気ままな推理帳

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江戸期の別子銅山の素吹では、珪石SiO2源の添加操作はなかった?(16)

2020-07-05 08:21:58 | 趣味歴史推論

 江戸時代の鉱山の技術書で、素吹で珪石が添加されている記述がないかを調べている。
佐渡奉行所が文化文政(1804~1829)の頃、経営や技術をまとめた「独歩行(ひとりあるき)」を調べた1)。そのなかで、銅山技術が書かれた「銅山勝場(せりば)」の関係ありそうなところのみを抜粋して以下に示した。( )は筆者書き入れ。

3. 銅鏈粉成(こなり)方之事
 ・(選鉱)略
 ・(焙焼)日々取揚げ溜置き候汰物、先々迄打合せよく切り交ぜ焼立申候。この焼方土にて高さ3尺程、四方3尺余に塗り揚げ候竈に炭を入れ、汰物(ゆりもの)貫目掛改、帳面に記し候上にて握り堅め、右竈の内へ積込、その上へ古叺(かます)を打掛け候えば、竈の下より風吹込み自然と蒸焼に相成申候。よく焼候えば煙立止り候につき、とくと火気をさまし竈より取揚げ、貫目なお又掛改め候えば、大概2割程の焼欠相立申候。これを焼汰物と唱え追って吹入申候。
4. 焼汰物荷吹之事
 (仕込)
     焼汰物     4貫目
     鉛       400目
     銅       200目
     柄実(からみ) 1貫500目
 この揚り(生成物)
     銅皮8~900目程
     湯折(ゆおり)600目程
   この湯折と申すは鉛銅鉛の塊り候を申候。焼汰物その外の品々を湯に吹卸し候意にて湯折と唱え申候。
 右4口を掛り役人見届け、貫目帳面に記、荷吹床へ為吹入申候、床掘り方の儀は、須灰(すばい)にておのれと窪く指し渡し、向え6寸横へ1尺2寸、深さ7寸程に炉を造り、矢炭と唱え長き丸炭を並べ、その上へ細かなる炭を置き、合鉛・柄実・地銅を吹入申候。銅汰物の儀は銀汰物と違い、嵩多に吹入につき、火勢強く無き候にては、吹き解け申さず候につき、フイゴは大坂表より宜品指下し仕付け申候。よく吹き解け候えば火をはね、箒にて水を打ち、炉の中へ浮み候「どぶからみ」をどぶ掻きにて掻き捨て候えば、地銅は湯に成り残り申候。この吹方を地吹と唱え、さてまた炭を並べ鉛焼汰物を掛けよく吹き解かし、前条の地吹同様火をはね、水を打ちどぶ柄実を掻き捨て、その節は銅皮を片取り、これを1番皮と唱え、皮片しまい湯色相見え候節、水を打ち冷やし地銅鉛を下り堅り候を取り揚げ、これを湯折(ゆおり)と唱え、この吹方を二つ吹と号し、1日大概6挺吹立候内、5挺迄は右同様の仕法に吹立て、6挺目は銅皮片取り候後、湯折そのまま指し置き、なおまた炭を掛け、5挺分片取り溜し置き候銅皮を打ち砕き、銅100目・鉛50目指し加え吹き入れ、よく吹き解かし候節火をはね、「どぶからみ」を掻き捨て、またまた銅皮を片取り、これを2番皮と唱え溜め置き、追って荒銅に吹立申候。さて2番皮片取り候後、水を打ち冷やし湯折取り上げこの吹方を「掛け返し吹」と唱え申候。

考察
 佐渡では銅鉱に含まれた銀を取り出す点を基本に荒銅つくりの方法が組まれているのであろう。通常の素吹にあたる荷吹(にぶき)では、大量の鍰(からみ)のリサイクル仕込みが行われている。「4口を掛り役人見届け、貫目帳面に記す」とあるから、仕込の物は4種しかなく、この中に「珪石」はないので、明らかに珪石の仕込はなかったと言える。
  
まとめ
「独歩行」には、荷吹(素吹)での珪石添加はなかった。

注 参考文献
1. 作者不詳「独歩行」の内の「銅山勝場」 三枝博音編纂 日本科学古典全書 第10巻 「第3部 産業技術篇 採鉱冶金(2)」p439~455(朝日新聞社 昭和17年 1942)
 佐渡鉱山の経営、採鉱、製錬、貨幣製造等の技術や記録が書かれた報告書の集まりである。記録年代は記されていないが、内容から見て、文化の終わり頃から文政年間にかけてできたものと思える(三枝博音)。
・勝場(せりば)とは粉成・吹立を行う製錬所のこと。(歴史民俗用語辞典)