佐沼城を攻略の後、伊達政宗の家臣の間で、手柄について争論があったと、口論か取っ組み合いかどうかわからないが、中島宗求と原田左馬助の間であったと、『伊達治家記録』に書かれている。一人の中心人物がいて、その部下なり、家臣なりが手柄を争うのはいいが、そういうのは、煩わしいことでもある。芭蕉の弟子1000人といわれたうち、直弟子たちの間でも、芭蕉の晩年に争いがあったという。孤独を愛して、籠るか、旅に出るのを好んだ芭蕉にしてこうである。
誰しも、人間関係をたつことはできないが、インドには、古くから、人生の最期を遊行のうちに終わらせるのを理想とする考えがある。サニヤーサという。しかし、その生き方を全うするのは、インドでも難しいらしい。
誰しも、人間関係をたつことはできないが、インドには、古くから、人生の最期を遊行のうちに終わらせるのを理想とする考えがある。サニヤーサという。しかし、その生き方を全うするのは、インドでも難しいらしい。