和賀氏が実は、殺されたり、自刃したりしていないのではないかと思われるのは、葛西氏最後の殿様である葛西 晴信が、秀吉の奥州お仕置きで、佐沼に立てこもって戦死しているように思われている節があるが、佐沼に立てこもって皆殺しにあったというのは、徹底抗戦した家来たちで、葛西 晴信自身は、越前だったかにお預けになっていて、そこで亡くなっていることである。また、葛西 晴信の弟が、飯野川に封じられて、6代か7代そこで続いた後、廃嫡されているが、その墓が残っている。どうも、こうして見ると、問題の多いのは、家来たちが、その後、ひどい目にあったように噂を流していると思われることだ。
殿様たちは、手厚く遇されているのだ。
和賀忠親夫人が登米の菊田氏に再婚したと、阿部氏がその子孫にお聞きしたというが、菊田氏は、家老ではないそうで、身分の低い一家臣に殿様の夫人が再婚するとは、考えにくい。だから、和賀忠親夫人再婚説も、噂の域を出ないのではないであろうか。
殿様たちは、手厚く遇されているのだ。
和賀忠親夫人が登米の菊田氏に再婚したと、阿部氏がその子孫にお聞きしたというが、菊田氏は、家老ではないそうで、身分の低い一家臣に殿様の夫人が再婚するとは、考えにくい。だから、和賀忠親夫人再婚説も、噂の域を出ないのではないであろうか。