我が家の近くで、自動車事故が起きるのではないかと危惧するのには、理由がある。
10数年前になるが、母親が、旧登米高等尋常小学校の前の横断歩道を渡っている時に、勤務を終えて帰宅をいそぐ町役場の職員に轢かれ、瀕死の重傷を負った。佐沼病院に救急車で運ばれたが、腕などの骨折の中でも、骨盤が二つに割れたのが、出血多量を招き、私が、東京から仙台どまりの新幹線とタクシーを乗り継いで、駆けつけた夜中の2時頃には、医者に、血圧が50まで下がっているから、もう駄目かもしれないと言われ、諦めかけたが、母の気力で奇跡的に生き延びた。80歳の母に手術の為の麻酔をかけるとぼけるからかけられないとのことで、縦に割れた骨盤をつなぎ合わせる為、ハンモックで足におもりをむすばれて半年程吊り下がられていた。轢いたのは、福祉課の小堀某で、母は、当時母子福祉会の会長をしていたから、福祉課の職員たちとは行事のたびに同行して親しかった。一年程入院して足を固定された為、足の指を始め足が変形して地面に足の裏全体がつかなくなっていたので、リハビリになったが、もうこれ以上治らないから、退院するように強制され、やむなく古川の病院兼老人福祉施設に入院させ、リハビしてもらった。しかし、足は元に戻らなかった。自動車事故の保険の申請をしたが、その佐沼の副院長である医者は、足の変形は、元からかもしれないから、と、変形は自動車事故とは関係ないと診断書に書いた。私は、園医者と農協の保険である共済の方との癒着を疑ったが、命は助けられたのだから、それに対して追求しなかった。その福祉課の職員の一人の退勤時の事故であったが、小堀某は、保険金が出ることになった時、事故の直後に支払った一時金を返すように言って来た。私は、その20万だったかを見舞金と思っていたが、返却した。また、役所の職員の退勤時の事故なのに、役所からも見舞金すら貰わなかった。農協の共済掛け金だけで弁償されたのだ。
その職員たちがそのまま、今の市役所職員である。小学校と家の前で起こったりした事故に責任を取るはずがないではないか。
10数年前になるが、母親が、旧登米高等尋常小学校の前の横断歩道を渡っている時に、勤務を終えて帰宅をいそぐ町役場の職員に轢かれ、瀕死の重傷を負った。佐沼病院に救急車で運ばれたが、腕などの骨折の中でも、骨盤が二つに割れたのが、出血多量を招き、私が、東京から仙台どまりの新幹線とタクシーを乗り継いで、駆けつけた夜中の2時頃には、医者に、血圧が50まで下がっているから、もう駄目かもしれないと言われ、諦めかけたが、母の気力で奇跡的に生き延びた。80歳の母に手術の為の麻酔をかけるとぼけるからかけられないとのことで、縦に割れた骨盤をつなぎ合わせる為、ハンモックで足におもりをむすばれて半年程吊り下がられていた。轢いたのは、福祉課の小堀某で、母は、当時母子福祉会の会長をしていたから、福祉課の職員たちとは行事のたびに同行して親しかった。一年程入院して足を固定された為、足の指を始め足が変形して地面に足の裏全体がつかなくなっていたので、リハビリになったが、もうこれ以上治らないから、退院するように強制され、やむなく古川の病院兼老人福祉施設に入院させ、リハビしてもらった。しかし、足は元に戻らなかった。自動車事故の保険の申請をしたが、その佐沼の副院長である医者は、足の変形は、元からかもしれないから、と、変形は自動車事故とは関係ないと診断書に書いた。私は、園医者と農協の保険である共済の方との癒着を疑ったが、命は助けられたのだから、それに対して追求しなかった。その福祉課の職員の一人の退勤時の事故であったが、小堀某は、保険金が出ることになった時、事故の直後に支払った一時金を返すように言って来た。私は、その20万だったかを見舞金と思っていたが、返却した。また、役所の職員の退勤時の事故なのに、役所からも見舞金すら貰わなかった。農協の共済掛け金だけで弁償されたのだ。
その職員たちがそのまま、今の市役所職員である。小学校と家の前で起こったりした事故に責任を取るはずがないではないか。