日刊工業新聞の『わが友 わが母校』というコラムで紹介されました。
実は、取材を受けた時は、4月1日号に掲載されるってことだったけど、
4月1日になって、新聞を見ても、どこにも載っていません。
「4月1日だから『エイプリル・フール』だったのか?」
と思わなくもないのですが、記者からも何の連絡も無い。
「締め切りの関係上、急いでいます」
と3月下旬に「どうしても」ということで取材を引き受けたのに、
ちょっと失礼じゃない、コレ。
おまけに「いつ掲載されるのか?」と聞いても「はっきり分かりません」
という頼りない話。
その上、知らない内に紙面に登場していて、数人の知人から、
「日刊工業新聞に出てましたね」
と言われて、初めて知りました。
私にとってとても大切な昔の仲間を紹介したのに、あまりにおそまつな
日刊工業新聞社。
気を取り直して。
掲載された写真は、大学3年の夏休み、自動車部の九州遠征の帰還時に、
大学の兼松講堂の前で撮ったものです。
みんなで、スポンサーの1社だったカー・フェリーの会社からもらった
おそろいのTシャツを着ての記念の1枚。
今より、さらにやせていて、48kgぐらいだったな~。
バックにちらっと写っている遠征に使った車も、日産と三菱にお願いして
借りた車です。
往きは、東京からずっと陸路、山陰の大山、鳥取砂丘、出雲大社などを
回って、九州へ入り。その後は、大牟田だったかのI先輩の実家のキャバ
レーに女子部員も一緒に全員でお世話になり(変な意味ではありません)、
別府、阿蘇、霧島などを、2週間掛けて、ユースホステルに泊まっては、
走り続けました。
鹿児島では、同地出身の後輩のNくんが現地の人と話し出した途端、
同じ日本語とは思えない鹿児島弁に変身して、お互いの言っていることが
一切分からなくなったりもした。
長崎のビアホールでめちゃくちゃ酔っ払わされたこともあった。
同じ長崎のザビエル天主堂では、普段はいい加減なYくんが、急に神妙に
祈りを捧げ出して、びっくり。彼、クリスチャンでした。
帰りの宮崎からのフェリーでは、船に弱いというUくん、フェリーに乗った
途端、布団を敷いて、
「酔わないように、すぐ寝るから、静かにさせてね」
と真顔で言うから、メンバーみんなで大笑い。
懐かしい写真を見てたら、楽しいことをいっぱい思い出しました。
「ああ、青春」ですね。
本当は、自動車部の仲間、ゼミの仲間など、全員紹介したかったけど、
「それぞれ1-2名」
ということだったので、紹介できなかったみんな、ごめんね。
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