宝塚100期生40人合格

2012-03-30 18:00:00 | ニュース
 宝塚と言えば日本を代表するところだけど、今年は100期生です。

 続いてますね。その人気の高さと今の子を掻き立てるエネルギーってどんなんだろう?


 女優として永遠のステイタスを持つ夏目雅子さんの姪の方も今年合格したそうですね。年齢もあるでしょうが、99期、100期生っていうのはそれだけで、凄さが倍増しそう。


 私は憧れることもなく通ってきちゃいましたが、小さい頃からバレエや歌を習って何度も受ける方もいらっしゃるから。



 違うところだけど私も劇団、入った。凄いかどうか、演劇ヲタにしか判らなかったりして?


 でも嬉しかったです。本当に嬉しかった。



 宝塚じゃ、比べ物にならないくらい嬉しいんだろうな。


 これからたくさん大変なこともあるでしょうけど、それを越えて素晴らしいタカラジェンヌ、しいては女優さんに成長していくといいですね。

 選ばれる人の栄光だものね。

 無事宝塚に入学すれば年100以上の舞台に立つことになるそうだ。それも想像できない。



 そういう人生もあるんだなと遠くから少女たちの綺麗な嬉し涙を画面越しに見ています。

IT企業続々徳島にサテライトオフィス

2012-03-30 15:00:00 | ニュース
 今、IT企業にとって徳島が熱い。

 ITってPCがあれば仕事ができちゃう。その特性を活かし都心から郊外へ引っ越すことがあるそうだ。

 その中でも注目株が徳島県。

 光ファイバーなのかな、インタネットの設備は万全なのに、過疎で使う人間がおらず実は東京の5倍の速さで繋がるそうだ。


 だから本社は東京にありながら、サテライトオフィスを開き、移動するIT企業が増えているのだ。


 古民家に仕事場を借りそれぞれがPCに向かう。寝起きも自然一緒になる。

 仕事の合間は緑の中を散策しつつ都心の交通地獄からも解放されている。



 綺麗事ばかりじゃないだろう。大変なこともあるだろう。それこそ人との繋がりも濃くなる。逃げ場のない環境も生まれてるかもしれない。


 それでも東京中心に行動するよりいいんじゃないかと思う。PCがあればいつでもそれを通じ、都心とも連絡が取れる。その利点は大きいだろうね。



 なにより彼らがいる街、村にお金が落ちる。そして都会から若い人が来れば街に活気も出る。

 なにかをしてみようという気持ちもまた生まれる。

 そこに交流が生まれれば想像しなかったことが生まれるかもしれない。それが新たなビジネスや人とのつながりを産む可能性を秘めている。

 なにがどこでどう転ぶか判らない。若いからできる試みかもしれない。

 新しい企業だからできる試みかもしれない。



 将来を担うのは若者だ。彼らの意識が代わり国を引っ張っていけるだけの力を持てば日本にも新たな道が生まれるだろう。

 それを大いに期待したい試みだ。

フルーツソムリエも登場

2012-03-30 13:00:00 | 日記風
 ソムリエと言えば、ワインしかなかったが、今はいろいろなソムリエがある。

 野菜ソムリエ、それしかり。

 今度はフルーツソムリエが現れた。フルーツアドバイザーということになるのだが、これは一般の人は受験できないそうです。あくまで果物屋さん向けの資格。

 でも持ってるお店だと、ちょっとお話をうかがって気にいれば欲しいな~と思います。

 取るには果物の内容だけでなく、土に対する知識、産地、接客の仕方、贈答に対すること、全てに通じてないとダメだそうです。

 成人病予防も果物でできる。そうですよね。ビタミン大事だもんね。それも教えてくれる。


 その内、一般にも普及してくるのかな。そしたら取りたいと思う女性が多いような気がする。


 このどちらかと言えばフルーツは取らない私。

 そう、皮をむくのが面倒だとか、甘みならチョコレートやお菓子に走ってしまう。それに付け合わせのフルーツしかいただかない。


 ダメよ、そんなことじゃ…って思ってもなかなか変わりませんね。


 フルーツって結構お値段張ることあるから。

 そこで当たり外れがあるってきついですよね。

 見極め方はいろいろ紹介されてますが、自分で店で1人でするとなると…難しい。

 それがフルーツ離れの一因にもなってるのかな。

 本当はちゃんとフルーツからビタミン摂った方が絶対いいですけどね。



 とりあえず今はトマト缶を片づけないと。

 フルーツはそこからです。

家族の死を迎えること…少女と男性のバトル

2012-03-30 02:00:00 | 思い出
 私は哲学科の出身だ。

 昔のこととなるが、同好の徒が集まった時、なんでそんな話になったのか、家族に死についての問題になった。


 ある3,40代の男性は、家族を普通に朝送りだしたのに、数時間して電話がかかってきて事故で亡くなったと言われたそうだ。
 ご本人からすれば普通の朝、普通に送りだしたのに何故その日だけその結末が出たのか、納得できない。せめて亡くなるにしても看病する間があったのなら、もっと自分の気持ちの整理がついたのではないか、そういう趣旨の話をした。


 そこへ20代のお姉ちゃんが反論を繰り出すわけだ。
 彼女は中高生の多感な時期にお父様が数年病気で入院なさっていた経験がある。


 家族が入院するということはそれが、子どもであれ、祖父母、親であれ、いるというだけで負担がかかる。時期が長くなればなるほど負担は増大する。

 ここで一致団結して…という家族はとても少ないと思う。

 それほど家庭の中は疲弊する。

 費用、いつ治る。もう治らない。色々な事情があって疲弊は大きい。時期が長くなればなるほどその度合いは増す。

 一時団結して闘っても…もしくは誰か1人が奮闘してもそのあと家族が壊れる、そういう話はたくさんあると思う。


 そういう時に弱い者の所へどうしても全ての負担が行く。中にはペットという家庭もあるが、いなければ子どもに行く。彼女の場合もこのケースに当たったのだろう。

 彼女は数年寝ついている入院している父に「死んでしまえ」といったという。


 せめて看病できれば…ある朝普通に家族を送り出し永遠に会えなくなった人からすれば看病できれば…という後悔が残るのは判る。

 でも、父親の病気のせいで多感な時期に精神的な負担がかかり、金銭的な問題もあるからいろんなことに我慢を強いられた彼女の気持ちも判る。




 どちらも今も苦しんでいることに変わりはないんだ。


 父親にそこまでいわなくてはならなかった少女の気持ちは追い詰められていた。しかし言ってしまったことに後悔は残る。(お父様はそのあとしばらくして亡くなっている)

 せめて看病していたら…その間に気持ちの整理がついたというもの一理あるんだろう。

 何故あの朝だけ違ったんだろう。そう思い続ける心に答えはないんだから。



 どこまでいっても平行線の話だ。

 家族をどんな形で失うにしても、どんな思いを抱いていたとしてもその苦しみは比較するものではない。



 私は医療という仕事を選ばなくてよかったとだけ思っている。

 子どもの頃から親が医療関係の仕事をしていたから病院に出入りすることは多かった。
 ○○さんのお嬢さんがきてるわよと診療をしてる脇の控室で親が仕事を終わるのを待っていることも多かった。

 だから、露骨な看護現場というものを見ている。

 話が飛ぶかもしれないけど、看護師同士も亀裂、看護師と医師の戦い。医師同士の何とも言えない関係性。いろんなことを見ている。

 それを見たせいで幼い頃入院経験がありながら「将来は看護師さんになりたい」となど1度も思えなかった。


 生命を扱う現場には生の人間同士のぶつかり合いがある。

 そこに入院する患者がおり、家族がいる。


 恐ろしいほどの感情が渦を巻き人1人を飲みこもうとする。そこに日常のように生死の問題が絡んでくると言葉もないものだと思う。けれどそれに慣れてしまえば当たり前のこととなり、日常と化す。

 その日常と化すもよく判らない。


 20代の彼女はずっとその一言を言ってしまったことを心に持って行くだろう。多感な時期に苦しんだことも忘れはしないだろう。

 同じ1日の始まりだったのに、家族を失い悩み続けた男性の答えも出ないだろう。



 どこかで区切りをつける以外道はないのだ。できない納得でも答えを出すしかない。



 たまたま居合わせた場所ではあったが、私も未だに覚えているほどそのことは重い問題だった。


 せめて今、彼女も男性も穏やかに暮らしていてほしいと思う。


 せめて、そうであってほしいと思う。





 私にとっても答えの出ない問題なのだ。