なんでも極限の好きなオウム・アーレフだが、ついには極限の歌なるものまで作ってしまった正悟師までいた。あの歌は、なかなかテンポが良くて、「きょくげ~ん!きょくげん!きょ~くげん~!」というさびの部分は覚えやすくて良かったけど、教祖に70%の力でしか生きていないと言われた私には、実践するのが難しかった。
修行も極限で出来ていれば、今頃私も出家していたことだろう。しかし、そうなると、今頃A派で「尊師とシヴァ大神は同体なんですよ!グルは絶対です。上祐は大魔境です!」などと叫んでいたかもしれない。まあ、ほどほどで良かったのかもしれない。
極限と言えば、思い出すのが、極限の蓮華座である。これは、自分でやる分には、我慢大会なのだが、人にやられると、拷問に変わるという代物である。普通の人は、蓮華座を組むのもなかなか大変だと思うが、慣れてくると少しずつ長く組めるようになってくる。私などは、ぜんぜん組めない部類だが、普通の蓮華座だったら、なんとか誤魔化しながら、1時間くらいは、組むことが出来た。
もちろん成就者の中には、何時間とか、何日とか蓮華座を組み続ける人がいて、それらの人達は、私にとって文句無く称賛に値する人達であった。信徒のおばちゃんでも、セミナーに出て、8時間初めて組みましたなどという話を聞くと、「え~、8時間~!そんなに支部で組んだこと無かったのに、すご~い!」と称賛と嫉妬の入り混じった感想を抱いた。セミナーは皆で一緒に、師に気合をかけられながらやるので、なんとか普段より長く組めるような気がするが、それでも2時間はいかなかった。
極限の蓮華座を組む時は、蓮華座を組んだ後、両膝が平行になるくらいまで紐でしばりあげて行う。中には、逆八の字になるまでしぼりこむつわものもいる。最初の頃は、皆紐でしばっていたのだが、そのうち誰かが、ホームセンターから、レンチ付の紐を買ってきて、それで、足をしばりだした。そのほうが、きっちり足がしめつけられるので、これは良いと、皆でその方法を採用しだした。蓮華座を組んだ後で、レンチでキコキコ足をしぼりあげ、一人SMをやるのである。
この状態で、ひたすら我慢するのだ。最初のうちは、結構足が気持ちよくて快適なのだが、そのうち足がしびれてくる。しびれをしびれと感じているうちは、まだ大したことがないのだが、しだいにそれが痛みに変わってくる。そこからいかに時間を伸ばすかが勝負である。本来は、背筋をピンと伸ばし、腰を入れて、きれいな姿勢で座法を組まなくてはならないのだが、痛みが増してくると、そんなことを言っていられなくなる。身体をこんにゃくのようにユラユラ揺らしてみたり、身体を前に倒したり、腿をこぶしで叩いてみたり、じっとしていられなくなってくる。
そうすると、師に「がまん!がまん!痛いのは、地獄のカルマですから、落とさないと!」と言われ、叱咤激励される。VT正悟師などは、「痛いのは思い込みですから、痛くないと思えば良いのですよ。」とマハームドラー成就者ならではのアドバイスをいただいたが、くーーっ!!だんだん声も出なくなってくる。
そのうち、自己の極限状態になってくると、呼吸が荒くなって酸欠状態になって、吐き気がしてきた。もうだめだというところで、紐をはずしてしまったら、まだ45分くらいであった。その後は、もうしばらく、極限でやるのを控えてしまった。
サマナから、サマナの縛り蓮華座は紐で足を縛ったあと、手も縛るのだと教えられた。後ろ手にして縛るのだそうだが、その恐怖は相当なものだと想像できる。支部のサマナに聞いたら、まさに地獄絵図、阿鼻叫喚地獄であったと言っていた。そのうちに、指を縛ってはいけないというお達しが出たらしい。その理由は、あまりの足の痛みに、縛ってある指を、引きちぎってしまう可能性があるので、手を縛ってはいけないということになったそうである。
その話を聞いた時、出家者になるのは、ぜーーったいやめようと思った。しかし、ニグローダ師はそんな、過酷な縛り蓮華座に3回も放り込まれ、放置されたと聞いた。すごすぎる。あの方は、事故に遭って、頭から脳漿を垂らしながらも、「大丈夫、大丈夫。」と救急車に乗り込むくらいの人だから、しばり蓮華座3回くらい平気だろうと放りこまれてしまったのだろうか?単なる、いじめでやられたのだろうか?誰かが、師も最後は死んだ魚のような目をしていたと言っていた。
その後、セミナーで極限の縛り蓮華座大会があった。確か事件後である。サマナの極限の蓮華座大会の流れで信徒にもやらせたのかもしれない。カルマが落ちると、足の痛みが撤退し、しだいに痛みからしびれに変わり、痛みが移動を始め、最後は指先が痛くなってそこから抜けて、痛くなくなってしまうらしい。そういう人が何人か出てきていた。それはすごい体験であったと思う。しかし、大部分の信徒は、極限の痛みを味わって、身をよじっている。みんな涙を流し、歯をくいしばって我慢していた。
最初のうちは、理性があるので、師の、「はずさないで頑張りましょうね。」などという言葉にも、笑って誤魔化していられるが、そのうちそんな言葉はどうでも良くなってくる。紐をはずしたくてたまらなくなってくるのだ。周りでも、皆同じ状態である。
そのセミナーは事件後に行われたセミナーで、教祖代わりに、猊下方がグル役を引き受けていた。そのため、皆痛みを引き受けていただこうと、ひたすら「げいかー!げいかー!」と大声で叫び始めた。猊下の大合唱である。大声を出すと、痛みが和らぐのかと思い、私も、皆に合わせて、涙を流しながら「げいかー!げいかー!」と叫んでみた。確かに、気は紛れたが、さっぱり痛みは去らなかった。幼児二人に、痛みをとってもらおうという根性が、間違っていたと後で反省した。後で聞いたら、天井近くの窓を指して、「あそこの窓から、猊下が二人して、のぞいていました。」などと言っていた信徒がいた。のぞいていても、痛みをとってくれなくては、意味無いじゃん。
いよいよ足が痛くなって、はずそうとすると獄卒の師がすぐ飛んできて、私の場合は、3人がかりで押さえ込まれてしまった。最後は師とけんかである。それでもはずせなくて、ついに意識がぼんやりしてきたりしたが、それでもしばらく我慢していた。さすがに、もうだめだと思って、師が離れたところを見計らって、すばやく紐をはずした。師からは、「え~、もうはずしちゃったの~。」といわれたが、何を言われても、はずした後の安堵感で一杯だった。
あれ以来極限のしばり蓮華座はやっていない。
修行も極限で出来ていれば、今頃私も出家していたことだろう。しかし、そうなると、今頃A派で「尊師とシヴァ大神は同体なんですよ!グルは絶対です。上祐は大魔境です!」などと叫んでいたかもしれない。まあ、ほどほどで良かったのかもしれない。
極限と言えば、思い出すのが、極限の蓮華座である。これは、自分でやる分には、我慢大会なのだが、人にやられると、拷問に変わるという代物である。普通の人は、蓮華座を組むのもなかなか大変だと思うが、慣れてくると少しずつ長く組めるようになってくる。私などは、ぜんぜん組めない部類だが、普通の蓮華座だったら、なんとか誤魔化しながら、1時間くらいは、組むことが出来た。
もちろん成就者の中には、何時間とか、何日とか蓮華座を組み続ける人がいて、それらの人達は、私にとって文句無く称賛に値する人達であった。信徒のおばちゃんでも、セミナーに出て、8時間初めて組みましたなどという話を聞くと、「え~、8時間~!そんなに支部で組んだこと無かったのに、すご~い!」と称賛と嫉妬の入り混じった感想を抱いた。セミナーは皆で一緒に、師に気合をかけられながらやるので、なんとか普段より長く組めるような気がするが、それでも2時間はいかなかった。
極限の蓮華座を組む時は、蓮華座を組んだ後、両膝が平行になるくらいまで紐でしばりあげて行う。中には、逆八の字になるまでしぼりこむつわものもいる。最初の頃は、皆紐でしばっていたのだが、そのうち誰かが、ホームセンターから、レンチ付の紐を買ってきて、それで、足をしばりだした。そのほうが、きっちり足がしめつけられるので、これは良いと、皆でその方法を採用しだした。蓮華座を組んだ後で、レンチでキコキコ足をしぼりあげ、一人SMをやるのである。
この状態で、ひたすら我慢するのだ。最初のうちは、結構足が気持ちよくて快適なのだが、そのうち足がしびれてくる。しびれをしびれと感じているうちは、まだ大したことがないのだが、しだいにそれが痛みに変わってくる。そこからいかに時間を伸ばすかが勝負である。本来は、背筋をピンと伸ばし、腰を入れて、きれいな姿勢で座法を組まなくてはならないのだが、痛みが増してくると、そんなことを言っていられなくなる。身体をこんにゃくのようにユラユラ揺らしてみたり、身体を前に倒したり、腿をこぶしで叩いてみたり、じっとしていられなくなってくる。
そうすると、師に「がまん!がまん!痛いのは、地獄のカルマですから、落とさないと!」と言われ、叱咤激励される。VT正悟師などは、「痛いのは思い込みですから、痛くないと思えば良いのですよ。」とマハームドラー成就者ならではのアドバイスをいただいたが、くーーっ!!だんだん声も出なくなってくる。
そのうち、自己の極限状態になってくると、呼吸が荒くなって酸欠状態になって、吐き気がしてきた。もうだめだというところで、紐をはずしてしまったら、まだ45分くらいであった。その後は、もうしばらく、極限でやるのを控えてしまった。
サマナから、サマナの縛り蓮華座は紐で足を縛ったあと、手も縛るのだと教えられた。後ろ手にして縛るのだそうだが、その恐怖は相当なものだと想像できる。支部のサマナに聞いたら、まさに地獄絵図、阿鼻叫喚地獄であったと言っていた。そのうちに、指を縛ってはいけないというお達しが出たらしい。その理由は、あまりの足の痛みに、縛ってある指を、引きちぎってしまう可能性があるので、手を縛ってはいけないということになったそうである。
その話を聞いた時、出家者になるのは、ぜーーったいやめようと思った。しかし、ニグローダ師はそんな、過酷な縛り蓮華座に3回も放り込まれ、放置されたと聞いた。すごすぎる。あの方は、事故に遭って、頭から脳漿を垂らしながらも、「大丈夫、大丈夫。」と救急車に乗り込むくらいの人だから、しばり蓮華座3回くらい平気だろうと放りこまれてしまったのだろうか?単なる、いじめでやられたのだろうか?誰かが、師も最後は死んだ魚のような目をしていたと言っていた。
その後、セミナーで極限の縛り蓮華座大会があった。確か事件後である。サマナの極限の蓮華座大会の流れで信徒にもやらせたのかもしれない。カルマが落ちると、足の痛みが撤退し、しだいに痛みからしびれに変わり、痛みが移動を始め、最後は指先が痛くなってそこから抜けて、痛くなくなってしまうらしい。そういう人が何人か出てきていた。それはすごい体験であったと思う。しかし、大部分の信徒は、極限の痛みを味わって、身をよじっている。みんな涙を流し、歯をくいしばって我慢していた。
最初のうちは、理性があるので、師の、「はずさないで頑張りましょうね。」などという言葉にも、笑って誤魔化していられるが、そのうちそんな言葉はどうでも良くなってくる。紐をはずしたくてたまらなくなってくるのだ。周りでも、皆同じ状態である。
そのセミナーは事件後に行われたセミナーで、教祖代わりに、猊下方がグル役を引き受けていた。そのため、皆痛みを引き受けていただこうと、ひたすら「げいかー!げいかー!」と大声で叫び始めた。猊下の大合唱である。大声を出すと、痛みが和らぐのかと思い、私も、皆に合わせて、涙を流しながら「げいかー!げいかー!」と叫んでみた。確かに、気は紛れたが、さっぱり痛みは去らなかった。幼児二人に、痛みをとってもらおうという根性が、間違っていたと後で反省した。後で聞いたら、天井近くの窓を指して、「あそこの窓から、猊下が二人して、のぞいていました。」などと言っていた信徒がいた。のぞいていても、痛みをとってくれなくては、意味無いじゃん。
いよいよ足が痛くなって、はずそうとすると獄卒の師がすぐ飛んできて、私の場合は、3人がかりで押さえ込まれてしまった。最後は師とけんかである。それでもはずせなくて、ついに意識がぼんやりしてきたりしたが、それでもしばらく我慢していた。さすがに、もうだめだと思って、師が離れたところを見計らって、すばやく紐をはずした。師からは、「え~、もうはずしちゃったの~。」といわれたが、何を言われても、はずした後の安堵感で一杯だった。
あれ以来極限のしばり蓮華座はやっていない。