しなくていいよ
他人は金づるだと思っているだけなんだから
じじつ、漏れみたいな人間になにか、世話を焼いてくれたのか
無理やり借金させてまで受けさせたパーフェクイニで
漏れが大暴れしようが、そのせいで他人から誤解されてひどい目にあっても
教団はどうでもよかったんだ
だって、在家に受けさせるんだぜ
何があるかわからないのに、そばにいて、監視もしないんだぜ
サティアンなら、おかしくなっても誰か世話やいてくれるだろうけど
実験的にやって
金を儲けて害があっても、謝りなんかしないよ
それどころか、何があっても教団に文句言いませんみたいな誓約書を
(契約のサインをさせたあとに、後だしで)書かせていたしね、、、

テメエラのことは追い詰めるから覚えておけ
貴様らのやったことの報いだ
デカイ口なんか叩かすものか

733 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 14:19:21 ID:xMgf/5Av
貴様らのやったことも、そのとおりなんだよ!!
金はどうしてもふんだくる が、文句は言わせないって
そうだろ?

あんな、脳みそガリガリドリルでほじくるみたいな、前代未聞のイニを
こしらえて、どんなことがあっても、文句言わせないとばかりに
勝手な誓約書まで書かせて、、、

じゃあ、貴様らも同じになればいいだろ
そういうことをやって、儲けた金で食ってきたんだ

734 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 14:25:43 ID:xMgf/5Av
まったくカルマが返ってきているんじゃないか
金はよこせ、文句はいうな、って
それがこの教団のやり口だったんだから、仕方ない

本当にそれを、あんたらはやったんだぜ?
漏れは、パーフェクのせいで、家で泣き喚いて大声で叫んで
壁に体を打ち付けて床に転がっていたんだけど
一緒に住んでいた男は びっくりして引きつっていたよ
あんなふうに、体を震わせて怒る人を みた事が無い、って

それくらいむき出しになっていたってことさ
感情がむき出して爆発するようなイニを、勤め人の在家に受けさせたんだぜ
終わればすぐに会社に行くってわかっているのに、、、
そんでぎゃあぎゃあ行って泣き喚いたら、男が腹をたてて
漏れの首をしめたさ 床に押し倒してね、、
言っておくが、作り話じゃない
奴は嫉妬で目つきが異常になっていた 漏れの口走ったことは
イニを受けて潜在が出ているに過ぎない、って奴もわからなかった
ダレも、注意してくれる人もいないんだ

735 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 14:26:01 ID:1cS0RqKi
>>729 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=16903707&comm_id=1943070

こういう上祐さんの発言を見ると
「彼はM派を存続させるために屁理屈を言い続けるしかないのか」
と思う。

最近メーカラダーイカー師、スラーダ師、ヴァジラロカさんがこんな上祐さんのもとを離れたよ

上祐氏のミクシィ内発言と反応①

2007-06-18 22:59:24 | Weblog
 2チャンネルに、上祐さんのミクシィ内での発言が転載されており、その発言に対する、皆さんの反応がありましたので、抜粋しながら転載しておきます。かなり長くなりますが、2回に分けて記録用にとっておくことにします。

 上祐さんの発言を読むと、なにか、今までの態度、発言とは違い、強気な印象を受けるのですが、住民からの後押しみたいなのが、彼を強気にさせているのでしょうか。新団体を応援してくださる方もいるでしょうが、それが、日本全国の住民の意見だと錯覚すると、大きな過ちを犯すかもしれませんので、この点は、勘違いしないほうがよいのかもしれません。

 内部にいると、いろいろな変化が短期間のうちに起こっているので、分裂当時の2,3年前のことは、もう大昔みたいな感覚を持つかもしれませんが、外部の人間にすれば、わずか2,3年しかたっていないという感覚を持っています。まして、新団体になって数ヶ月です。気付いていないかもしれませんが、内部の方と外部の方とでは、若干時間に対する感覚のズレみたいなものがあります。あまり物事を急ぎすぎると、世間の人達の理解を得るのが、難しくなるかもしれませんので注意が必要ではないかと思われます。

692 :上祐ミクシィ発言:2007/06/18(月) 01:03:53 ID:4YJHn/a3
>自由と義務について

 ひかりの輪の義務とは、今後、犯罪を犯さないように、過去の犯罪を反省し、
そうしない教義、組織を作り上げることだ、と思います。
それに伴い、一定の説明をなし、また、それを実行することだ、と思います。
 
 かといって、理性だけではなく、情緒の面において、
社会全体が、私たちの活動を受け入れるようになるのは、
場合によっては、半永久的に不可能でしょうし、
それまで、活動するな、という考えには従えません。
中国や朝鮮の一部は、大日本帝国の戦争をいまだに許していないでしょう。

 また、ひかりの輪が監視されている、と言っても、
監視というのは、逆に言えば、活動する権利自体は認めているから、
監視なのであって、そうでなければ、禁止になるはずです。

 さて、私が、今教団の権利を主張し始めているのには、一定の理由があります。

 それは、これは、近くのある一般の人の意見だったのですが、
「昔は、教団は、自己の権利ばかり主張していたのだが、
最近、ひかりの輪になってからは、一方的に謝ってばかりで、
権利のない奴隷のように、住民のサディスティックな感情の対象となっていているが、
そういった両極端はやめて、やるべきこと、約束すべき事をしっかりと守りながら、
権利は権利として自覚しすべきではないか」という意見でした。

 自分も、かねてからそういう両極端な面がある、と思っていましたので、
住民側から見てもそうなのか、思いました。

693 :上祐ミクシィ発言2:2007/06/18(月) 01:04:59 ID:4YJHn/a3
 これは、信者が、その地域住民と、あくまでも、同じ日本人であり、
同じ市民権を持った、対等の人間である、という感覚を持てない状態であることを示します。

 昔は、自分たちを他の生命を平気で奪う神の如き存在と錯覚していたのに対して、
今は、ただ謝ってばかりで、対等の人間ではない、いわゆる奴隷になっている、という状況です。

 この両極端には、根底には、同じ問題があるように思うのです。
つまり、日本人とは別のオウム信者、住民とは別のオウム信者、という認識です。
自分たちが、同じ日本人、同じ住民になっていないのです。
それは、信者側もそうだし、社会側もそうではないかと思います。
 
 普通の関係の人の間には、健全な口げんかがありますが、
オウム信者と社会の間には、寝首をかくようなテロか、
そうでなければ、一方的な謝罪・服従しかない。
これは、ゆがんでいると思います。

 ネットでも、「お前たちは一生社会の片隅の見えないところでうずくまっていて早く死ね」
といった主旨の書き込みを何度か見ました。
それをその通りだと考えて、それに従うことが正しいのかどうか。

 また、そいった書き込みをしている人が、どの程度、熟考した結果として、
信者の人生全体を封殺するような主張をしているのか。
それとも、一時的な感情の吐露か(場合によっては、全く無関係の人のストレスの発散か)。

694 :上祐ミクシィ発言3:2007/06/18(月) 01:08:06 ID:4YJHn/a3
 また、一般の人がよく使う表現として、教団を「認めない」という表現がありますが、
教団に「疑惑がある」、「信じられない」、「嫌いである」、「反対である」、というのはいいとしても、
「認めない」という表現は、あたかも住民に教団を存在を認める権限があるかのようです。
 
 もちろん、私は、日本人一般の言葉の使い方として、
認めない、という言葉によって、自分たちの反対・賛成の感情を現わす習慣があることも承知しており、
そういう意味だ、と受け止めてはいますが、
住民・マスコミの教団批判の表現が少しずつ、過剰、過激になり、
信者も、それを当然として受け入れていく事が健全だとは、今は思えなくなりました。

 信者が、自分たちが、同じ日本人、同じ住民、対等の市民である、という感覚を失えば、
前とは別の意味で、社会と融和できず、分かりやすく言えば、
自分たちの社会に対する愛を育むことを阻む、と思います。
これは、社会にとっても、望ましくないと思います。

 コミュについても、荒らされたとしても、
教団は加害者なのだから、それに耐えろ、と言う類の主張があれば、
それは行きすぎだろう、と思います。

 一方、過去の事件がある以上は、教団に対する理性的な批判・問題点の指摘を封殺すれば、
それは、教団の信者甘やかすことになり、それは、本当の意味で、
対等の関係、大人の関係ではありませんから、それもまた望ましくないと思います。

695 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 01:34:32 ID:6gmDK0Pc
> ネットでも、「お前たちは一生社会の片隅の見えないところでうずくまっていて早く死ね」
といった主旨の書き込みを何度か見ました。
それをその通りだと考えて、それに従うことが正しいのかどうか

二年くらい前だったと思ったが、アチャリが雑誌のインタビュで
私たちは、謝罪することだけで、自分の人生を生きなければならないのでしょうかと
ちっと正確な言葉は忘れましたけど
そんな趣旨のことを言っていた
彼女の立場としては、そうもあろうかと 、思ったんだが
それから少しして
2600マンのマンション買ったって噂が流れてきて
そんなにビクビク暮らしているようにも見えないジャン、と思ったけどね、、

漏れは上祐のそういう発言すら、するべきでないと思うね
だって、謝罪した反省した、っていうけど
そんなこと(あんたの計画がおじゃんになったから、仕方ない、生き残るために
やり方を変えた)だけじゃん、、

ほんとはテロが成功したら、大威張りで、信者や市民の上に君臨するつもり
だったんだろ?
ほんとに住民の誰かが、謝りすぎだなんていったのかね
その人は、教団がやろうとしたことを、深くは知らないんじゃないの
テレビでよくみる サリンとか坂本くらいで、、

697 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 01:48:03 ID:6gmDK0Pc
<また、そいった書き込みをしている人が、どの程度、熟考した結果として、
信者の人生全体を封殺するような主張をしているのか。

新団体はまあ、麻原捨てたと言うから、それが本当だったと仮定すれば
生き残りの余地はあるかと思うんだけど、、
ウソツキ上祐のいうことだから、さて本心はわからないけど

いいかね、事件があの程度で済んだのは、教団外の他人が止めてくれたからだよ
たくさんの人が、止めようとしていたのを
毒ガス撒いたり絞め殺したり、したのさ!
その人らの努力で、事件も(亡くなった方には失礼ですが)あの程度で済んだ
本当は、もっとずっとひどいことを考えていたんだろ、、

死んだのが25人程度だったから、(本当はもっと確認できない行方不明とかが
あるそうなんだけど)まだこんなもので済んだんだよ
もし、100人殺していたら、もっとずっと風当たりがすごかったと思う、、

てか、勝手に人を殺すぞ、って走り回って
今度はまったいらになって謝って、
なにしているんだろう、って、、
社会のダレも、教団に活動してくれとも救ってくれとも言ってないのに
勝手に世の中かき回して、変な奴らってイメージ、、

賠償と自分らの食い扶持の確保以外には、存在理由が無いと思う
宗教なんかよそでやるよ あるいは自分でやるほうがまし

698 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 01:52:38 ID:6gmDK0Pc
勝手に幹部クラスで、革命が成功したら、
オレは神聖法王で君はなんだかで、、、って役割分担してたんだぜ
しらねえよ
なんでこんなところにいたんだろ
とにかく、戦ってテメエラが他人を支配するつもりでいたの

699 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 02:08:54 ID:6gmDK0Pc
<「認めない」という表現は、あたかも住民に教団を存在を認める権限があるかのようです。
 
ふん、
教団の邪魔をする人は、息の根を止めてもいいというグルに奉仕してたのに
あんたはボツリヌス菌を亀戸で撒いていたとき
隣の住民の息をして健全に生きる権利があるのは忘れていたんじゃないのかね
他人の生存権なんか、どうでも良かったんだろ

700 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 02:16:15 ID:5QRaHo4l
>>692-694
やっぱ、この発言おかしい。
出家者はそもそも家を持たないはず。
「日本」人である必要はないんだよね、アイデンティティにおいて。
仏の弟子である以外に何の肩書きがいるんだよ。
そんなんなら在家になればいいんだって。
これじゃただの学生に対するカウンセリングじゃないか。

701 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 02:17:06 ID:6gmDK0Pc
>今は、ただ謝ってばかりで、対等の人間ではない、いわゆる奴隷になっている、という状況です。

何年ウソツキまくってきたのよ
謝ってばかりで、って、ここ1年足らずのことじゃない

702 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 02:25:54 ID:EfiA4vdG
元信徒に一言でも誤ったことあるのか?謝って金返して!

704 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 03:10:27 ID:n/wuuL3H
> ネットでも、「お前たちは一生社会の片隅の見えないところでうずくまっていて早く死ね」
> といった主旨の書き込みを何度か見ました。
> (中略)
> また、そいった書き込みをしている人が、どの程度、熟考した結果として、
> 信者の人生全体を封殺するような主張をしているのか。

その発言の真意は「やはくオウムから離脱しろ」ということ。
上祐さんの言葉を借りるならば、市民になれということですよ。

辞めた人にまで野垂れ死にしろとは誰も言っていないはずでしょう。
アタマわるいのか?

705 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 03:14:15 ID:n/wuuL3H
>>701
> これじゃただの学生に対するカウンセリングじゃないか。

おそらく上祐さん自身も、そのように思っているんじゃないかと。
オウム的な思考パターンがこびりついた知恵遅れのメンバーしか
いない現状では、それぐらいしか出来ることはないでしょう。

706 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 05:53:32 ID:5QRaHo4l
ひかりの輪に対する批判を受けて、普通の市民の意識をもつために、ていう発言をしてる。
けどそれなら出家である必要ないだろ、ほんとに普通の市民になりゃいいだろ、
って話だよ。布施とか受けてないで。
普通は日本人というより、人間として、て言うはず。
日本を強調するのはウラがある。だんだん本性を出してきた。

707 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 08:29:16 ID:+DsjD+H3
>ひかりの輪の義務とは、今後、犯罪を犯さないように、過去の犯罪を反省し、
>そうしない教義、組織を作り上げることだ、と思います。

犯罪を反省し、2度としない、もっとも確実な方法は解散することなのだ。

>監視というのは、逆に言えば、活動する権利自体は認めているから、
>監視なのであって、そうでなければ、禁止になるはずです。

いつ活動の権利が認められたのか?
憲法や法律上、禁止したくてもできないだけの話である。

>権利のない奴隷のように、住民のサディスティックな感情の対象となっていているが、
権利は権利として自覚しすべきではないか

謝罪ばかり・・は極端ではない。事件があまりにも大きかったのである。
権利権利と主張するのは、要するにアーレフ本体の昔のスタイルに戻りたいという
ふうにしか聞こえない。

>対等の人間ではない、いわゆる奴隷になっている、という状況です。

先に述べたが、事件の責任を引き受けるとおまえらは言ったのだが、
その事件があまりにも大きすぎて、一般市民として抱えきれるレベルではない
だけの話だ。それをおまえらは奴隷扱いと呼んでいる。

>普通の関係の人の間には、健全な口げんかがありますが、

健全な口ゲンカなどは無い。口ゲンカはすべて不健全だ。宗教家の発言か?

708 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 08:30:02 ID:+DsjD+H3
>これは、ゆがんでいると思います。

おまえらが存在することが矛盾なのだ。

 >ネットでも、「お前たちは一生社会の片隅の見えないところでうずくまっていて早く死ね」
>といった主旨の書き込みを何度か見ました。
>それをその通りだと考えて、それに従うことが正しいのかどうか。

どうせ従わねえじゃん。一度でいいから従ってくれ

> また、そいった書き込みをしている人が、どの程度、熟考した結果として、
>信者の人生全体を封殺するような主張をしているのか。

ネットの書き込みが信者の人生を封殺するわけがなかろう。おまえらの新たなる
野望が封殺されるような錯覚があるからだ。

>また、一般の人がよく使う表現として、教団を「認めない」という表現がありますが、
「認めない」という表現は、あたかも住民に教団を存在を認める権限があるかのようです。

まず宗教にあるまじき行為をしたので、宗教団体とは認められない。これはおかしいか。
次に反社会的行為をしたので、社会的団体とは認められない。これはおかしいか。
他の宗教団体は住民の了承を得て施設を建設しているところもある。
 
>住民・マスコミの教団批判の表現が少しずつ、過剰、過激になり、
信者も、それを当然として受け入れていく事が健全だとは、
今は思えなくなりました。

おまえらが昔から言っていることである。
 
709 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 08:49:09 ID:+DsjD+H3
・歴史である戦前の日本の体制と一介の妄想的狂信宗教団体のテロを
同じにするのは変。

・ある財施部のサマナは「こんなにまで一般人の反発や憎悪が深いとは
思わなかった」
と発言した。要するに社会と接する機会がない教団の上層は世間の見方が
いまひとつわかっておらず、どうしても甘く、身びいきで見てしまうのである。
この温度差が一般人の反発をさらに生むのであろう。

710 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 10:14:12 ID:xMgf/5Av
>・ある財施部のサマナは「こんなにまで一般人の反発や憎悪が深いとは
思わなかった」

漏れは、この団体の存在が許されるなら、どんな巨悪だって許されてしまうと思う
これ以上はないってくらいのことを、気軽に考える団体だった
こんなにひどいことをしても、結構ゆるゆるとやっていけるものだ、という
味を占めさせてはいけないと思う

漏れは事件について知って、あるいは教組の信者からは見えない日常について
知って、憎悪したもの、、
10年いた漏れだって、とんでもないと思ったもの
一般人が憎悪するのは当然、、

711 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 10:22:56 ID:xMgf/5Av
とにかく賠償のために存続という理由以外に無いよ
世界中から、仏教ってのは平和な教えだと(一部違うかも知れんが)
思われているのに
仏教徒の品格を下げてくれたもの
日本人には、やっぱり宗教は変だ、と思われる原因を作った
宗教をやっている人間を日本人はすぐに馬鹿にする、って
教団はよく文句言っていたけど
事実、馬鹿みたいになったじゃんか

まだ起きてもいないことを、必ずあるある言って大騒ぎするなど
(まあ、未来予知は正確なら、損はないと思うけど)
仏教している人ならありえない
過去を思うことなく、未来を思い煩うことなく 現在を生きている人の
顔色は優れているって、釈迦は言ったそうだ

オウムときたら、先に悪いことがあるある言って
不安をあおって、ものを動かそうとする
そういえば、もどきが、野田氏のブログには、経済不安とか書いて
また不安をあおってまわりを動かそうという気があるんだろうと
言っていたわね、、

漏れらがいい例だけど、不安をあおられると、洗脳されやすいんだって
不安があって精神的にぐらついているところに、断定したものの言い方を
されたりすると、よく洗脳されるらしい
同じ手は、もう使えないんじゃないかしらん

713 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 10:49:27 ID:KNDMSPza
>>692-694
非常に違和感を感じる文章だ やはりオウムというのはちょっと

715 :神も仏も名無しさん:2007/06/18(月) 11:11:35 ID:xMgf/5Av
まあ、叩かれるのが嫌なら、A派みたいに、ひきこもっているほうが
得な気はしますね、、
最近、ウンでもスンでもなくて、掴みどころがないから
批判の対象にすらならないわ

ミクソみてないんだけど、新規入信狙いに外にでてくるのかもしれんが
文句のほうがはるかに多いんでないのか
それより漏れの憎悪の対象はファミリだね
彼らは、損も多いが守られる部分がある
信者は好きで選んで入ったが、ファミリはそこに生まれたのであって
かわいそうだ、という奴

しかし、好きで入った信者から上納されて、信者よりいい暮らしできるのは
とも子とアチャリだしな、、

法則の絶対化

2007-06-15 01:21:14 | Weblog
 私みたいな鈍感な者には、カルマを受けるという状態が良く分からないのですが、敏感な人には、たいそう辛いことのようです。それにしても、オウムでは、カルマを「受ける」ということに敏感になり過ぎて、相手に対する嫌悪にまでなってしまっていた感があります。

 それは、大乗の思想とは、大層かけ離れた感情であるはずなのに、あたかも、カルマを受けて具合が悪くなるということが、ステージの高さの証みたいに思われてしまっている節もありました。現在、教団ニートと言われている人達が存在しているのも、外で働くとカルマを受けて、具合が悪くなるから働けませんという理由を、免罪符代わりに使っていることによるものです。

 「カルマを受ける」という言葉を、極限に追求していくと、どうなるかという事例が、先日の2チャンネルの書き込みに見られましたので、こちらにサンプルとして載せておきます。

321 :神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 01:52:51 ID:9mGCszGQ

ポテトチップは暗性食
電子レンジでチンするとプラーナが壊れる
冷凍食品はいけません、肉魚はカルマの塊
セックスするとカルマ交換になる、相手のカルマ受ける!恐ろしや!
支部サマナに言われましたよ

322 :神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 02:04:23 ID:9mGCszGQ

風呂・温泉入るとカルマ受ける(前に人が入ってる)
いけませんよ
人(凡夫、外道)に触っちゃいけません
カルマ受けるって鈍感なわちきにはわかりませんw
普通の生活できないじゃないかよw

323 :神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 02:39:45 ID:9mGCszGQ

そんな無理言っていたサマナの上のお偉いさんが
ステージ下の女と邪淫ですかい?
信徒の業財使って回春ですかい?
平サマナでさえ、信徒の身体に触れるのを忌み嫌っていたのですよ?
スポンサーの信徒さえ汚らわしいと言ってた輩の上のものが
汚らわしいとされる御凡夫さんの最たる者と業財使って交接するんですかい?

324 :神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 02:48:12 ID:9mGCszGQ

信徒対応するとカルマ受けて体調悪くなると言っていた支部サマナ
漏れたちとそうかわらないだろ、ステージつてやつさw
信徒>平サマナ>>師>>セイゴシ、越えられないヒエラルキー
そのセイゴシが回春ですかい?
師が下のものとカップリングですかい?

339 :神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 19:42:17 ID:qxTyFFj/

カルマ受けるとかいうなら、農家のおじさん、おばさんが作った米も食うなよな。
ぜんぶ繋がってるんだから、その繋がりを全部断ち切れば縁もなくなるよ。
どうなるかわかるよな。

340 :神も仏も名無しさん:2007/06/13(水) 19:44:07 ID:qxTyFFj/

空気も吸うなよな。
誰かかが吸って吐いた空気なんだから。

人間だけじゃない。
動物や昆虫、菌、植物も含まれる。

空気も吸うな。
水も飲むな。
どんな生き物にも近づくな。

つまり死ねってことだ。
あほか?


>ポテトチップは暗性食

菜食やお供物以外は、ほとんどが暗性食じゃなかったでしたっけか?

>電子レンジでチンするとプラーナが壊れる

これも、よく言われていました。おかげで、レンジをほとんど使わなくなりました。

>冷凍食品はいけません、

これは、身体を冷やす働きがあるからという理由だったですかね?
プラーナが弱いとも言っていたかな・・。

>肉魚はカルマの塊

動物のカルマを受けますということでした。

>セックスするとカルマ交換になる、相手のカルマ受ける!

カルマ交換が起きるだけでなく、アストラルも共有するといっていました。

>風呂・温泉入るとカルマ受ける(前に人が入ってる)
>いけませんよ
>人(凡夫、外道)に触っちゃいけません

私も、おかげで温泉に行くことはなくなり、
風呂も、湯船には浸からず、シャワーを浴びるだけになってしまいました。
人の身体に触れるのは、極力避けようかと思いましたが、
職業柄無理だったので、これはあきらめました。

当然ここまでいくと、

>カルマ受けるとかいうなら、農家のおじさん、おばさんが作った米も食うなよな。

という話になってきます。

>空気も吸うなよな。
>誰かかが吸って吐いた空気なんだから。

>人間だけじゃない。
>動物や昆虫、菌、植物も含まれる。

>空気も吸うな。
>水も飲むな。
>どんな生き物にも近づくな。

>つまり死ねってことだ。

ということになります。

 これはさすがに、極論だと思いますが、ここまで言いたくなる気持ちも分からないではないです。

 不殺生戒についても同様のことが言えます。人は殺さない(オウムでは殺してしまいましたが)というのは当たり前としても、その他の生き物に関して、どこまでその戒を及ぼせばよいのかという問題が出てきます。

 簡単に、「生き物を殺さないようにしましょう。」とよく言いますが、歩く度に足の裏にいる数百万の微生物を殺生している現実はどうなるのでしょうか?空気中にいるウイルスも、体内に入ると殺されているのです。それに関しては、どのように考えればよいのだろうか?

 これも、極端に推し進めれば、では人間は生きていないほうが良いのだという話になってしまう。人間の存在自体が危うくなるのです。この辺のバランスをどうとっていくのかが、重要なのでしょうが、かつての教団でも、現在のアーレフでも、新団体でも明らかにしていません。

 あまり、現実に迎合して、方便と称し場当たり的な対処ばかりしていたならば、戒などあって無きがごときものとなって、意味をなさなくなってしまうし、戒を絶対のものと見なしてしまうと、人間の存在自体を悪と見てしまうようになりかねない。

 上祐さんのコミュのコメントに、今日こんなタイムリーなコメントがあったので、抜粋させていただきます。

 『こうして、あらゆる教えは、条件によっては、善にも悪にもなる二面性があるから、個々具体的なケースに応じて、その教えを適用するべきかをしっかりと考えなければならない。これを仏教では、択法覚支(=法則の選択の修行)という。

 より根本的に言えば、仏教が説く悟りの境地、空の境地とは、経典上も、自己の体験上も、言葉を越えた境地であり、人が、言葉等によって思考し、観念的な世界観を形成することが、煩悩の根本原因となっている、と説いてる。これが、仏教奥儀の縁起の法である(ダライラマ法王等の解釈)。

 その言葉の中には、仏教の法則自体も含まれ、それは、毒をもって毒を制する、という目的がある。例えば、「他人が悪い、憎い」という現代人的な思考・感情・観念に対して、「自分の業である」という法則という観念を対抗させて、ある意味で、両者を相殺し、煩悩的な思考をゆるめて、寂静の境地に至るのが、目的であって、どちらかの観念を絶対視するのが目的ではない。

 よって、法則の扱いとして、初歩的な戒律からカルマの法則まで、法則を絶対視して、それに振り回されないように、時々の条件に応じて、その人の修行が進むように、臨機応変、融通無碍に扱うことである。そうしなければ、観念的な思考から脱却できず、悟りは到底及ばない。』

なるほど、「毒をもって毒を制す」ことで、観念を対抗させて、心の波を静めるために役立たせるということか・・。上祐さんの言わんとしていることは、我々の強い観念によって生じた偏りを、中道に導くために、そのような法則や戒を適時活用するというということが、大事なのだと言っているのだろうと思います。

 (ちょっと余計な突っ込みを入れますが、これで完全な寂静の境地に至れるかどうかは疑問です。なぜなら、マインドでマインドを押さえ込もうとしても、それでは、サマディに入ることが出来ないのではないかと思われるからです。心の波を静めた後で、もう一歩、別な階段を上がらなくてはならないのではないかと思います。この辺は、シヴァの喜びだった者さんに、解説をしていただければありがたいです。)

 上祐さんの見解は、よく理解できますが、実際現実世界で適応させるのが、非常に難しいのではないかと思います。農業や漁業を生業にしている方に、殺生をしてはいけませんと言ったほうが良いのか?言わずに何か別な法則を説いたほうが良いのか?未だに、私は、どうしたらよいのか、良く分からないでいます。みなさんは、どのように考えますか?

元サマナの手記

2007-06-08 00:11:47 | Weblog

「カナリアの詩」には、元信徒や元サマナの手記が載っています。

http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/shuki/3-3.html#31

 

 この中の元サマナの手記を抜粋して載せさせていただきます。教団内にいた時は、陰謀説に捉われていたせいもあって、これらの手記の類も、「どうせあることないことを書いて、教団の人間を脱会させようとしているのだ。」と見なしていたため、読もうともしなかったし、信じようともしませんでした。

 

 しかし、今になって、このような手記を読んでみると、リアルな場面描写で、本当にあったことが書かれているのだろうと感じられます。亀戸の異臭事件の後の、ミーティングの三塚氏と豊田氏が涙を流す場面や第七サティアンでのワーク中の端本 悟氏との会話など、なかなか生々しい描写だと思います。一連の事件が、教団内で行なわれていたということを、未だに信じられない方に、改めて読んでいただきたいと思います。

 

追加13A K

1998年1月23日第32号より

私はサリン事件で警察に逮捕され、種々の取調べを受けました。
自動小銃製造の件に関しての取調べの時、オウムで作ったAK-64(?)を取調べ官が持ってきて、実際に持たせてくれました。それはズシリとした重量感がありモデルガンなどではなく、まさに本物の銃でした。
取調べ官によれば、「オウムで完成された自動小銃は二丁あって、ここに持ってきたものは実際に撃てるものでもう一丁は排莢動作が上手く行かない。」とのことでした。完成したのを見たのは始めてだったので、その時は正直言って「すごい!」と少し感激してしまいました。

 

 92年9月岡村鉄工が倒産しそうだということで、当時の広報技術のメンバーが金沢に呼び集められました。
例のごとく何も内容は聞かされませんでした。しばらくして岡村鉄工は結局倒産し、そのあとで村井さんからここの設備でモデルガンを作り、玩具として販売することもこのヴァジラ・アヌッタラ・ヒタ・アビブッディ(倒産後の、松本被告を社長とした新会社)の仕事に加えようと言われていたのでしばらくは作っているものはモデルガンだと思っていました。

 

しかし94年6月に自動小銃だということがはっきりしました。それは豊田亨さん・松下悟史さんと私を含めた四人の科学技術省のメンバーが第六サティアンの松本被告の自宅に呼ばれ「君たちには自動小銃の弾を製造するラインを造ってもらう。」と指示されたからです。

 

その時やっぱり本物の銃を作っていたんだと判り心臓がドキドキして、体が緊張しました。しかし同時にこんなに重要な仕事を指示されるのだから頑張らなくてはという喜びの気持ちも沸きました。

 

 そしてそのようなことをすれば当然重罪に問われるだろうがそれも仕様がない。もし逮捕されるとしたらそれが私に与えられる修行なのであろう。と自分のすべてを松本被告に供養する決意を新たに固めました。
この前に93年の亀戸異臭騒ぎのときにも、松本被告に豊田さんと二人で呼ばれて「君達には、屠られた子羊になってもらう。救済のために命を投げ出して全力で頑張って欲しい。」と言われました。

 

この時はじめて自分の死、もしかしたら無差別の殺戮、そしてそれに伴う自分への刑罰などが現実的な葛藤として大きく迫ってきて、心臓が止まりそうな物凄い動揺の中で自分のすべてを供養する決意を固めたことがありました。このときは、その当時の決意を呼び覚ましたという感じでした。

 

 その亀戸の件についてもう少し詳しく述べると、その後決意は固めたものの、あまりの動揺で体は震え、鳥肌が立ち、寒気がしてそれを落ち着けるのに大変でした。亀戸の件は結局失敗に終わったのですが、そのあとのミーティングで松本被告に上祐さんなどのステージの高い人から順番に意見や反省を言う場面がありました。

 

緊張が緩んだのか三塚さんと豊田さんは、泣きながら声を震わせて話をしていました。私はその痛いような不安な気持ちがわかるような気がしました。でも私には涙が出ませんでした。それはその時には「もう自分の命も苦楽も松本被告に御布施してしまったんだ。これからは、このようにいつも自分を布施していく実践をつづけていくんだ、そしてその先に解脱があるんだ」と思いが定まってしまったからだと感じていたのですが、今思えば余りに急激に心が追い詰められたので、どこか映画を見ているように現実感薄く茫然としか状況を捉えてなかったのかもしれません。

 

 その後94年7月にサリンプラントに加わる時の会議で「このワークは大変危険なワークでボタン操作一つ間違えば、この上九一色村、富士山麓全体が死の山となるぐらいのものだ。辞退したいものは今申し出なさい。」
と言われ、誰も申し出るものがなかったので続けて「死を見つめながらワークすることがマハムドラの修行には欠かせない。」などの話を受けました。

 

それからいわゆるヴァジラヤーナのワークに専従するようになりました。そして結局95年5月16日に逮捕されることになりました。

 サリン事件や坂本事件などに実際に関わった人達について、とかくとりざたされることは、

 

・教団内での権力争い
・あれでけっこう好き勝手していたんだ
・在家信徒や出家サマナをも欺いていたんだ
・成長過程で問題があったなどです。
・そしてあれだけ悪いことをしたんだから死刑や無期懲役が当然だ

などと思われがちです。このようなことは外側から見た常識的判断では、恐らく妥当なことなのでしょう。

 

 しかし彼らと身近に接していて思うことは、彼らが今まで育ってきた生活では考えられなかったであろう人の命を手玉に取るような行為をしている自分の現実、それに対するどうしようもない捌け口としての破戒(好き勝手する事)行為をしていたのだろうかということであり、また彼らの言葉や振る舞いの端々から感じられた無気力さもそのせいだったのだろうかということです。

 

 第七サティアンでのワーク中、端本 悟さんが、疲れを感じさせる雰囲気で、このようなことを話していたことがあります。
「僕は今はこんな買い食いしたり、セーラー(ある女性サマナ)といろいろあったりするけど、昔は真面目だったんだ!。営業やってたころは、他の人は結構買い食いしてたけど、僕は絶対しなかったんだよ!。
信じられないかもしれないけどね。でも、ここの第七サティアンのワークもそうだけど、ヴァジラヤーナの修行(ワークのこと)は、本当にすごく厳しいんだよね。だからそういうときに女性っていうのは、本当に逃げ道になっちゃうんだ。救済のためにー!と突っ走れればいいんだろうけどね。だから君もよく気を付けていたほうがいいよ。」

 

 この時私は「性欲・愛情欲求には気を付けなきゃな。そっちへ逃げちゃだめだな。」と言葉どおりに聞いていただけでした。
しかし、彼の発した「ヴァジラヤーナの修行は厳しい。」と言う言葉の中には、彼が実際に坂本弁護士一家を殺害したことも含まれているのだと分かったとき、彼が言っていた逃げ道という言葉が重くのしかかってきました。

 

 もともとは、解脱を目指して出家し真面目に修行をしていたであろう彼らが、それとは程遠い姿になっているように写ったのは、その苦悩の大きさのためだったと、今、彼らの姿や言葉が改めて痛みとともに納得できるのです。

 

 私たち、元信徒はただ単に一般の人々が言うように、オウムはくだらないところだとして去るのではなく、彼らの痛みを思いながら、それぞれが自分にとってのオウムと決着をつけようとするとき、はじめてオウムのとってきたオウム流ヴァジラヤーナの本質が見えて来ると思うのです。そしてオウムへの依存から独り立ちできるのだと思うのです。またそれが昔、一緒に修行をした仲間に対する誠意でもあるのではないでしょうか。

 

 私自身はあるお坊さんに助言をもらったり、今までのオウムでのことを振り返ったりするうち、拘置所でまさに劇的な瞑想体験をしました。その体験を基に、オウムから離れることに決めました。

 

 それは、私たちの目指した解脱・悟りとは、なにも特別な宗教的場面設定が絶対必要というわけではなく、まごころをよりどころにしてありふれた生活をする中でも、いくらでもそれに気づくことが出来るものなんだと感じたからですあの体験がなかったらスッキリとした気持ちでオウムから離れ、その後の短いけど苦しかった刑務所生活を乗り切ることが出来たかどうか、そして今のようにスッキリとした毎日が過ごせているかどうか自信がありません。

 

 しかし今、私のなかで松本被告やオウムの位置づけがハッキリとなされているかというと、そういう訳ではありません。折に触れ未だにいろいろ考えつづけています。これからもずっと考えつづけることでしょう。私にできることは、それぐらいなのかもしれません。

 

 私が今、オウムの中で疑問や不安を抱いている現役サマナに伝えたいことは、オウムを続けていくということは重大事件に関わった人達のような葛藤を経験していくということに他ならないのです。それだけの葛藤を受け入れる覚悟がいるのだということなのです。


・目的のために手段を正当化するという修行実践
そしてまた
・他に苦しみを与えることによって他を救済するという実践そういうものであるオウム流ヴァジラヤーナをオウムが掲げているかぎり、これらの葛藤は程度の差こそあれ避けられないものだと思うからです。そのことを知った上で、オウムを選ぶのなら私がいろいろ言っても無駄でしょう。(しかしその教団内での修行よりも刑務所生活の方がずっと修行が進むと思いますが・・・・・・。)
ただ他にも修行の道は沢山沢山あると思いますよ。その中から無理せず自分にあった修行を選べばいいと思います。

 

 私については、オウムから離れて後、色々なものに目を向ける中で、自分がオウムの中で過ごしていたころの気持ちとは、比べ物にならないほどのスケールと誠実さで利他行を行っている人々の存在を知りました。
その時には、あぁ自分は井の中の蛙だったんだと思ったものでした。そういうこともありました。


 教団内ではオウムの修行が最高のものだとされているのでしょうが、なにも無理して
BESTとされる修行方法をとらなくても、無理せず急がず他の自分にあったBETTERの修行を探して実践すればよいのではないですか?

 

「お仕事大変ですねぇ。」という言葉を取り交わすありふれた日常の場面にもよくよく感じればマハニルヴァナの光が輝いている気がします。

 

最後に、今回は被害者の方々への思いには触れずに書いてきましたが、被害者の方達へは、心よりお詫び申し上げます。オウムを通してしか、大切なことに気づけなかった自分の愚かさを深く責めつつ、到底償いきれるものではないですが、少しでも償いの出来るような方向で、これからの人生を決めていきたいと思っています。

(男性・元サマナ)


保険料

2007-06-03 00:59:40 | Weblog
 一昨日2チャンネルにこんな書き込みありました。内容の割には、あまりみなさんからの反応が無かったようです。おそらく財施部のサマナが書いたものだと思いますが、かなりひどい内容です。

419 :神も仏も名無しさん:2007/06/01(金) 18:29:23 ID:4ghpB4vt
財施の人が働いて 保険料も払ってもらえず
督促状も本人に見せない
実家に帰った某サマナに督促状 何十万も・・・
で みんなの働いた金吸い上げてちゃっかりてめえの分は払ってる
年金じゃなくて保険料ね
全額布施しないと保険料も払われない
財施の人間の分は払わないがニートサマナの分は払ってる

ニートサマナを大事にしすぎる
ふざけた指導者達

 これって、財施部のサマナが本来払ってもらうことになっていた保険料を、上長が払ってあげていなかったということですよね。そして、支払いに関する督促状が来ていたにもかかわらず、それを隠して本人に見せなかったと。本人は、そんなこととは露知らず、保険料がちゃんと支払われているものだとずっと思っていたわけなのでしょう。

 そして、何らかの理由で、教団を離れ実家に戻ったところ、この方のもとに、保険料の支払いを催促する督促状が、何十万円分も届いたということですな。一体全体、何か月分払っていなかったのだろうか?その払わなかった分のお金は、いったいどこにいってしまったの?自分達で使ってしまったのだろうか?

 しかし、ひどい話である。年金はともかく、保険料くらいはちゃんと払ってあげていないと、怪我や病気の時、病院にかかりたくても、支払いが大きくなってかかれなくなってしまう。

 給与を全額布施しなかったから、保険料を払ってもらえなかったのだろうか?外に働きに行っていれば、職場での付き合いで、支払わなくてはならないお金が出てきたり、女性なら化粧品などもそろえなくてはならず、そのためのお金がどうしても必要なはずである。そのためにも、多少は手元にお金がなくてはならず、全額布施は、まず無理なのではないだろうか?

 その辺のことは、おそらく働きに行かない人達には想像が出来ないのだろう。全額布施と決めたら、全額布施させることしか頭に無くて、こういう財施部サマナの大変さを理解することなど出来ないのであろう。だから、次々と財施部のサマナが教団から離れていくようになるのだ。

 それでいて、自分の分はしっかり保険料を払っているというのが許せない。自分も含め、全員が払っていないなら話も分かるが、自分は払って、人の支払いはしないなどという人間に、慈悲や四無量心など語って欲しくない。

 そして分からないのが、ニートサマナの分は払っているという状況である。ニートサマナは、かわいこちゃんでも集まっているのだろうか?それとも、上長に対して、おべっかでも使うのだろうか?そこら辺は分からないが、理解に苦しむ状況である。

 これが、成就者と言われる方々の実態である。アーレフの信徒さんは、よく目を凝らしてみないと、たぬきや狐に騙されてしまいそうだ。三宝帰依は、仏・法・僧に対する帰依であると言われている。しかし、サンガを構成する成就者が、このような現状である以上、果たして、三宝帰依が成り立つのであろうか?ここはしっかり思案したほうが良さそうである。

 新団体では、全員の保険料、年金は支払ってあげているのだろうか?公園でのんびり気功などやっている暇はないのかもしれませんぞ。なんせ金が無いのですから。会員も、専従者の保険料と年金の支払いのために、しっかりお布施をしなくてはなりません。自分の年金を支払うのも大変な状況で、専従者のためにお金を出すのは、まさに菩薩行というものかもしれません。