涼風野外文学堂

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ヤクザを殺して平気なの?

2007年11月14日 | 日記・身辺雑記
 ネット環境が光ファイバー化したので、何はさておき、Wiiをネットに接続してみました。お目当てはもちろん、バーチャルコンソールでレトロゲーム遊び尽くすこと。
 つっても「アイスクライマー」だの「ソロモンの鍵」だの「迷宮組曲」だのファミコン時代の名作の目ぼしいところはロムカセットで持ってる(ファミコン本体も動くやつまだ2台くらいある)ので、狙い目はスーファミ辺りの、ロムカセット持ってたとしてもバッテリーバックアップ切れてて遊べないゲーム。マリオワールドもいいなぁ紋章の謎も捨てがたい、などと目移りしつつ、家族会議の結果、満票(有権者数2名に対し得票数2票)でダウンロード決定したのが「真・女神転生」でした。

 さて、真・女神転生と言えば、開始早々悪魔にさっくり食われる母親だの東京にICBM落下だのゾンビ化する隣の幼なじみだの、お子様には刺激の強すぎるシチュエーションに事欠きませんが、何と言ってもこのゲームの最優秀コピーは、表題に掲げた「ヤクザを殺して平気なの?」でしょう。
 順を追って解説すると、「女神転生」シリーズ共通のシステムとして、敵として出てくる「悪魔」と「会話」をして、仲間に引き入れたり金やアイテムをせしめたりする、というのがあります。この会話の中では、悪魔側から色々な質問をされたりしますが、ファミコン版の「女神転生Ⅱ」に出てきた、女性型悪魔からの質問メッセージとして「あなた悪魔を殺しても平気なの?」という有名なのがあります。
 で、「真・女神転生」において、アトラスさんは自主パロをやってしまいます。序盤の雑魚モンスターとして「やくざ」(しかも種族は「外道」)という敵が出てくるのですが、これと会話を行っていると、ごく低い確率で、「ヤクザを殺して平気なの?」と質問される、というものです。

 ……で、今さらながら真・女神転生で遊びつつ(主に遊んでいるのは妻で、私は後ろで画面を見ながら合体やロウ/カオスのバランスについてちゃちゃを入れてるだけ)、懐かしさや感慨深さとともに、ふと、この「ヤクザを殺して平気なの?」という問いかけに対し、真剣に答えを検討してしまうわけです。
 町田の立てこもり発砲事件長崎市長銃撃事件の影響を受けて、昨今、暴力団への風当たりは強さを増しています。いや、暴力団への風当たりが弱くっちゃ困るのでそれは強くていいのですが、問題は、叩くやり方が根本的に間違ってるだろ、っていうことなのです。
 町田の事件を受けて国土交通省は、公営住宅からの暴力団排除について通知を発出しました。また、東京都台東区(一葉記念館条例等の一部を改正する条例)をはじめ、いくつかの基礎自治体においては、公共施設からの暴力団員の締め出しを、公然と行っています。
 この件について仕事上コメントを求められた涼風は「やくざに人権はないのか?」と、3割冗談7割本気で返答したのですが、これは憲法上の重大な論点をはらんだ問題であると思います。公営住宅法なんてのは、憲法25条が定める生存権保障を具現化する法制度の、代表とも言うべき法律です。住宅に困窮する低額所得者に対して、低廉な家賃で住宅を提供することにより、「健康で文化的な生活」を保障することが、同法の目的です。それなのに、個別の事案について所得要件を確認することもなく、ただ「暴力団の構成員であるから」という理由でこれを公営住宅から排除しようというのであれば、「暴力団員に生存権はない」と言っているのと同値ではないでしょうか。「暴力団員であるから所得要件が疑わしい、だから公営住宅への入居を認めない」と言いつくろってみたとしても(前掲の国交省通知の趣旨はこのようなものです)、暴力団員であることと不正な所得を得ていることとの間に因果関係はなく、論理としては破綻しています。結局のところ「ヤクザだから死んでも構わん」と言っているのと変わりないのです。
 しかもこれを行政権力・警察権力が率先して旗振りをし、メディア・世論が概ね好意的に受け入れている、というのが、ますます不気味です。「真・女神転生」から15年。この国はノリと勢いだけで悪魔もヤクザも殺して平気な社会になってしまいました。もし「ヤクザを殺して平気なの?」のメッセージの初出が、15年前でなく今であったとしたら、このメッセージは大したセンセーションを与えることもなく、埋没して消え去っていくのでしょう。
 ここはひとつ、新世紀のゴトウとトールマンにご登場頂いた挙句両方叩き殺して、世界をニュートラルに導く必要があるかもしれません。(ああ、ゲームやったことのない人には分からんオチだ)


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2 コメント

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ゴトウを待ちながら (馬頭親王)
2007-11-14 23:49:08
 ちなみに、馬頭親王の職場のエラい人はGLAという、まあ有名な新興宗教に肩入れしていて、この教団は極貧者や老人、障害者、ヤクザを積極的に受け入れる活動を行っていたりなどします。
 まあ、『仁義なき戦い』シリーズなど大好きな馬頭ではありますが、菅原文太に惚れることと現実社会のヤクザを排除することとは別問題、とは考えております。さて、排除という言葉についてですが、もちろん理想を云えば「ヤクザはこの世からいなくなったほうがいい」。ところが、過去にも未来にもそのような状況になったためしがない/なり得ないのは、ヤクザというものが、我々と切り離してカテゴライズすることのそもそも不可能な存在であるからだと思います。我々が健全な社会でいられるのは、ごく一部のヤクザが社会から排除されてあるからだというのは、あまりにも古典的な図式でしょうか? そのような図式に準拠するならば、「ヤクザは殺しても平気」というのは、社会からの抹殺に加え生命の抹殺という、二重の排除と云えるでしょう。これはよくない。排除は一重で充分であり、それ以上に排除を重ねることは、どこかしら我々の社会の成り立ち=我々が正常でいられることの対価、というものに目を瞑っているのだと云えるのではないでしょうか?

 やはり「すべての人間がまっとうに生きられる社会」なんていうのは全体主義に繋がるのでしょうか。だからといって、「社会はつねに排除された存在=周縁をつくりだすものだ」と云って、ヤクザを含む諸々のアウトロー、また社会的弱者を切り捨ててゆくことを是認するのも卑怯くさい、というのはジレンマではありますが。

 いつものように雑な文章ですみません。
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とりあえず凄んどく、みたいな (ピロシ)
2010-12-10 01:59:18
 クズがのうのうと生きていく猶予がありすぎるってのも一理あるので、公営住宅からの排除なりなんなりで、そういう連中を締め出すのは問題ないと思いますよ。そういう人たちがまっとうな生き方を選択する契機になると思いますからね。菅原文太にあこがれるデブとかそういう話無しに、公営住宅からの排除がそのまま生存権をおびやかすことになるとは思えませんね。詭弁はいい加減にしましょう
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