涼風野外文学堂

文学・政治哲学・読書・時事ネタ・その他身の回り徒然日記系。

週末に買った本の中から。

2006年12月17日 | 読書
 気分転換や暇つぶしのためにショッピングをする人は少なくないでしょうが、涼風の場合、ショッピングの対象は概ね本です。しかも古本より新刊本を買う割合が高いのでお財布に優しくないことこの上ない。
 さて、この週末に購入した本をだらだらと書き連ねて今日の記事を埋めてみます。

『生かされて。』(イマキュレー・イリバギザ、PHP出版社)
 ルワンダ大虐殺のサヴァイバーである著者による回顧録。原題は『Left to Tell』副題は『Discovering God amidst the Rwandan Holocaust』……どう考えてもこの日本語題は原題の趣旨を汲んでいないと思います。
 私自身の宗教的な出自について言えば、クリスマスにはケーキとチキンを食べお正月には神社に初詣に行き節分には豆をまきバレンタインデーにはチョコを送ったり送られたりする、でも実家の法事には坊さんが来て南無妙法蓮華経を読み上げる、という無節操な状態で、しかしそれが日本人の典型的なスタイルではないかと思っています。そのような「典型的日本人」に、イマキュレーが死の淵で見いだした「信仰」の重さを感じることができるのか、彼女がこの本を書くに至った宗教的使命感の強さを感じることができるのか……と考えると、だからこそなお、原題は副題も含め直訳されてしかるべきだったのではないでしょうか。
 ところで、この本を読めば、典型的日本人であるところの私はどうしても、それを自分の属さないどこか遠い世界の物語として受け止め、その凄惨さに慄然とし、彼女の命を救った彼女自身の聡明さに感嘆し、奇跡と呼ぶほかないいくつかの偶然に不覚にも涙ぐむことになります。
 しかし、証言に対する受容のあり方として、それではいけないのではないか?という疑念が同時にわき上がるのです。いったいこの違和感は何なのだろう?素直に読めば、素直に涙が浮かびそうになるのを、必死で否定しようとする私の中のこの感覚は、何なのだろうか?
 ――そんな問いにひとつの方向性を示してくれそうなのが、

『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(ジョルジョ・アガンベン、月曜社)
 ということになるのかどうか分かりませんが。わざわざこういう本をセットで買う私のセンスもどうなのか分かりませんが。
 まだほんのさわりしか読んでいないので、詳しい感想はいずれ機会があれば。とりあえず気になったフレーズをそのまま引用して今日は終わり。
 証人は、通常は真実と正義のために証言する。そして、その言葉は、この真実と正義から充実と充足を得ている。しかしここでは、証言は、本質的には、それに欠けているもののゆえに価値がある。ここでは、証言は、その中心に、証言しえないものを含んでおり、それが生き残って証言する者たちから権威を奪っている。「本当」の証人、「完全な証人」は、証言したことがなく、証言しようにも証言することができなかった者である。「底に触れた」者、回教徒、沈んでしまった者である。生き残って証言する者たちは、さも証人であるかのような顔をして、かれらの代わりに代理として語る。生き残りたちの供述する証言は欠落した証言なのだ。しかし、代理について言い立てても、ここではなんの意味もない。沈んでしまった者たちは、語るべきものはなにももっておらず、伝えるべき教えも記憶ももっていないからである。かれらは「物語」(Levi 3,p.82)も「顔」ももっておらず、まして「考え」(ibid.)ももっていない。かれらのために証言する責務を引き受ける者は、自分が証言するのは証言することの不可能性のためでなければならないことを知っている。しかし、このことは証言の価値を決定的に変え、証言というものの意味を思いがけない領域に探しにいくことを強いる。

 その他は漫画で、
『風雲児たち 9』(みなもと太郎、リイド社)
 第9巻の注目ポイントは、何と言ってもオビの推薦コメントを手塚眞が書いていること。ちょうどこの巻で、手塚治虫の曽祖父が福沢諭吉と同時期に適塾に入った、なんてエピソードが出てくるのでひっかけたのでしょうが。
 私はみなもと太郎を「手塚チルドレンたちが忘れ去ってしまった漫画手法を再び生き返らせる者」として非常に高く評価しているので、何年か前の手塚賞特別賞受賞といい、今回のオビといい、なかなか不思議なものを感じます。いずれみなもと太郎の「漫画文法」については詳細に検討してみたいなあと思っていますが思っているだけ。

『曹操孟徳正伝 2、3』(大西巷一、メディアファクトリー)
 雑誌のほうで追いかけなくなったので単行本で印税収入に貢献してみた。さすがに連載が続くうちに小ゴマの描き込みが荒くなっていくのですがこれは筆者の本意じゃないでしょう。体壊さないように頑張ってください大西先生。

『ビブリオテーク・リヴ』(佐藤明機、コスミック)
 まさかこんな本が復刊されていようとは。大人毛ない。


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