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涼風野外文学堂

文学・政治哲学・読書・時事ネタ・その他身の回り徒然日記系。

赤ちゃんが乗ってます(ので、…)。

2008年02月01日 | 日記・身辺雑記
 あけましておめでとうございます(遅ッ

 年も明けてはや1月が過ぎようかという今日この頃、日々の業務も年度末に向けたカウントダウンとばかりに日増しにその量を増し、3月には引越しを控えてその準備で右往左往し、その上風邪までひいておりますが、そんなのはブログ更新できない理由じゃなくって、とにかく今俺様子育てに夢中なのだよ。

 ……四六時中抱っこしてないと泣きわめくんだもんなぁ……。

 さて、子どもを連れて出かけるに当たって、涼風も「赤ちゃんが乗ってます」と書かれたステッカーを車の後部に貼り付けてみました。貼り付けながら、さて、このステッカーって後続車に何を伝えようとしているんだろうか、ということが気になってしまいました。……実際、このステッカーを初めて考案した人は、どういう意図を持っていたんでしょうね。
 赤ちゃんが乗ってます、というのは、事実を述べているに過ぎません。多くのドライバーにとって、前を走る車に乗車している人の家族構成なんざ基本的にどうでもいいことなので、このステッカーは、赤ちゃんが乗っていることによって後続車のドライバーの運転に影響を及ぼす「何か」があることを伝えようとしているのです。省略されているその「何か」は何なのでしょう。ちょっと考えてみました。

【案1】
 赤ちゃんが乗ってます(ので、安全運転を心がけています。法定速度を遵守したり、早めのブレーキをしかもポンピングブレーキで踏んだりするので、若干ウザいかもしれません。もしあなたがお急ぎなら、どっかで適当に追い抜いて先に行っちゃってください)。


 ……一見説得力がありそうに見えますが、しかし、赤ちゃんが乗っているからって、すべてのドライバーが安全運転をしてくれるとは限りません。それどころか、私も過去に「赤ちゃんが乗ってます」ステッカーを貼られた車が、法定速度なんざ完全にアウトオブ眼中ですっ飛ばしていったり、無茶な追い越しを仕掛けてきたり、無謀な車線変更で割り込んできたりするのを、呆然と見送ったことが何度となくあります。赤ちゃんが乗っていることと安全運転をすることとの間に、因果関係はありません。するとこの【案1】は、にわかに採用しがたいように思えます。

【案2】
 赤ちゃんが乗ってます(ので、時々赤ちゃんに気を取られて運転がおろそかになります。ふらついたり、ブレーキ遅れたりするかもしれません。巻き込まれたくなければ近寄らないのが身のためです)。


 これはこれでありそうな話、といえなくもないですが、先の【案1】の場合と同じく、赤ちゃんが乗っていることと不注意な運転との間にも因果関係はありません。もみじマークや若葉マークと同じように解釈するのも無理があるでしょう。
 すると次の【案3】が一番説得力があるように思えます。

【案3】
 赤ちゃんが乗ってます(ので、万が一事故にあった場合、被害は成人ばかりが乗車している場合に比べ、甚大なものとなる可能性が高いです。あなたが無理にあおったり、無謀な追い越しを仕掛けたり、あるいはうっかり追突してしまったりすると、場合によっては、あなたは人殺しのレッテルを貼られてその後の人生を後ろ指さされ続けて過ごすことになります。そんなことになっていいんですかいいわけありませんよねだったらあまり苛立たずにあなたも安全運転を心がけてください)。


 以上により、涼風式結論。
 「赤ちゃんが乗ってます」ステッカーは、後続車への脅しである。

 ……年が改まろうが1児のパパになろうが、相変わらずこんな些細なことばの問題ばかり考えてます。
 ともあれ、今年もよろしくお願いします(遅ッ

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 「涼風文学堂」は小説と書評を中心としたサイトです。

【メッセージ】

2007年12月06日 | 日記・身辺雑記
 ひどく生きにくい時代だ。資本は労働に牙を剥き、老人は若者に牙を剥き、弱い者たちは夕暮れにさらに弱い者へと牙を剥く。実に単純な行動原理が連なって実に複雑にこの世界のメカニズムを蝕み、緩やかなアポトーシスへと向かわせている。
 誰かが公的年金制度は崩壊したと叫び、別の誰かが石油はあと68年で枯渇すると訴え、また別の誰かがヤンバルクイナはもうすぐ絶滅すると悲嘆にくれる。テレビのニュースは今日も凶悪な殺人事件があったことを伝え、僕らはそれらの声を鳥の声が絶えた春のBGMとして聞き流すことにすっかり慣れ、声の主の怒りに同調し、悲しみを共有し、あるいはそうしているふりをしながら、チョコレート掛けのバナナチップに舌鼓を打つ。
 自らの足を食する蛸のようであるという点において、僕らは皆分け隔てなく、愚かだ。かつてこれほどまでに、自分たちの愚かさを思い知らされる時代があったろうか?僕らはドミノ倒しを眺める無力で無責任な傍観者の視点でもって、この世界の緩やかな崩壊が現在進行形の確実な出来事であることを知り、また、自分は並べられたドミノの牌ではないものと根拠もなく思い込んでいる。
 パンドラの箱は既に空いているのだと認めざるを得まい。あらゆる災いは既にこの世に振り撒かれた後なのだ。しかしその箱の底に、果たして、最後の希望は残っているのか?

 こんな時代に君を送り出すに当たって、もちろん僕は、多大な責任を負っているのだ。その責任から生ずる義務を忠実に果たそうとするのなら、僕はこの世界の、僕の手が届く限りのほんの小さな一部分について、ほんの少し、本当にほんの少しでも、今よりよいものにして、君にバトンを手渡す必要があるのだ。
 しかし僕は目の前でドミノ倒しが既に進行していることを知り、その中で、僕自身も一枚のドミノの牌であると認識しているとしても、僕一人が流れに抗おうとしたところで、多くのドミノが押し流されるように倒されていく中で、僕もどちらかの方向に早晩なぎ倒されてしまうのだ、という諦念を抱かざるを得ない。
 だから僕は、ドミノ倒しの巨大なうねりに抵抗するたった一つの方法として、君に、無償の愛があることを伝えたいのだ。それこそがパンドラの箱の一番の奥底から最後に飛び出した、小さく儚い希望の欠片なのだ。僕が父であり、君が子であるという、とても素朴な事実あるいは物語が、どれほど「僕」が「僕」の内側で完結しようとする矮小な可能性を打ち砕くのか、僕らのプリミティブな孤独(≒死)の恐怖を振り払う灯火となるのかを、示そう。僕が君にできることといえば、結局のところ、それだけなのだ。

 ――本日、長女誕生。母子ともに健康。


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ヤクザを殺して平気なの?

2007年11月14日 | 日記・身辺雑記
 ネット環境が光ファイバー化したので、何はさておき、Wiiをネットに接続してみました。お目当てはもちろん、バーチャルコンソールでレトロゲーム遊び尽くすこと。
 つっても「アイスクライマー」だの「ソロモンの鍵」だの「迷宮組曲」だのファミコン時代の名作の目ぼしいところはロムカセットで持ってる(ファミコン本体も動くやつまだ2台くらいある)ので、狙い目はスーファミ辺りの、ロムカセット持ってたとしてもバッテリーバックアップ切れてて遊べないゲーム。マリオワールドもいいなぁ紋章の謎も捨てがたい、などと目移りしつつ、家族会議の結果、満票(有権者数2名に対し得票数2票)でダウンロード決定したのが「真・女神転生」でした。

 さて、真・女神転生と言えば、開始早々悪魔にさっくり食われる母親だの東京にICBM落下だのゾンビ化する隣の幼なじみだの、お子様には刺激の強すぎるシチュエーションに事欠きませんが、何と言ってもこのゲームの最優秀コピーは、表題に掲げた「ヤクザを殺して平気なの?」でしょう。
 順を追って解説すると、「女神転生」シリーズ共通のシステムとして、敵として出てくる「悪魔」と「会話」をして、仲間に引き入れたり金やアイテムをせしめたりする、というのがあります。この会話の中では、悪魔側から色々な質問をされたりしますが、ファミコン版の「女神転生Ⅱ」に出てきた、女性型悪魔からの質問メッセージとして「あなた悪魔を殺しても平気なの?」という有名なのがあります。
 で、「真・女神転生」において、アトラスさんは自主パロをやってしまいます。序盤の雑魚モンスターとして「やくざ」(しかも種族は「外道」)という敵が出てくるのですが、これと会話を行っていると、ごく低い確率で、「ヤクザを殺して平気なの?」と質問される、というものです。

 ……で、今さらながら真・女神転生で遊びつつ(主に遊んでいるのは妻で、私は後ろで画面を見ながら合体やロウ/カオスのバランスについてちゃちゃを入れてるだけ)、懐かしさや感慨深さとともに、ふと、この「ヤクザを殺して平気なの?」という問いかけに対し、真剣に答えを検討してしまうわけです。
 町田の立てこもり発砲事件長崎市長銃撃事件の影響を受けて、昨今、暴力団への風当たりは強さを増しています。いや、暴力団への風当たりが弱くっちゃ困るのでそれは強くていいのですが、問題は、叩くやり方が根本的に間違ってるだろ、っていうことなのです。
 町田の事件を受けて国土交通省は、公営住宅からの暴力団排除について通知を発出しました。また、東京都台東区(一葉記念館条例等の一部を改正する条例)をはじめ、いくつかの基礎自治体においては、公共施設からの暴力団員の締め出しを、公然と行っています。
 この件について仕事上コメントを求められた涼風は「やくざに人権はないのか?」と、3割冗談7割本気で返答したのですが、これは憲法上の重大な論点をはらんだ問題であると思います。公営住宅法なんてのは、憲法25条が定める生存権保障を具現化する法制度の、代表とも言うべき法律です。住宅に困窮する低額所得者に対して、低廉な家賃で住宅を提供することにより、「健康で文化的な生活」を保障することが、同法の目的です。それなのに、個別の事案について所得要件を確認することもなく、ただ「暴力団の構成員であるから」という理由でこれを公営住宅から排除しようというのであれば、「暴力団員に生存権はない」と言っているのと同値ではないでしょうか。「暴力団員であるから所得要件が疑わしい、だから公営住宅への入居を認めない」と言いつくろってみたとしても(前掲の国交省通知の趣旨はこのようなものです)、暴力団員であることと不正な所得を得ていることとの間に因果関係はなく、論理としては破綻しています。結局のところ「ヤクザだから死んでも構わん」と言っているのと変わりないのです。
 しかもこれを行政権力・警察権力が率先して旗振りをし、メディア・世論が概ね好意的に受け入れている、というのが、ますます不気味です。「真・女神転生」から15年。この国はノリと勢いだけで悪魔もヤクザも殺して平気な社会になってしまいました。もし「ヤクザを殺して平気なの?」のメッセージの初出が、15年前でなく今であったとしたら、このメッセージは大したセンセーションを与えることもなく、埋没して消え去っていくのでしょう。
 ここはひとつ、新世紀のゴトウとトールマンにご登場頂いた挙句両方叩き殺して、世界をニュートラルに導く必要があるかもしれません。(ああ、ゲームやったことのない人には分からんオチだ)


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ラノベ書きてぇ。

2007年10月31日 | 日記・身辺雑記
 かれこれ3年くらい前から書き続けている小説が、400字詰め原稿用紙換算でついに300枚を超えました。……まだ完成しません。
 今書いているのは、相も変わらず「自称・純文学」のカテゴリに属する小説で、三十過ぎの駄目男が酒呑んだりエロいことしたり悪態ついたりしながら何ら生産的なこともせず無為に過ごしているだけの、実に涼風らしい小説なのですが、物語も終盤の大詰めに差しかかったあたりで、執筆上の重大な問題に行き当たったのです。

「……飽きた」

 そりゃあ丸3年もずーっと同じ小説書いてたら飽きます。

 で、ここ数ヶ月でほんの数枚しか進んでいないという停滞ぶりなのですが、最近どうも無性に「ライトノベル書きたい!」という気分が強いのです。

 もともと涼風は「ラノベ」なんて単語が生まれるより前から、ジュニア小説に親しんできた世代です。中高生の頃は「ロードス島戦記」だの「フォーチュン・クエスト」だの「スレイヤーズ!」だの、角川スニーカーと富士見ファンタジアに本棚支配されてましたし、田中芳樹や久美沙織の本はほとんど全部読破してましたし、投稿で初めて雑誌に名前が載ったのが「ザ・スニーカー」でした。
 それがどうしてここに至って、ブンガクブンガク、と騒ぎ出すようになったのかというと、ジュニア小説好き→自分で書いてみる→友達に読ませてみる→好評→調子に乗って投稿→何度目かで入選→ますます調子に乗る→その後は鳴かず飛ばず→色々作風を変えてみる→自分でも何書いてるのか分からなくなってくる→悩む→書くのが楽しくなくなってくる→「ソフィーの世界」とか読み出す→ますます行き詰まる→しばらく小説書くのやめる→漫画描く→やっぱり何か違う→DTM作曲する→それはそれで楽しいが何か違う→宮台真司とか読み出す→まったりする→アイデンティティの問題を主要なテーマに据える→「現代思想」とか読み出す→ハマる→読書癖がつく→「文学界」とか「群像」とか読み出す→何か道筋が見えたような気がしてくる→小説書いてみる→文学界に投稿してみる→そこそこいい線いく、という、今にして振り返れば若いなァ俺、というような道を5年くらいかけて通ってきた結果なのです。
 で、いい年こいて今さら子供返りというわけでもないでしょうが、何だか最近、中高生の頃に書いていたようなものが書きたくなってきたのです。文学的意義とか批評性とか考えずに、ストーリーのヤマとオチ重視で、あるいはキャラ重視で、肩に力の入らない気楽なソーズ&ソーサリーとか書いてみたい。……疲れてんのかな俺。

 ともかく、今書きかけの「自称純文学」を完結させてからの話ですが、もしかしたら、「腕っぷしも弱く気性も穏やかな某小国の第2王子と下町の盗っ人上がりの少女が『知恵と勇気』だけでピンチを乗り越えていくファンタジー」だの「夏休みに山奥の遠い親戚の家に来た高校生男子の主人公が九尾の狐に因縁を持つ三姉妹と出会い巻き込まれていく伝記風ギャルゲー風小説」だの「『救国の勇者』の運命を背負わされた少女に惚れた一兵士の孤軍奮闘ビルドゥング・ロマンス」だの書き始めるかもしれません。例によって言ってるだけで終わるかもしれませんが。

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最近ショックだったことベスト3。

2007年04月25日 | 日記・身辺雑記
【第3位】
 「味楽る!ミミカ ナンバーワン」と「めざせモスクワ」が似ていることに気づいた。


 ……まさかほんとに元ネタじゃないだろうな。

【第2位】
 愛染恭子が姪を虐待して逮捕。


 彼女が千葉県民だったことにもびっくりしてますヨ。

【第1位】
 きこうでんみさがAVデビュー。


 ついにと言うかやっぱりと言うかようやくと言うか。ぱっきゅんわ。


 ……我ながら平和な人生送ってると思います。

「特急田中3号」を見ながら

2007年04月13日 | 日記・身辺雑記
 やっぱり実写版ヤッターマンのドロンジョ様はアンジェリーナ・ジョリーなどより栗山千明様に演じていただきたいと思う涼風@タイムボカンシリーズ大好きなのであります。栗山千明に「やーっておしまいーっ!」て言われちゃったら俺様テレビの前で直立敬礼で「あらほらさっさー」しちゃうぞ。

 ちなみに件の「特急田中3号」なのですが、濃い目のネタに爆笑している俺様の横で妻ドン引き_| ̄|○

いきものがかりに見る変身願望。

2007年04月04日 | 日記・身辺雑記
 ファイアストンの超特価品にも関わらずタイヤ履き替えたらすっげぇ運転快適で今までどんだけ痛んだタイヤで走ってたんだよと凹んでおるorz最近の涼風でございます。

 さて、涼風の相棒フィット号の車内では、最近いきものがかりの『桜咲く街物語』がエンドレスでかかりっぱなしなのですが、この郷愁を駆り立てられる妙な懐かしさは何だろうと思いを巡らせた結果、私がいきものがかりに懐かしさを感じる理由のひとつは、自分が小中学生の頃によく聴いていた(ああ歳がバレる)レベッカやリンドバーグに雰囲気が似ているせいではなかろうか、というところに思い至りました。
 女性ボーカルに男性のバッキング、というバンドの体裁について、当時から現在に至るまで思いつくままに例を並べてみますと、先のレベッカ、リンドバーグ、ドリカムにジュディマリにELTにブリリアントグリーン(ヒスブルは諸般の事情でなかったことにされている)……うん、わりと際限なく挙げられます。そして、こうやって並べ立てて共通項を探していくと、「女性ボーカル1人+男性楽器1~数人」のユニットで成功するためには、中核をなす女性ボーカルに「ひとクセある」ことがポイントなのかな、という気もしてきます。
 ここでいう「ひとクセある」というのは、ある意味「女性的でない」ということにも繋がるのかな、という気もしてきました。女性ボーカルを中心に据えているのに女性的でない、とは逆説的かもしれませんが、先に挙げてきたグループのボーカリストたちについて言えば、フリル付きのワンピースやふわふわのフレアスカートより、カットソーとジーンズの方が似合いそうな傾向があるように思います。
 考えてみれば当たり前の部分もあり、サウンドプロデュースの中心となるのはバックで楽器を扱っている男性メンバーの側なのですから、彼が小室やつんくのような「プロデューサー」としてボーカリストの影に隠れようとするのならともかく、自ら「アーティスト」として、バンドの中心メンバーとしてステージに上ろうとするのであるなら、自らのサウンドを体現するボーカリストは、むしろ「男性的」でなければならないのではないでしょうか。
 そんな見方(聴き方?)に立っていきものがかりを聴いていると、この男性ギタリスト二人は、本当は自分が歌いたい歌を、女性ボーカルに歌わせているのかな、という気がしてきます。男性の音域で歌うには少しばかり高音の曲を作って(大体、ちょっと高めの音って気持ちいいですよね。ギターだって440hzより442hzでチューニングした方が聞こえがいい)、それで自分で歌えればいいのだけれどちと無理なので、その音で無理なく歌うことのできるボーカリストに歌わせている。そんな捉え方をすれば、これら「女性ボーカルユニット」は、実は男性の男性による男性のための音楽を提供しているのではないか、と思えてきました。そう考えれば「いきものがかり結構イイよ」と私が話を向けても「そう?すぐ消えそうじゃん」と妻の食いつきが悪いことにも、合点がいきます_| ̄|○


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はじめての。

2007年01月28日 | 日記・身辺雑記
 マンション買っちゃったから倹約しなきゃだの仕事がいよいよ修羅場に入ってきて遊ぶ暇がないだの色々言いつつ。

 ……だって抽選なしで買えちゃったんですもの(言い訳)。


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文学堂改修工事のお知らせ。

2007年01月14日 | 日記・身辺雑記
 このブログの「親サイト」とでも言うべきウェブサイト「涼風文学堂」ですが、見ていただいた方にはお分かりのとおり、掲示板をリニューアルしました。つーかいい加減バイアグラの広告とか消すの飽きたので。
 で、新しい掲示板にはパスワード認証がかけてあるのですが、パスワード告知画面のレイアウトがサイト内の他のページと異なっています。これは、水面下でこっそり進行中の涼風文学堂改造計画の一部を先取りしたもので、いずれサイト全体のレイアウトをこんな感じで統一しようと思案中。
 いずれにせよ、本格的なサイト改造は年度明けになると思います。つーか、今後3ヶ月ばかりの間、サイトの方もこのブログの方も更新頻度下がると思いますので、あらかじめお詫び申し上げます。どうしてかって?それを聞くんですか?


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涼風的倹約生活。

2007年01月10日 | 日記・身辺雑記
 昨年大きな買い物をしたばかりなので、しばらくは節約を試みています。

  • 晩酌をエビスビール→ドラフトワンへ
  • 洋服を千葉そごうのコムサ・デ・モード→アリオ蘇我のコムサ・イズムへ
  • 年始の福袋を4袋→今年は1袋で我慢


 ……果たしてこれを節約と言うのかどうか。


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 書籍代はケチらない予定。