気ままな推理帳

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山下吹(16) かたけ物 と かたけ吹

2020-11-01 09:25:52 | 趣味歴史推論
 山下吹(2)2020-07-19 では、かたげもの と 足り物 の解釈を以下のように書いた。
「宝の山」の「摂津多田銀山  堅ゲ物 但し足り物、則山本にて鍰(しぼり)取り、銅大坂へ上る。」を読んで、
「堅ゲ物(かたげもの)」とは、多田銀山の銀は「銀堅気(ぎんかたげ)の品質のものである」といっていることである。「鉱山聞書」(1785)によれば 銀堅気とは「銅の気交じりて色黒く成りたる」銀のことである。2)銀は本来白銀色で軟らかいものであるのに対し、銅(あるいは別の金属かもしれない 筆者)が少し含まれているため堅い(硬い)ものになっていると筆者は推測する。黒くなるということから、不純物として銅だけではなく他の(金属)不純物も含まれていたのではないかと思う。堅ゲ物(かたげもの)は、大坂の銅吹屋において、合吹・南蛮吹・灰吹されて得られた(純)銀に比べ品質が一段劣るとして低価格であった。但し、銀の含量は基準を満たしていたので「足り物」であった。」
すなわち「かたげものは、銀カタゲそのものを意味していること、足り物は、銀の品質が基準を満たしていること」を意味しているとした。
しかしその後、この解釈は間違っているかもしれないと思うようになったので、本ブログ以降で再考する。

「宝の山・諸国銅山見分扣」で「かたけ吹、堅ケ吹」および「かたけもの、堅けもの、堅ゲ物」をすべて拾い出した。以下の1~17(Pはぺージ数)である。

1. P5 摂津多田銀山 堅ゲ物 但し足り物、則山本にて鍰取、銅大坂へ上る。右請負の儀、場所望次第、明りにて𨫤通り見立、公儀へ願候えば見分被成、50間限に法地立て相渡る、但土底獄法地なり、證文取之候て、吹屋その外人数相極め候、見立候はば、山先料1ヶ月45匁づつ、右中間より取之候、運上は吹屋より出之、鉑は36貫目を1駄と定売買致之、床は山下吹に仕候。

2. P67 石州邑智郡出羽村組見分所 享保10年見分 ・都賀西村の内 橋かたを(橋ケ峠)二ヶ所 島根県邑智郡美郷町都賀西橋ケ峠
 但一ヶ所は細鉉にて、7,8間切見申たる由、今一ヶ所は横𨫤にて、丈夫に相見え、明りに4,5寸皃鏈𨫤の内だけ有之候、これも所の百姓取付の時分、6,7人中間にていたし、銀山下財をやとい稼見候由、しかれども鉉台より高く仕掛け申候故、鏈に逢候事おそく、もっとも鏈逢吹候所、銅に相成候由、かたけ物と相見え、則右山稼候九郎右衛門と申もの存命に居申、このものの噂にて候、---

3. P69 石州美濃郡美濃町都茂 都茂村の内 ・かちじ 古鋪 但堅ケ物、いにしえは銀山と相見え、竜頭共には上石金少しづつ相見候、これも丸茂村次郎兵衛この節稼居候、敷内南かづきよく見え候、午未へ向かって下り見申したくものにて候。

4. P78 播磨神崎郡神崎町作畑 ・作畑山  かたけ物 元文3年(1738)より初る 山師生野の吹屋

5. P102 備後深安郡神辺町三谷 三谷鉛山 元禄11年(1698)福山落去より後、御代官所
・𨫤北南へ・北の方元禄末、三谷庄屋六郎右衛門稼申由、これも段々水貫有之、下口稼ぎ申由、赤銅金・銅鉑・石銀・からす、堅ケ物

6. P102 備後・さとも 銅鉑に石銀
 右は福山医者・紺屋・所の庄屋3人ともに稼ぎ申候由、給銀にて候故、1倍ならでは堀申さず由、直段に成り候わば、3杯も掘べく申す由。かたけ吹、床尻に成り候由、鈹らしきものはまた跡へ仕掛け、鉑吹に仕候由、6貫目難波吹・灰吹致し候えば、80匁銀有之、これを内、2割引き白銀に遣候由。
右の通、宝永5年(1708)夏まで稼申候由。

7. P104 備後佐草の内坂田銅山 神石郡三和町時安 古山
但北南共に見分、勿論北ノ谷は新引割、ぬたに白物、梅ノ木同前之鉉見え申候、この方へ向かい申さず候。
P106 備後坂田銅山 神石郡三和町時安 仕からし
 但堅ケ物、むかし米安く、福山領内稼申由、牛馬に焼け煙吹、煙あたり申すと村方より申立、福山公儀より御留候由。

8 P294 乙本異文
備後佐草銅山 元禄午年(元禄15年(1702)か) 八右衛門・弥次右衛門、山留六右衛門案内にて、罷越、見分致候処、先年吹からみ皆堅ケ吹にて候由、勿論𨫤通りねば𨫤にてとくけ見へ申由。

9. P104 備後甲奴郡総領町五箇  五ヶ村牛子谷銅山 見分 元禄16年(1703)3月 儀右衛門・弥次右衛門・山留八郎右衛門
 牛子谷銅山𨫤通北南、元禄7,8のころ堀子一丁前にて牛子谷組頭甚右衛門取立分にて、麦為喰入谷沢端へ引渡し候。𨫤のうちより水際かう口明け、4,5尺ばかり下4間ほど南へ走り有りの由、見分の時分間符口川底へ成り候、右の所明かり見分仕候処、びりはへはみ出しにて候。
右の所より一丁ばかり奥に堅ケ物𨫤、これも北南へ通る、これ右の比より沢端より引割、𨫤の内より口明ケ申由、上競取候間は吹分り、銅も鉛も少々取候由、---

10. P158 備後永野銅山 神石郡神石町永野  奥平大膳大夫様御領分備後國神石郡
・𨫤筋東西北被、堅ケ物、𨫤筋丈夫に見え候、明り山形も大躰に御座候。

11. P173 備中相野山 古鋪
 但四ツ留より走り30間下り、12間水仕上ゲ有之候えども、走り分は明り見分致す、銅はかたけもの走りより出有之候、下り詰は一向火燈り申さず故、相止め有之、8間程四ツ留より下り、水抜2間切掛有之候、取明見分も致したき場所也。

12. P174 備中いばら笹か谷 古鋪 井原市笹賀町
但銅𨫤かたけ物、取明け見分致す、走り1間程掘、鉉に合居申候えども、庄屋田地の内有之、自分に掘掛申候えども、元銀無数、相止め居る、これは今少走り申たき場所。

13. P175 備中セイサコ土琤(そう)鋪 井原市清迫(いばらしきよさこ)
但走り70間、下り30間、下り詰よりまた山向へ20間、引立に𨫤巾2尺面有りは、石かねかたけ物、別して思入無之候。

14. P175 備中セイサコ姫路領の内古鋪 井原市清迫
かたけもの𨫤、四つ留より4間程行、引立模様よろしく候えども、庄屋・百姓も出合有之、相止め居る、見分よろしく候。

15. P175 備中いはら川之上
但新山明り見分、かたけ物の様に相見え申候、脇石は珍しき石有之、これまで見及び申さず候、模様よろしく相見え申候えども、𨫤筋細く御座候。

16. P175 安芸広嶋飯室 新口 広島市安佐北区安佐町飯室(あさちょういむろ)
かたけ物、明り見分ばかり、望なし。

17. P194 作州久世早川八郎左衛門様(天明7年~享和元年(1787~1801))御代官所
備中簗瀬鉛山二ヶ所見分の次第
・三蔵間符立𨫤、巾3尺程小𨫤共3本走る、四ツ留口針先酉、1丈竹樋12丁下る、四棚操水3人懸り西向、切地よろしからず由にて樋11丁目より跡向東走り直す、直に石8間切、銅金石金逢銅金巾6尺程、所々に石かね少々ずつ有之候、引建針先卯、切地4丁前有る。
・灰吹は与井村七郎治方にて致候也、孫十郎儀、この節作州へ帰り有之、留主番1人・山留1人上座に詰る。
右鋪仕替も致候わば、引立もよろし、銅金面鉑に直り候時は、太く、かたけものに御座候、当時銀主困窮致候由、横番・水引にてしだいに7,8人ならでは得かこい申さず候、丈夫に懸候はば、相応に合べく申し候、灰吹銀御買上1割8歩に御座候由。

1~17の鉱山の場所を地図に示した。→図

解析と考察
1. 書き方で分類すると
 かたけ物  6ヶ所 (2 4 12 13 15 16)      
 堅ケ物   4ヶ所 (3 5 9 10)          
 かたけもの 3ヶ所 (11 14 17)          
 堅ゲ物   1ヶ所 (1)                 

 かたけ吹  1ヶ所 (6)               
 堅ケ吹   1ヶ所 (8)                 1
 以下は一番多い「かたけ物」と表示する。
2. 「かたけ吹」は、多田銀山だけでなく、備後のさとも(6)、佐草銅山(8)でもしていたことが分かった。
3. 「かたけ物」とは何であろうか。
 ヒントになりそうな文として以下のがある。
   9(牛子谷銅山)では「右の所より一丁ばかり奥に堅ケ物𨫤、これも北南へ通る」とある。
  10(永野銅山)では「𨫤筋東西北被、堅ケ物、𨫤筋丈夫に見え候」とある。
  11(相馬山)では「 銅はかたけもの走りより出有之候」とある。
  12(いばら笹か谷)では「銅𨫤かたけ物、取明け見分致す」とある。
  14(セイサコ姫路領の内古鋪)では「かたけもの𨫤、四つ留より4間程行、引立模様よろしく候えども」とある。
  15(いはら川之上)「新山明り見分、かたけ物の様に相見え申候」とある。
  17(簗瀬鉛山)「銅金面鉑に直り候時は、太く、かたけものに御座候」とある。
 これからわかることは、𨫤や鉱石を見分して「かたけ物」と記していることである。すなわち𨫤(鉱脈)を形成する鉱石についての言い方である。ではどのような鉱石をさすのであろうか。
「銀かたけを生む銅鉱石」と推定するのであるが、「岩盤が硬い銅鉱石」を指している可能性もある。
「足り物」とは、「掘るに足るもの すなわち掘る価値のある鉱石」を意味するのではないだろうか。
4. 「宝の山・諸国銅山見分扣」には日本全国、奥州、中部、近畿、中国、四国、九州の 鉱山、銅山について書かれているのだが、「かたけ物」は、多田以西・中国地方の鉱山にのみ見られることがわかった。地質的に鉱脈、鉱石に特徴があるのだろうか。それとも別の理由か。

まとめ
「宝の山」に書かれた「かたけ物」は多田以西・中国地方の14ヶ所の鉱山にのみ見られる。「かたけ物」は「銀かたけを生む銅鉱石」と推定するが、「硬い銅鉱石」の可能性もある。まだ結論しがたい。

「かたけ」という語は、「かたけ物」「かたけ吹」「銀かたけ」「かたけ」に見られるが、これら四つは同じ意味で用いられているのであろうか。関連しているのであればどれが元であるのか。明らかにしたい。

注 引用文献
 住友史料叢書「宝の山・諸国銅山見分扣」(住友史料館 平成3年12月 1991)
 図 かたけ物・かたけ吹 の鉱山一覧(「宝の山・諸国銅山見分扣」より作成)