わが大地のうた♪

NPOグリーンウッド代表理事:辻英之(だいち)が今、南信州泰阜村から発信する炎のメッセージと…日々雑感!

美味しいに決まっている

2015年11月24日 | ひとねる=自律のひとづくり
天候不順で遅れに遅れた脱穀。

天気の隙間を見つけて、強行した。


大きな脱穀機は、農家仲間の共同所有である。

とはいえ、「貸していただいている」という意識を強く持って、管理をしてくれている仲間の農家から運んできた。




こどもたち18人とスタッフ7~8名。

これだけ人数がいれば、様々な作業を同時に行える。

ハザから稲束をはず人、運ぶ人、それを脱穀機に入れる人。

脱穀機から出てきたワラを積む人、まだモミが残っていればその稲束を戻す人。

いっぱいになったコメ袋をトラックに運ぶ人、ハザを解体する人、竹を格納する人。











そして肝心なことは、落穂を拾う人だ。

4月の田んぼ作業の時には、土いじりが嫌だと言っていたこどもが、今は泥だらけになって落穂を拾っている。

拾った落穂の数が多ければ多いほど、仲間の冬の食糧が増えることを、彼らは身体で理解するようになった。

4月から実に8か月。

水稲栽培の技術などを学んだだけではない。

彼らは、仲間の暮らしを長期的にみすえるチカラが身についた。

これもまた「学力」だ。

暮らしの営みが産み出す「学力」に、もっともっと光を当てなければならない、と、この村で暮らしていると感じる。








ようやく天日干しの新米が食べられる。

こどもたちは半年間、自然と向き合い、日々の暮らしに折り合いをつけ続けてきた。

そしてやっと手にしたコメ。

おいしいに決まっている。


代表 辻だいち


それが文化

2015年11月22日 | 泰阜村のソコヂカラ
今日は集落の「道つくり作業」と「阿弥陀様」

道つくりは、集落構成員総出で、道路の溝さらいや草刈り、支障木撤去など。


早朝からたっぷり3時間。

みんなで力を合わせて、細い道の先にある老夫婦の家までの道がきれいになった。

老夫婦の家では休憩。

お茶と漬物が疲れた身体を癒す。

こどもたちも我先にと漬けものや野菜に手を出していた。

こうやって、集落は守られてきた。


▼暮らしの学校「だいだらぼっち」のこどもたちが、オエッ?



▼そうではなく、手で食べてたのだ!(笑)



▼重労働





▼今年は新兵器ブロワ―



▼3時間やると腕がびりびり




道つくり作業が終わった後、阿弥陀様にみんなでお参り。

難病の神様で、その昔、疫病の流行からこの集落の人々を守ってくれたとか。

その感謝を今に伝えて構成員全員で祭りを行っているというわけだ。

インフルエンザやノロウィルスなどに罹らないように、私も真剣に祈った。


▼阿弥陀様




本当は阿弥陀様の前で焼き肉をつつきながら一杯!なのだが、寒いので会場を移動して焼き肉。

南信州は、なんでもかんでも人が集まると焼き肉だ。

それが文化。


▼わいわい焼き肉をつつきながら飲む





小さな集落に住む人々が、少ない財(労働力、時間、汗、祈り、夢、などなど)を持ち寄って、この集落を守り続けてきた。

その豊かさを、次世代に伝えたいと強く想う。

代表 辻だいち


日本一の学びの村

2015年11月17日 | 日本初!教育で立つ村
今年度2回目の「あんじゃね支援学校会議」が開催された。

「あんじゃね?」と想う人も多いだろう。


2002年4月、人口1700人の泰阜村に小さな自然学校が開校した。

泰阜村と地域のNPOが協働して運営する「伊那谷あんじゃね自然学校」だ。

「あんじゃねぇ」とは「案じることはない」「大丈夫」という意味の南信州の方言。

そこには、きびしい自然と共存しながら暮らしてきた先人の生きる知恵を、村の子どもたちに伝えていきたい。

そして、子どももお年寄りも「案じることはない=あんじゃねぇ」と安心して暮らせる村にしたい、という願いが込められている。

毎月1回~2回、村の児童のうち1割~2割にあたる児童が参加する。



2007年、それまでNPOグリーンウッドが主導してきたこの自然学校が質的発展を遂げる。

「このままでは村の人々が大事にしてきた文化が村の子どもに伝わらない。NPOに任せるだけではなく、村に住む大人が力を合わせて伝えていかなければならない」と願う大人たち15人。

ゆるやかだが力強く地域教育を進めていこうとする村人が集まって会議が開かれることになった。

この会議のことを「あんじゃね支援学校」という。

それは、読んで字のごとく「あんじゃね自然学校」を支える大人たちが学び合う場だ。

構成員は、小中学校、小中保PTA、保育園、役場職員、青年団、NPO、農家、猟師、議員、陶芸家、炭焼き職人、Iターン代表者など、20~80代まで職業も年齢もさまざま。

たまに学術研究者が参加したり、研修会で講師を呼んだりもする。

全員参加の会議は、年に3~4回。

平日夜の開催にもかかわらず、多くの構成員が出席する。





村の子どもたちの未来のために、村の大人たちがああでもない、こうでもないと頭をつき合わせて考えたり、笑ったりする。

これまでも村の寄り合いなど集まる場はあったが、子どもをテーマに、こんなにもざっくばらんな集まりはこれまであるようで実はなかった。

活動の中心は20~30代の若手であり、地域内のNPOとIターン者、地元の若者が地域の教育財を見つめ直す先頭に立っている。



都市部を機軸とした経済・教育政策によって、過疎農山村の二つのものが失われつつある。

一つは、教育のありようを地域に住む人々が決めていく「教育の自己決定権」。

もう一つは、地域住民が少ない資源を持ち寄って地域課題を解決する「支え合い・共助の仕組み」だ。

「あんじゃね支援学校」は、この失われた二つのものを取り戻すことを通した地域再生の取り組みでもある。


「あんじゃね支援学校」のメンバーは、業種や役職といった壁を超え、今自分ができることや提供できることを会議に持ち寄っている。

それは、「支え合い・共助の仕組み」が、子どもの教育を通して、豊かにつくり直されていくきっかけでもある。


多様な分野の人が集う横の広がりだけではない。

小学生対象の「あんじゃね自然学校」をどうするか、という議論は、次にさまざまな年齢層が関わるという縦の広がりも生み出した。

そして中学生や幼児の参加機会を増やし、近隣の高校生や大学生がボランティアに参加してくれるようになった。

さらに、20代の若者で構成される村の青年団が、子どもの体験活動を企画運営した。

30代、40代の階層を対象に「大人のあんじゃね自然学校」を実施しようという意見も出てきている。

週末のこども居場所の質の高さは、放課後のこどもの居場所への期待へと膨らみ、今年度から学童保育も手掛けるようになった。






活動開始から13年。

地域の大人による良質な教育活動に関わったこどもたちが、今やそのまま村で就職するようになった。

驚くべきことに、Uターンで帰ってくる若者も増え始めた。

彼らのこどもたちが参加し、「学びの循環」が生まれる日は近い。



小さな山村の住民、とりわけ村行政とNPO,そして学校が協働して山村が持つ教育力を信じぬき、「支え合い・共助の仕組み」を豊かにつくりなおすことを通して「教育の自己決定権」を発揮していきたい。

日本一の学びの村を目指す。

それは小さな村の大きな挑戦である。


代表 辻だいち

プロダクツ

2015年11月11日 | ひとねる=自律のひとづくり
うれしくて楽しくて飲みすぎた。

およそ20年前に、暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)一緒に過ごしたこどもたちとお酒を酌み交わした。

彼らが小4とか小6のころだ。

女性のフジ(キャンプネーム)が、NHKに取材された「大黒柱」でガラスがはずれた窓枠から顔を出したシーンは、あまりにも有名だ(笑)






「あったあった、そういえば!」
3人で話し込むほどに、あの時の詳細が想い出される。

「え~っっっ! あの時、そうだったの!!!!????」
20年たって初めて知ることがお互いけっこうあってこれまたビックリ。


想えば私が25~26歳のころだ。

怖いものなしの若さで、こどもたちと24時間365日、ガチンコで向き合う日々だった。



目の前にはもう30歳前後になった2人がいる。

いろんな経験をしてきたことが、語られた言葉以上にうかがえる。

迷いつつも、しっかりと自らの足で立っている。

共に暮らした日々の濃密さ、彼らに向き合った私の想いの強さ、そこに費やされた時間と汗。

それらが彼らの人生の質を左右すると信じている。

彼らの人生こそが、私たちの活動のプロダクツ(生産物・成果物)。




「NPOグリーンウッドのウエブサイト、こうしたらもっとよくね?」

「いつか一緒に映画作りたいね!」

「毎年1回くらいは、同期会やろうよ。ダイチも来てよ」

うれしい提案がいっぱいだ。


20年を経て、人生を語りあう関係になった。

これから一緒に社会を創っていくのが楽しみだ。

教育者冥利に尽きる。

掛け値なしにうれしい夜だった。


代表 辻だいち


今こそ歌うのだ

2015年11月04日 | あんじゃねぇ=平和で安心な社会へ
沖縄に来た。

2001年から始まったKids’ AU(こどもたちのアジア連合)キャンプ。

日本、中国、韓国、北朝鮮、モンゴル、ロシア、6か国のこどもたちが、自然体験を通して本質的な平和の土台を築く活動だ。

まさに【信州こども山賊キャンプ】のアジアバージョン!

強い意志を持った大きなうねりとなったこのキャンプ。

15回目(15年目)を迎えた今回はこの夏、沖縄本島北部やんばるで開催だった。

11月に沖縄に来たのは、その御礼の挨拶まわりのためである。



▼8月の那覇空港。モンゴルとロシアのこどもたちを迎える





6か国のこどもたちは、やんばる東海岸の海でとことん遊んだ。

「こどもたちがこうやって遊べば、争い事は起こさないさ」

やんばるのうみんちゅ(漁師)が、こどもたちを見つめながら最高の笑顔でつぶやいた。

もちろん手には泡盛のグラス。

こどもたちの歓声、海原をわたる風、身体を包む優しい波、そして飛び交う6カ国の言葉と歌。

確かに、平和の音が聞こえた。










全校生徒6名の小さな小学校に、北東アジア6か国のこどもたちの大きな輪ができた。

校庭を見下ろす高台で、校長先生と二人で輪を見続けた。

「この小さな学校の校庭で、多くの国のこどもの声が聞こえる。それだけで平和を感じるさ」

校長のつぶやきに同感した。

武器を持たない琉球王朝の、歴史と風土から滲み出る本質。

その本質が、アジアのこどもたちに、どこまでもやさしいまなざしを向けさせる。













こどもたちのアジア連合(Kids’ Asian Union)を、いつか創りたい。

その想いで15年前に始めたこのKids’ AUキャンプ。

戦後70年の時に、この沖縄で開催できたのは意義深い。

戦後であり続けるうちに、なんとしてでもKids' AUを!と夢見ている。



アジアのこどもたちが遊んだこの東海岸の海が、今、壊されようとしている。

しかも、積極的平和主義の名のもとに。

自然を次の世代まで残せるのだろうか。

いや、残すのがわれわれ大人の責任で、その気持ちや自然の大事さをこどもたちに伝えたいと、山賊キャンプや暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)で一所懸命歌ってきた。

アジアのキャンプを続けてきているのは言わずもがな。

今こそ、歌わなければ。

下手なギターで今日も歌う。

曲名は「私のこどもたちへ(故:笠木透)」という。








生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を

あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう


生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を

あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

目を閉じてごらんなさい 野原が見えるでしょう

近づいてごらんなさい りんどうの花があるでしょう


生きている君たちが 生きて走りまわる土を

あなたに残しておいて やれるだろうか父さんは

目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう ♪



代表 辻だいち