白龍のオウム・アーレフで過ごした日々

オウム・アーレフと新団体「ひかりの輪」について考える。

完全離脱

2007-04-30 22:18:26 | Weblog
 本日をもちまして、以前教団に振り込んでいた会費が、期限切れとなります。すでに、アーレフ本体からは脱会しておりますが、今後、新団体に入会金を納めるつもりもありませんので、本日で、オウム・アーレフ関連団体からは、完全に離脱することにします。
 
 足かけ19年間、オウム・アーレフと共に歩んでまいりましたが、このような日が来るとは、夢にも考えていませんでした。まさに、全ての現象は無常です。

 明日からは、一脱会信徒として生きていくつもりです。ブログ内容も、当然、他の方々から寄せられた伝聞情報が増えることと思いますが、ご了承いただきたいと思います。

 正直、記事を書く時というのは、物事の不条理さに対する怒りや、相手に対する怒りが原動力になっていたような気がします。しかしながら、最近は、麻原氏に対する怒りも、上祐氏に対する怒りも、アーレフ本体の方々に対する怒りも、ほとんど無くなってきてしまいました。

 そのため最近では、記事を書くという作業が、困難になってきていたのも事実です。しかしながら、現在も事実を知らされず、教団を信じきって生活をしている方々がいますので、その方々への情報提供をする目的で、ブログは続けていこうかと考えています。

 今まで、オウム・アーレフの教団でお世話になった皆様に、心より感謝いたします。また、当ブログを通じ、コメントを寄せていただいた皆様に感謝いたします。皆様方のお陰で、私の目が覚めたのも事実です。本当にありがとうございました。

 そして、知らなかったこととはいえ、私の為した布施によって、多大な被害を与えられた被害者の皆様方に、心より謝罪を申し上げます。申し訳ありませんでした!

 また、私がオウム・アーレフを通じ、導きをしたことで、多大なご迷惑をおかけした皆様方にも、心より謝罪を申し上げます。申し訳ありませんでした!

 今後は、新たな道を模索するようになると思います。中年親父ではありますが、心機一転、もう一度人生を組み立て直して、少しでも人の役に立てるような人生を歩んで生きたいと考えています。今後とも皆様方からの、ご指導ご鞭撻を宜しくお願い申しあげます。

映画「es」

2007-04-28 02:09:14 | Weblog

本日は映画の紹介です。

 

 かつて教団で作成したビデオの中に、1971年に行なわれたスタンフォード大学の監獄実験について述べている箇所があった。たしか、人間は与えられた環境において、それぞれの役割を演じているのだということを説明するために、引用したものであったと思われる。

 

 その時には、単に興味深い実験だと思って観ていたのだが、たまたま、今日「GyaO」の映画の中に、スタンフォード大学の監獄実験を映画化した、「es」(エス)という映画が紹介されているのを見つけたので早速観てみた。映画を観ていくにしたがい、人間が環境によって、自らを洗脳していく様をまざまざと見せつけられた。

 

 スタンフォードでの実際の実験では、新聞広告などで集めた普通の大学生などの70人から選ばれた被験者21人の内、11人を看守役に、10人を受刑者役にグループ分けし、それぞれの役割を実際の刑務所に近い設備を作って演じさせたところ、時間が経つに連れ、看守役の被験者はより看守らしく、受刑者役の被験者はより受刑者らしい行動をとるようになるという事が証明された。

 

 映画の中では、看守の行動がエスカレートし、暴力に歯止めがかからず、ついには殺人にまで至ってしまう。もちろん、実際の実験では、殺人までは至っていない、しかし、屈辱的な靴磨きやトイレットペーパーの切れ端でトイレ掃除をさせるなどを行なわせたとされている。さらにエスカレートして、禁止事項であったはずの、暴力にまで至ったと記録に残されている。

 

 閉鎖的な空間での、絶対的な権力を持つものと、服従を余儀なくされる者の心理がみごとに浮き彫りにされていると思われる。そして、互いが知らぬ間に、その役割の中に自己を没入させていく恐ろしさを感じた。まさに「状況の力が人格を支配する」という言葉通りであった。与えられた役割を演じるだけの人間が、いかに愚かしくなっていくかを見せつけられたような気がする。

 

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、

 

「権力への服従 」
強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまうのである。

 

「非個人化 」
しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。


というような実験結果が得られたとなっている。

 

 この実験結果を読むと、オウム・アーレフの教団について語られているような気がしてしまう・・。私は、かつて、上九の治療省のトイレも無い小部屋に、鍵をかけられ閉じ込められた時の恐怖とみじめさを思い出させられた。暴力こそ振るわれなかったが、監禁の挙句に、ナルコで記憶を一部失った・・。

 

 もうすでに、ご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、まだ、ご覧になったことがない方は、GyaOに登録すると無料でご覧になれますので、ぜひ一度ご覧になると良いでしょう。なお、この作品がドイツで作られたという点も、大変興味深いところであります。

 

「GyaO 映画」(ここのランキング2位に「es」はあります。)
http://www.gyao.jp/cinema/


参考資料
「スタンフォード監獄実験」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E7%9B%A3%E7%8D%84%E5%AE%9F%E9%A8%93

「情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは」
http://x51.org/x/06/04/2439.php


ボランティア活動

2007-04-21 00:34:42 | Weblog

2チャンネルよりちょいと転載

 

197 上祐教HPより 2007/04/20() 11:26:10 ID:TjpUR5kb

なお、新団体の祭壇に釈迦(三尊)像を飾ったのは、釈迦が説いた哲学が、新団体と同じように、釈迦を拝むのではなく、めいめいの自己をよりどころとせよ、というものであり(仏教用語で自灯明)、
しかも、個々人にあった法を説いたからで(仏教用語で方便・対機説法)、釈迦を崇拝するためではありません。

 そして、繰り返しなりますが、団体の使命・任務は、他の信仰を受けて、他を救済するのではなく、他に奉仕(サービス)することです。

 その意味で、新団体のイメージは、従来型の宗教団体ではなく、イメージとしてですが、スピリチュアル・サービス・センターといったようなものです。

 ないしは、多様な心身の浄化のための奉仕団体という意味で、ホーリスティック(全体的な)・ヒーリング・センター、といったものです。

 いわば、総合的な心身の浄化・癒しのプログラムによって、人々に奉仕するセンター、ということができます。 」

 

 人々に奉仕するセンターというのは良いことだと思いますが、具体的に何をどうするかが見えてきませんね。結局、お金を払って受けに来る人達だけに奉仕するということなのでしょうか?それとも、無料のボランティアを何か行なうということなのでしょうか?

 

 どうせなら、代表派は全員NALCの会員になって、地域のボランティア活動に積極的に参加されたらいかがだろうか?

 

「ニッポン・アクティブライフ・クラブ」

http://www.nalc.jp/

 

 この団体は、テレビでも紹介されていましたが、地域に住む高齢者や障害者の介助・介護をお手伝いするだけでなく、会員相互の助け合いをするボランティア団体です。時間預託制度という制度を取り入れており、自分の出来ることを、自分の出来る時間でお手伝いしながら、活動した時間を時間預託点数として貯めることができます。その貯めた点数は、自分が介助を必要になった時にも利用できますし、家族にまわすことも出来ます。

 

 教団関係者の親御さんも、すでにかなりの高齢になってきているはずです。今までに、さんざん心配をかけてきたわけですから、せめてもの恩返しに、点数を貯めて老後に少しでも楽な生活が出来るようにしてあげたらいかがでしょうか。もちろん、自分が介助や介護が必要になった時にも、安心して頼めると思いますので、検討してみてはいかがでしょう。ただし、宗教団体だと嫌がられるかもしれませんので、信者勧誘には使わないという一筆は必要かもしれませんね。

 

 A派、中間派の皆さんも是非ご検討ください。元の方々も、年会費3000円くらいですから、今のうちに参加されてはいかがでしょうか?結婚し家庭を持つ方は良いでしょうが、老後の一人暮らしはとにかく寂しいものですし、必ずまわりに迷惑をかけるようになりますから、今から、このような制度を活用されてはいかがでしょう。別に私は、NALCの回し者ではありませんが(笑)、なかなか良い制度だと思いますので、皆さんにもご紹介したいと思い記事にしてみました。もうすぐ、私も介助が必要な年に近づきつつありますので切実なんです。(笑)

 

 近所に活動拠点があれば即入会しようと思っているのですが、地元には無いようですので、自分で人を集めて活動拠点にしようかとも考えています。これからは、こういった相互に助け合う輪を、次世代につなげていける団体が、非常に重要な役割を担っていくのではないでしょうか。


動画紹介part2

2007-04-16 13:13:43 | Weblog

 前回はインドの神々の動画を紹介しましたが、今日はチベットの神々の動画を紹介します。

 インドの神々動画は、かなりテンポが速く、耳に残るリズムでしたが、チベットの神々の動画はゆったりとした曲で、疲れた心を癒されるようです。

 お疲れの皆さんは、しばし、チベットの神々と風景で癒されてください。

 

「Tara①」

この風景には心が癒されます。

http://www.youtube.com/watch?v=EtSpJUVWN4Y&mode=related&search=

 

「Tara②」

これもいいです。

http://www.youtube.com/watch?v=NsQQm1JMkGM&mode=related&search=

 

Vajra Guru

題名がすごい。

http://www.youtube.com/watch?v=nI7WbyS4s4I&mode=related&search=

 

OM BISHWA SHANTI HUM

グヒヤサマージャが出てきます。

http://www.youtube.com/watch?v=1dXiWSn47zk&mode=related&search=

 

 

Ocean of Samsara

大河の流れがいつか大海へ。

http://www.youtube.com/watch?v=JxTqcndZQ9I&mode=related&search=

 

Vajrasattva

チベットの神々と風景。

http://www.youtube.com/watch?v=01LB1onp34g&mode=related&search=

 

Vajrasattva Mantra (Short Version)

チベットの神々とマントラです。最初に出てくるおじさんがちと怖い。

http://www.youtube.com/watch?v=3L0iT5i2CmE&mode=related&search=


ミクシィ質疑応答(2チャンネルから)

2007-04-12 01:59:28 | Weblog
 2チャンネルに、先日こんな質疑応答が載っていましたが、この質問に対しての上祐さんの回答に、どうしても違和感を感じてしまうのは、私だけなのだろうか?おそらく以前は、違和感無くそのまま言葉を受け入れ、「そうそうその通り。」と思っていたと思うのですが、最近はへそ曲がりになってしまったものですから、こういう文章を見ると何か妙な感じがして仕方ありません。

『質問者
「何故お布施を欲するのですか?他人の金で賠償金ですか? 」

上祐氏回答
 「宗教的には、お布施は、在家信徒が出家修行者に行う宗教的実践であると共に、実際的には、教団がなす宗教的サービスに対する在家信徒の支払いの側面もあり、やってみれば分かりますが、お布施を受けることは容易ではありません。」』

回答の文章を3つに分けて考えたいと思います。

「宗教的には、お布施は、在家信徒が出家修行者に行う宗教的実践である」

 これは間違いないのですが、何か違和感を感じるのは、出家修行者に布施するのは何のためなのかという点に引っかかるからかもしれません。大体において、なぜ出家が生まれるのか?覚者や真理勝者がこの世に生じたことで、その法を学び、実践するために出家制度が出来上がるのだと思うのですが、M派は真理の御霊を否定してしまっていますし、行くところがないサマナのためとか、賠償金支払いのためと言う理由で出家制度を維持しているのであれば、そういった本来の出家の目的からは、はずれてしまっているのではないだろうかという疑問が湧いてきます。

 旧団体からの制度的な引継ぎのために、残しているとしか思えないのですが、そうするとM派に布施しても、他のボランティア団体に布施しても、功徳という点で変わらないのではないかということになってきます。大体M派に布施して、功徳になるのだろうかというのも疑問です。

次に、
「実際的には、教団がなす宗教的サービスに対する在家信徒の支払いの側面もあり」

 これは、一番分かりやすいです。為したサービスに対しての対価として支払われるわけですから、ヨーガ教室の授業料みたいなものと考えてよいのでしょう。これは、宗教事業といわれる部分なのかもしれません。

最後に、
「やってみれば分かりますが、お布施を受けることは容易ではありません。」

 これは、ミクシィ内での一般の方に対する回答なんですよね?
この回答をされて、理解できる一般の方がいるのだろうかという疑問があるのですが、どうなのでしょう?だいたい、普通の方の感覚としたら、前に座って黙っていても、5000円や10000円のお布施を、信者がうやうやしく持って来てくれるんですから、受け取れるものなら受け取りたいと思うのが人情じゃないですか。(笑)2,3時間で10万円くらいは集まるわけですから、時給4,5万円といったところです。誰でもやってみたいんじゃないでしょうか。

 信徒相手にこの発言をしたなら、信徒は教義に基づいて、煩悩の塊であるお金を受け取ることによって、受け手は相手の煩悩を引き受け、ひどく精神的にも肉体的にもダメージを受けるのだろう。それは大変なことだろうなと、推察することも出来ますが、教義も入っていない、一般の方相手にこんなことを言っても、??が一杯増えるだけのような気がします。
 逆に、お布施は口八丁手八丁でうまいことやらないと、相手から引き出すのはなかなか大変なのだな、などと言う、曲解さえ生まれかねないのではないかと心配してしまいます。

 私は以上のような点から、どうも違和感を感じてしまっています。

最終解脱に関して

2007-04-07 03:00:47 | Weblog
2チャンネルにMixi内のコメントが貼ってありましたので、転載させていただきます。上祐さんはMixi内で、結構はっきり最終解脱に関して説明されているのですね。

『374 :神も仏も名無しさん :2007/04/06(金) 01:05:21 ID:N+XXRc2J
Mixi[上祐史浩・新団体 意見交換の場] トピック

■問い
現在の上祐氏の意見は、「麻原は解脱していない。
グルとしての力はなかった」という見解だということでよろしいか?

■上祐氏回答
 多少詳しく述べますと、そもそも、解脱という言葉自体があやふやで、
教団では、松本氏を、最終解脱者としていましたが、
1最終解脱とは松本氏の造語に近く、かつ。
2松本氏の最終解脱は、他者ではなく、松本氏の自己認定ですから、
「実体がないものだった」と考えています。
よって、解脱とは何か、ということから、見つめ直さなければ成りません。
 また、グルとしての力については、その定義によりますが、
一定の霊的な体験をさせる力はあったが、本来のグルが導くべき、
心の成熟、愛の増大には導けなかった、と考えています。』

 是非とも解脱とは何かということについて、見つめ直していただきたいものだと思います。そして、新教団を立ち上げる前に、オウムの解脱と一般的な解脱との違いを、明らかにしていただくことを要望いたします。
 未だに、麻原尊師は最終解脱者で、すべての衆生より最優先されるべき人物と信じている信徒、サマナがまだ数多く存在しますので、是非早急に検証し、上祐さんの見解を示していただきたいものです。
 私が上祐さんとメールのやり取りをしていた時の、麻原さんの解脱に関する質問に対しての、上祐さんからの回答の一部も参考のためここに掲載させていただきます。

『>  解脱という言葉がでましたので、改めてお聞きいたしますが、麻原さんは解脱はしていなかったということでよろしいのでしょうか?この点を明確にお答えいただければと思います。

 「それは解脱の意味によるでしょう。 カールリンポチェ師は、麻原氏に、体験と悟りは違う、悟りは体験をコントロールできる状態だ、と繰り返し語っていました。

 自分が推察するに、激しいヨーガの行法や、独自のグルイズム(シヴァ大神への帰依)で、自我意識の破壊の体験はあったものの、物の考え方が二元的なので、恒常的な自我意識の破壊はなかったのではないか、と思います。

 麻原氏とオウムは、よく、「体験がしなければ、体験なければ」と言いましたが、それは逆に言えば、一時的な体験はあるが、完全にコントロールされていない、というのが、オウムの特徴だったのではないか、と思います。
 
 この一時的な状態は、ヨーガの行法で物理的にナーディを開いたり、麻原氏なりのグルイズムによって、経験出来るものではないか、と思います。

 実は、この前書きましたが、麻原氏は自分は最終解脱者だとは言っていましたが、サマナ向けのでは、「一度体験のある最終解脱」という表現を使った説法があります。さらに、最終解脱の上に、最終完全解脱がある、としています。

 よって、麻原氏の説法を精密に分析すると、麻原氏自身が、
1完全な解脱(最終完全解脱)をしたわけではなく、
2「最終解脱」とは完全な解脱を意味せず、その手前であり、
3しかも、その「最終解脱」の状態も、一度体験しただけである、
 ということが分かるのです。

 そして、弟子も同じように、オウムの修行では、極厳修行や集中修行で何か一時的に体験するものの、その後が続きません。信徒さんも、セミナーの時は何かしら体験しますね。

 しかし、自分が思うには、真の悟りは、ヨーガ行法やグルイズム的な手法だけではなく、それは否定しませんが、それよりも重要なことは、日頃の物の考え方を、徹底して一元的になるように訓練し、それを長年積み上げてこそ、得られるものなのかな、と、今は、考えています。

 よって、麻原氏が解脱していたかどうかは、解脱の定義によりますが、チベット密教的な定義、カールリンポチェ師的な定義では、解脱ではないでしょう。
 「解脱的な状態」の一時的な体験を解脱といえば、解脱ですが、それは、オウム的な定義であり、オウム以外で通用しないでしょう。」』

*シヴァの喜びさんによれば「ヨーガ的にでさえ解脱ではない。」そうです。

感染症大丈夫?

2007-04-04 22:58:31 | Weblog
 VT正悟師のブログに、三百太郎さんという方からのコメントで感染症のことが書かれてありました。私のところにも、その情報が入っていたので、VT正悟師に質問してみたのですが、なぜか返信がありませんでした。
 今回また、別な方から今回の感染は、「ノロウイルス」であるという情報を得ました(実際は病原性大腸菌による感染性胃腸炎です)。サマナと支部の信徒の健康を考えて、正悟師には、事実をすみやかに明らかにしていただきたいと思います。それと、このブログをご覧になったA派の信徒さんは(あまりいないと思うけど)、皆さんに感染症対策をしっかりやるようにお伝えいただければと思います。
 道場で出される食事などは、火が通っていないものは口にしないほうが良いかもしれませんね。それと、道場から家に帰ったら、手洗いをしっかり行っていただきたいです。今回は、VT正悟師から何かお答えいただけることを期待しております。

 以下にVT正悟師のブログに書き込んだ内容を転載しておきます。コメントの流れから、元サマナの方のコメントも一緒に転載させていただきます。

「感染症大丈夫ですか?」

>陰口を叩くのも叩かれるのもご自由ですが、八潮や足立施設に住んでる方には、感染症にはくれぐれも気をつけてくださいねと心よりお祈り申し上げます。

三百太郎さんからこのようなコメントがありましたが、
実際VT正悟師のいらっしゃるところも、
感染症が流行っているそうですが大丈夫なのですか?
光音天は感染症が流行っているので、
サマナを集めての修行が出来なくなっていると聞いていますが、
そんなにひどいのでしょうか?
以前結核患者が出て隔離騒ぎも起きましたが、
また結核患者が出たのでしょうか?
それとも別の感染症ですか?
アーレフ道場の換気の悪さと不潔な環境が原因だと思いますが、
対応策は練られているのでしょうか?

2007/04/02(Mon) 22:38 | URL | 白龍 #-[ 編集]

「光音天の環境について」

>感染症が流行っているそうですが大丈夫なのですか?
光音天は感染症が流行っているので、サマナを集めての修行が出来なくなっていると聞いていますが、
そんなにひどいのでしょうか?

あれだけ換気の悪いせまい空間に何十人もの人が集まって、大声で立位礼拝したり、呼吸法を行なっているわけです。

当然冬は風邪にかかる人たちが続出しました。

空気が乾燥しないために加湿器をたくさん稼動していましたが、それでも風邪にかかる人は出ました。

光音天は首都高速と大通りのすぐそばにあり、裏には
配送会社がありトラックがよくアイドリングしています。

つまり、排気ガスがすごい環境にあります。

窓を開けると排気ガスが大量に入ってきます。

ですから換気はフィルターを使った換気扇で行なっています。

>アーレフ道場の換気の悪さと不潔な環境が原因だと 思いますが、対応策は練られているのでしょうか?
 
 光音天の立地条件・建物の構造から言ってあれ以上の対応は無理です。

 ちなみにわたしがいた頃は、冬になっても蚊がたくさんいて修行者達は困っていました。

 温かい建物内でボウフラが年中発生していた可能性があります。

 今でも光音天には蚊が発生しているんだろうか?
2007/04/03(Tue) 11:07 | URL | 元サマナ #-[ 編集]

「感染症」

>感染症が流行っているそうですが大丈夫なのですか?
>光音天は感染症が流行っているので、
>サマナを集めての修行が出来なくなっていると聞いていますが、
>そんなにひどいのでしょうか?

なぜかこの件に関して何も正悟師から返答が無いようですが、
感染症がノロウイルスだという話が聞こえてきました。
VT正悟師いかがですか?事実でしょうか?

ノロウイルスは、以前に世間でも感染者が多く出て、
ニュースでもずい分騒がれました。
ノロウイルス自体は、どこにでもあるウイルスですが、
発症すると下痢、嘔吐、発熱などが起きます。
通常は二日くらいで治りますが、
身体の弱っている方や老人には命取りになる場合もあります。
感染力が高く、集団発生するので、
昨年からずい分メディアで取り上げられていました。

サマナの修行受け入れが出来ないくらい発症しているのでしょうか?
当然サマナが各支部に移動する場合もあるわけですから、
信徒にも、その件を通知し、
道場で火を通さないものは口にしないとか、
道場から帰ったら手洗いを必ずするようにとか、
通達を出されたらいかがでしょうか?
そして、症状が現れたときには、
すぐ病院に行くよう勧め、
道場にも連絡を入れさせるようにすべきです。

VT正悟師の名で通達が出せないなら、
このブログを使って、信徒に情報を伝えればよろしいのではないでしょうか?
楽しいブログも良いですが、
大事なことを伝えることに利用されても良いのでは?
2007/04/04(Wed) 21:43 | URL | 白龍 #-[ 編集]

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 ブログ記事掲載後に、VT正悟師から返信がありました。よって、ここの文章は後からの付けたしです。

 原因は「病原性大腸菌」(良性)による、「感染性胃腸炎」だそうです。詳しい内容はまだ分かりませんが、ノロウイルスやO157ではないようです。毒性は薄いのかもしれませんが、それでも感染力はあるのでしょうから、皆さんで注意されたほうが良いですね。「ノロウイルス」と書きました部分は、間違いと言うことで訂正させていただきます。

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アーレフ脱会届提出

2007-04-02 22:15:17 | Weblog
 信徒のアーレフからの脱会に関してさっぱり何も言ってよこさないので、問い合わせしましたら、ようやく信徒の脱会手続きを行うようです。信徒から言われないとなかなか動いていただけないようですな。

 本日付でアーレフに脱会届を書いて仙台のサマナに郵送しました。明日には届き、他の信徒さんのものとまとめて、アーレフ本体の新代表の野田さん宛に送られることになるようです。それで、アーレフからの脱会が完了します。

 脱会届の書式は決まっているのですね。結婚や離婚届も紙切れ一枚でしょうが、脱会届もずい分簡単なものです。便箋一枚で18年間慣れ親しんだ、オウム・アーレフの教団から完全離脱します。以下に書式をあげておきます。


『宗教団体アーレフ代表役員 殿

                脱 会 届

 
 私は、宗教団体アーレフを脱会しますので、ここにお届けいたします。


住所


氏名                   印


生年月日


脱会日                                      』


 さて、脱会した信徒はどうなるのですかと、信徒さんから当たり前の質問があったそうです。当然出てくる質問ですから、質問が出る前に全国の信徒に知らせるべきだと思うのですが、どうも後手に回っているようです。

 新団体が立ち上がった暁には、新会員は10000円の入会金。元からの信徒は、ありがたいことに特別価格で半額の5000円の入会金で会員になることが出来るそうです。ただし、現在の信徒さんの中には、5000円の入会金を一度に支払うことが出来ないような経済状況の方も多数いますので、これまたありがたいことに、しばらく支払いを猶予していただけるそうです。皆さん、なけなしのお金を貯めて、新団体のために5000円を支払っていただけるものと思っております。がんばってください。

 無料体験者の制度も存続するそうなので、お金が払えない方は、無料体験者となり、お金が出来るまで待機しているという手もありますな。(笑)