一句鑑賞

青蛙おのれもペンキ・・・

最近減ったなと思うことに、雨蛙。

家の周囲でも、あの軽みのある鳴き声があったのに。

それはそうとして・・・雨蛙といえば一番に浮かぶ句は。

青蛙おのれもペンキぬりたてか   芥川龍之介

この句を知ってから自分でも雨蛙の句を考えましたね・・・大した句はできるはずもありません。

さて芥川龍之介といえば思い出すことに大分県臼杵市にある、野上弥生子文学記念館です。ホームページよりの紹介文ですが・・・

>野上弥生子は、明治18年(1885年)臼杵市の酒造業の代屋(現小手川酒造)二代目小手川角三郎とマサの長女として生まれました。
幼少期は、自家の周辺で郷土色豊かに過ごしました。14歳で勉学のため上京し、明治女学院に入学し、卒業後21歳で同郷の野上豊一郎と結婚しました。
夏目漱石を師とする夫の文学的環境の中で小説を書き始め、文学者としての道を歩きだしたのです。以後、99歳まで現役作家として、「海神丸」「真知子」「迷路」など多数の作品を発表しました。
昭和39年に「秀吉と利休」で女流文学賞を受賞し、昭和46年には文化勲章を受章しました。
昭和47年に87歳で長編「森」の執筆にとりかかりましたが、最終章をわずかに残して昭和60年ご逝去されました。
弥生子を偲び遺徳を顕彰するため、生家である小手川酒造の一部を改修し、「野上弥生子文学記念館」を開設しています。<

漱石のお家にご主人と出入りしていたのでしょうね、そこで芥川龍之介と知り合い住まいが近いとのことで密な親交があったようです。

野上弥生子文学館には展示がいろいろとありましたが、私が一番驚いたものは漱石宅の玄関に置かれていた画帖ですね。この画帳は漱石に面会に来た人が時間つぶしに書き込んでいたものだそうです。ちょうど開いてあるページが龍之介の柳だったか、それに飛びつく蛙の絵だったと思うのですが・・・否、竹の絵だったか?墨筆でみごとなものでした。私は驚いて受付のご年配の方に、凄いものがあるのですねと興奮して話しかけた記憶があります。

弥生子の生家は小手川酒造という酒屋ですから、実家からお酒など東京住まいの弥生子に送り、龍之介なども飲んだりしたのではと空想が拡がりましたね。

例句の、ペンキ塗りたてですが、若くして文壇に出始めた芥川にいろんな論評があったと思われます。それを、自分を青蛙に例えてこの句を作ったのではと、そのときに思ったものでした。

有名な・・・水洟(みづばな)や鼻の先だけ暮れ残る

の短冊も展示してました!感動でしたね(笑)

臼杵市、他にも意外な出会いもあり、いくつかある好きな街のかなり上位の街なんです。また行けるとしたら、文学館に一番に行きます!

己が手に似た葉をえらび青蛙

といったところで・・・

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