熊本にいる。
今夏、私たちNPOグリーンウッドは、地元泰阜村と住民、そして村外のファンとネットワークとの協働で、昨年度に引き続き(昨年度は16人)、熊本地震の被災児童14人を「信州こども山賊キャンプ」に招待した。
昨日、その14人のこどもたちと、この熊本の地で再会した。
そして今日、甚大な被害を受けた被災地:南阿蘇村をめぐる。
▼熊本のこどもたちに、山賊キャンプの想い出会(報告会)を開催
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/7b/bcc1df5b8b7b4c7b33e4b67d93362859.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/4a/ee02854a24e81a1104495ed645f2df11.jpg)
私の住む泰阜村は、人口たった1700人ほどの国道も信号もコンビニもない、文字通り「何もない村」だ。
つい先日の10月14日に、ようやく村内を大型バスが縦貫できる2車線の道が開通した。
いったい、いつの時代の村だ?というほど、従来の指標では取り残されている村である。
「自立支援」の名のもとに、老人や若者、母子家庭、そして子どもにも「自己責任」と「自立」が強要されるようないわば新自由主義的な政策が実施され続けている。
「個人の能力を高めて自立せよ」と迫る政策は、人間をばらばらな孤立した存在にし、およそ「自立」できない個人、集団、地域に「自立」を強要する。要は、「自分が強くなる」ことが「自立」だという。
しかし、どうも腑に落ちない。
南信州で長年にわたり山村留学や自然体験キャンプを続けてきた私にとっては、個人の能力にスポットをあててそこをいくら強化してもそれは本質的な自立とはいえないのではないか、という思いが常につきまとう。
24年間見続けてきた子どもたちの姿は、決して「強い個人」ではなかった。
むしろ、思い通りに進まないことに腹を立てたり、自分のことを自分で決められなかったり、仲間のことを思いやれないといった「弱い個人」の姿だ。
そんな「弱い」子どもたちであっても、支え合い、認め合う仲間が「そこに存在する」という安心感の中で、確かに成長していく場面を見続けてきた。
その昔、暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)に目のつりあがった小5の女の子が参加してきた。
触るもの皆傷つける、といった雰囲気を身にまとう彼女の口癖は、「どうせ」だった。
「どうせ私の言うことなんて聞いてくれないんでしょ!」
「どうせ私なんかできないから!」
「どうせ大人が決めるんでしょ!」
不思議でならない。
自分の可能性を低く設定している。
自分を否定的にとらえている。
おそらくそれまでの10年間、そういうことを学習してきてしまったのだろう。
当然、毎日毎日、仲間とケンカだ。
それでも仲間は誰も、彼女と関係性を創ることをあきらめなかった。
みんなで彼女の意見を大事にし続けた。
その日々の積み重ねが、いつしか彼女に「自分の意見が大事にされている」と気づかせるようになる。
この「周りから認められる」という実感と積み重ねが大事なのだ。
認められているという実感は次に、周りを認めようとする姿勢に発展する。
彼女は1年かけて周りから認められる実感を、その手に握った。
その実感を通して、周りの人たちを認めることができるようになった。
そしてつりあがった目は見事なまでにやさしくなった。
「支えられている、認められている、応援されている」ということを、子どもたち自身が実感できる「場」や、実感できる「周囲との関係性」が、今は本当に少ない。
その実感と安心感があれば、周りを支え、認め、応援することを自らできるようになるだろう。
同じことは、子どもだけでなく、生産能力が低いと(断定)されてきた老人や障がいを持つ人びとにも当てはまる。
彼らもまた、一人一人が「自立」しているから「支え合う」ことができるのではなく、「支えあう」からこそ「自立」して生きようと思えるようになるのだ。
新自由主義政策のはざまで息切れしそうなへき地山村もまた、単独で「強くなれ」と迫ること自体にもはや限界が来ている。
東日本大震災や熊本地震、そして九州北部豪雨等で被災して壊滅的な状況に陥った小さな地域は、今、互いに「支え合い」ながら「自立」しようとしているではないか。
「『支えあい』の中から滲み出るように生まれる確かな『自立心』」。
それが「自律」だ。この国にはそれが欠けている。
今なお放射線と闘う日々を送る福島の子どもに、地震に豪雨そして猛暑や台風と立ち向かう熊本の子どもに、そして疲弊しきったへき地山村に、「もっと強くなれ」と誰が言えようか。
子ども、老人、障がい者、被災地・被災者、へき地・・・、弱く小さな力を侮るな。
より弱いものが犠牲になり続けてきた「負の連鎖の歴史」にピリオドを打ち、「支え合い」による「自律の国づくり」に踏み出そう。
「核」や「武力」による平和構築と訣別し、「支え合い」による平和構築へ、今、踏み出そう。
満州開拓、植林、減反、自治体合併・・・、国策に翻弄され、非効率の名のもとに切り捨てられてきた「何もない村」:泰阜村から、そして今なお4万5千人が仮設住宅に住むことを余儀なくされている熊本の地に立ち、この国の未来を決める総選挙の結果に絶望にも似た衝撃を受けつつ、それでもあきらめずに這いつくばって日本再生のメッセージを発信したい。
今夏、私たちNPOグリーンウッドは、地元泰阜村と住民、そして村外のファンとネットワークとの協働で、昨年度に引き続き(昨年度は16人)、熊本地震の被災児童14人を「信州こども山賊キャンプ」に招待した。
昨日、その14人のこどもたちと、この熊本の地で再会した。
そして今日、甚大な被害を受けた被災地:南阿蘇村をめぐる。
▼熊本のこどもたちに、山賊キャンプの想い出会(報告会)を開催
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/7b/bcc1df5b8b7b4c7b33e4b67d93362859.jpg)
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私の住む泰阜村は、人口たった1700人ほどの国道も信号もコンビニもない、文字通り「何もない村」だ。
つい先日の10月14日に、ようやく村内を大型バスが縦貫できる2車線の道が開通した。
いったい、いつの時代の村だ?というほど、従来の指標では取り残されている村である。
「自立支援」の名のもとに、老人や若者、母子家庭、そして子どもにも「自己責任」と「自立」が強要されるようないわば新自由主義的な政策が実施され続けている。
「個人の能力を高めて自立せよ」と迫る政策は、人間をばらばらな孤立した存在にし、およそ「自立」できない個人、集団、地域に「自立」を強要する。要は、「自分が強くなる」ことが「自立」だという。
しかし、どうも腑に落ちない。
南信州で長年にわたり山村留学や自然体験キャンプを続けてきた私にとっては、個人の能力にスポットをあててそこをいくら強化してもそれは本質的な自立とはいえないのではないか、という思いが常につきまとう。
24年間見続けてきた子どもたちの姿は、決して「強い個人」ではなかった。
むしろ、思い通りに進まないことに腹を立てたり、自分のことを自分で決められなかったり、仲間のことを思いやれないといった「弱い個人」の姿だ。
そんな「弱い」子どもたちであっても、支え合い、認め合う仲間が「そこに存在する」という安心感の中で、確かに成長していく場面を見続けてきた。
その昔、暮らしの学校「だいだらぼっち」(山村留学)に目のつりあがった小5の女の子が参加してきた。
触るもの皆傷つける、といった雰囲気を身にまとう彼女の口癖は、「どうせ」だった。
「どうせ私の言うことなんて聞いてくれないんでしょ!」
「どうせ私なんかできないから!」
「どうせ大人が決めるんでしょ!」
不思議でならない。
自分の可能性を低く設定している。
自分を否定的にとらえている。
おそらくそれまでの10年間、そういうことを学習してきてしまったのだろう。
当然、毎日毎日、仲間とケンカだ。
それでも仲間は誰も、彼女と関係性を創ることをあきらめなかった。
みんなで彼女の意見を大事にし続けた。
その日々の積み重ねが、いつしか彼女に「自分の意見が大事にされている」と気づかせるようになる。
この「周りから認められる」という実感と積み重ねが大事なのだ。
認められているという実感は次に、周りを認めようとする姿勢に発展する。
彼女は1年かけて周りから認められる実感を、その手に握った。
その実感を通して、周りの人たちを認めることができるようになった。
そしてつりあがった目は見事なまでにやさしくなった。
「支えられている、認められている、応援されている」ということを、子どもたち自身が実感できる「場」や、実感できる「周囲との関係性」が、今は本当に少ない。
その実感と安心感があれば、周りを支え、認め、応援することを自らできるようになるだろう。
同じことは、子どもだけでなく、生産能力が低いと(断定)されてきた老人や障がいを持つ人びとにも当てはまる。
彼らもまた、一人一人が「自立」しているから「支え合う」ことができるのではなく、「支えあう」からこそ「自立」して生きようと思えるようになるのだ。
新自由主義政策のはざまで息切れしそうなへき地山村もまた、単独で「強くなれ」と迫ること自体にもはや限界が来ている。
東日本大震災や熊本地震、そして九州北部豪雨等で被災して壊滅的な状況に陥った小さな地域は、今、互いに「支え合い」ながら「自立」しようとしているではないか。
「『支えあい』の中から滲み出るように生まれる確かな『自立心』」。
それが「自律」だ。この国にはそれが欠けている。
今なお放射線と闘う日々を送る福島の子どもに、地震に豪雨そして猛暑や台風と立ち向かう熊本の子どもに、そして疲弊しきったへき地山村に、「もっと強くなれ」と誰が言えようか。
子ども、老人、障がい者、被災地・被災者、へき地・・・、弱く小さな力を侮るな。
より弱いものが犠牲になり続けてきた「負の連鎖の歴史」にピリオドを打ち、「支え合い」による「自律の国づくり」に踏み出そう。
「核」や「武力」による平和構築と訣別し、「支え合い」による平和構築へ、今、踏み出そう。
満州開拓、植林、減反、自治体合併・・・、国策に翻弄され、非効率の名のもとに切り捨てられてきた「何もない村」:泰阜村から、そして今なお4万5千人が仮設住宅に住むことを余儀なくされている熊本の地に立ち、この国の未来を決める総選挙の結果に絶望にも似た衝撃を受けつつ、それでもあきらめずに這いつくばって日本再生のメッセージを発信したい。
代表 辻だいち