家族の死を迎えること…少女と男性のバトル

2012-03-30 02:00:00 | 思い出
 私は哲学科の出身だ。

 昔のこととなるが、同好の徒が集まった時、なんでそんな話になったのか、家族に死についての問題になった。


 ある3,40代の男性は、家族を普通に朝送りだしたのに、数時間して電話がかかってきて事故で亡くなったと言われたそうだ。
 ご本人からすれば普通の朝、普通に送りだしたのに何故その日だけその結末が出たのか、納得できない。せめて亡くなるにしても看病する間があったのなら、もっと自分の気持ちの整理がついたのではないか、そういう趣旨の話をした。


 そこへ20代のお姉ちゃんが反論を繰り出すわけだ。
 彼女は中高生の多感な時期にお父様が数年病気で入院なさっていた経験がある。


 家族が入院するということはそれが、子どもであれ、祖父母、親であれ、いるというだけで負担がかかる。時期が長くなればなるほど負担は増大する。

 ここで一致団結して…という家族はとても少ないと思う。

 それほど家庭の中は疲弊する。

 費用、いつ治る。もう治らない。色々な事情があって疲弊は大きい。時期が長くなればなるほどその度合いは増す。

 一時団結して闘っても…もしくは誰か1人が奮闘してもそのあと家族が壊れる、そういう話はたくさんあると思う。


 そういう時に弱い者の所へどうしても全ての負担が行く。中にはペットという家庭もあるが、いなければ子どもに行く。彼女の場合もこのケースに当たったのだろう。

 彼女は数年寝ついている入院している父に「死んでしまえ」といったという。


 せめて看病できれば…ある朝普通に家族を送り出し永遠に会えなくなった人からすれば看病できれば…という後悔が残るのは判る。

 でも、父親の病気のせいで多感な時期に精神的な負担がかかり、金銭的な問題もあるからいろんなことに我慢を強いられた彼女の気持ちも判る。




 どちらも今も苦しんでいることに変わりはないんだ。


 父親にそこまでいわなくてはならなかった少女の気持ちは追い詰められていた。しかし言ってしまったことに後悔は残る。(お父様はそのあとしばらくして亡くなっている)

 せめて看病していたら…その間に気持ちの整理がついたというもの一理あるんだろう。

 何故あの朝だけ違ったんだろう。そう思い続ける心に答えはないんだから。



 どこまでいっても平行線の話だ。

 家族をどんな形で失うにしても、どんな思いを抱いていたとしてもその苦しみは比較するものではない。



 私は医療という仕事を選ばなくてよかったとだけ思っている。

 子どもの頃から親が医療関係の仕事をしていたから病院に出入りすることは多かった。
 ○○さんのお嬢さんがきてるわよと診療をしてる脇の控室で親が仕事を終わるのを待っていることも多かった。

 だから、露骨な看護現場というものを見ている。

 話が飛ぶかもしれないけど、看護師同士も亀裂、看護師と医師の戦い。医師同士の何とも言えない関係性。いろんなことを見ている。

 それを見たせいで幼い頃入院経験がありながら「将来は看護師さんになりたい」となど1度も思えなかった。


 生命を扱う現場には生の人間同士のぶつかり合いがある。

 そこに入院する患者がおり、家族がいる。


 恐ろしいほどの感情が渦を巻き人1人を飲みこもうとする。そこに日常のように生死の問題が絡んでくると言葉もないものだと思う。けれどそれに慣れてしまえば当たり前のこととなり、日常と化す。

 その日常と化すもよく判らない。


 20代の彼女はずっとその一言を言ってしまったことを心に持って行くだろう。多感な時期に苦しんだことも忘れはしないだろう。

 同じ1日の始まりだったのに、家族を失い悩み続けた男性の答えも出ないだろう。



 どこかで区切りをつける以外道はないのだ。できない納得でも答えを出すしかない。



 たまたま居合わせた場所ではあったが、私も未だに覚えているほどそのことは重い問題だった。


 せめて今、彼女も男性も穏やかに暮らしていてほしいと思う。


 せめて、そうであってほしいと思う。





 私にとっても答えの出ない問題なのだ。


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