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Cockloft

趣味の道具や昔のノートなんかが散らばってる。
そんな「屋根裏部屋」。

Feeling a moment

2006-12-04 | Thinking

12月。世の中では師走といいますが。

 

 

な~んか、 ヒマ。

一日の半分くらいは寝ております。

 

考えてみればやんなきゃいけないことはたくさんあるんだけどね。

研究室選びとか、
就活関係とか、
バンドのこととか、
あと細かいこともいろいろと。。

 

ホントはヒマ感じてる場合じゃないんだろうけど、

なんつーか、走ろうにも、
どこに向かって走っていいのかわからなくて足踏みしてる感じ。


そして、10メートルくらい先に、
踏み込んだらそのまま抜け出せなさそうな。

実態の見えない霧が浮かんでる感じ

 

 

「恐怖に対する一番の方法は、いっそそれをやってしまうことだ。」

らしいです。

まあ確かに。
やってみれば何事も何てこと無い。ハズ。

 

 

 

あと、
ある先輩と最近話して、なるほどと思ったこと。

「全力になることの大切さ」


カッコつけるってのは妥協することの言い訳なんだとさ。

「オレはこういうのがカッコいいんだ」と。

結局それは全力を出し切れてない自分の状態を、
逃げ道を与えて認めてしまってるってこと。

もう無理ってほど全力になれると、
いろんなものが見えてくるし、何より本人が清々しいんだろうね


そして、このレベルでは小手先ではもうだませない。
全力の姿とそうでないときってのは、見る人が見ればいとも簡単に見破られる。



しかし、20年そこらのこの人生。

全力になったことって何回あります?

 

 

 

簡単に言うはいいけど、
人ってのはわかっててもなかなか行動に移せるものではない。

だって人間は理屈で動くもんじゃない、感情で動くもんだ。

 

だから、
あーだこーだ理屈こねてから行動するよりも、

まず行動しちゃってもいいんじゃないだろうか。


行動した結果、新たな道筋や感情が生まれる。

 

人は行動から変わるとはよく言ったモンですな

 

 

 

 

 

最後に、

その先輩との会話で出た究極の結論。。

 

「何もしない人間なんか、ただのウ○コ製造機だ!!」

 

ただの製造機にはなりたくないでしょう?

じゃあ何か動きださないとって話。

 

 

 

 

いろいろと啓発されてちょっと考える。

自分は来年の四月にはどうなっていたいのか・・・? ( ̄3 ̄)

 

アレがこーなって、コレはこーいう感じで、、といろいろあるけど。

 

とりあえず去年みたいに

 

さえ開いてなければとりあえずオッケー

だと思います。

 

健康は大事です。

とっても 

 

 

とりあえず、
早くスキー場オープンせんかなー。

 

スノボがしたい。

とってもしたい

 


Chased ...

2006-11-19 | Thinking

実感としてそこにあるけど
目には見えない。

そんな、いろんなものに追い立てられてるような感じ

 

 

同年代の友達に会えば、話題は決まって。

就活どーする?とか
研究室どうしよう?とか。

迷ってる人にとってはリアルな話だ

 

 

悩んでるだけじゃ何も進まないんで
とりあえず手頃な企業の説明会とか行ってみた。


実際に社会っていう熱い現場を覗くと、
その熱気ややる気が伝わってきて、スゲー面白そう。

そんで単純にも触発されて、
今の自分じゃだめだって思ってしまう。

レベルの高い人に会って、話がきけるってのも楽しい

 

 

就活も大変なんだろうけれど、
楽しいんだろうな。


社会って言う場に出て、その先々で見つける発見。

新しい世界に踏み出すのは、なんにせよ楽しいもんさ。
何かのスポーツにしろ、音楽の業界にしろ。

 

 

 

昔から自分は
やりがいを見つけると入れ込んでしまうタイプ。

この流れだと、
社会に出ることにばっかり気が急いて
「院に行く2年間は役に立つのか?」
とか思い始めてしまう。

 

しかも、興味を持った仕事も、ほんの一面に過ぎないんだろう。

山のような仕事の情報を見てても、
ほとんどが実感がわかないし、興味があるかも分からない。

 

第一、自分らのレールの先には何があるんだ。

レールをはみ出そうとする前に、
行き着く先のことも知っておかないと。

 

 

目の前に置かれた選択肢は無限大。

自由だからこそ。

 

迷う。。 ( ̄∀ ̄;

 

 

 

もっと情報が必要だ

さび付いた情報やイメージでできた世界じゃなくて、
新鮮な活きのいいヤツ。

 

 

何かしたいときは足を動かせだ。

ちょいと、ぶらぶら歩いて来ようかね

 

気ままな一人歩きは結構好き。

知らない場所であればあるほど。。

 


Lost in Changing

2006-11-12 | Thinking

このごろはみんな、

何かを失ったり、
第一線から退いたり、
今あるものを手放したり。

そんな「変化の時期」

 

 

そんな中何かを得て、

やる気の矛先を今までと変えて

新しいことに向かい、取り組み始める。

それはまったく新しいものだったり、
意外なものだったり。

 

 

失ったもの、変わり行くものに気づいている。
知ってるうちはまだいい。

それについて感情ももてるし、自分なりの結論ももてるから。

 

 

でも、時として、
今の状況、実は変わってきてるってものに気づかないことがある。

知らないうちに、昔あったものがなくなってる。
身の回りに、当たりまえのようにあったもの。

失くしたことにさえ気づかないもの。

そんな中には、一時期は大切にしていたものかもしれない。

 


そういうものほど、きっと、
後になって初めて「そういえば」って、慌てて取り戻そうとしたり、

考えたりするものなんだろう。

 

 

変化に身をゆだねるのは簡単だ。

でも、変化に気づくのは意外と難しい。

 

 

最近、気づけば多いなってこと

今は無いけど、
ちょっと前には当たり前にあったこと。



そういう要素が多い最近だからこそ、
ちょいとだけ手間をかけて、確認してみる。

 

 

 

なくしちゃいけないもの、

なくしたものから得れるもの、

大切なものが、

意外と眠ってるかもしれない


 


Convert to...

2006-09-17 | Thinking

機会があって
多くのOBの人たちからいろいろな話を聞かせてもらった

就活から、仕事の話。
社会人になってからの生活。

 
ちょっと先のリアルな話。
いい刺激になる。

偉大な先輩の話はやっぱり偉大だ

   

 

20、21歳は一番の転機らしい。

強制されるもんがなくなり、
身軽になった分、
自分で選んで行動していく。

この先10年間の人生設計は、今のこれからの行動にかかっている。


きっかけさえあれば、
あとは人生はどんどん転がっていく。

特にオレの今までの人生の場合は。。


 

思えば今まで、
自分は先輩から多くのことを教えてもらってきた。

それは技術だったり、経験や生き様だったり。

後輩である自分はひたすら吸収し、
成長しようとしてきた。


やがて時は流れ、先輩は去っていく、

そして、
「教えてもらっていた側」から
「教える側」へ。

蓄積した経験、会得した技術。

それらを今度は
次の世代へと受け継いでいく。


かつての自分が心ある先輩によってそうされたように。

 

 

しかし、それがなかなか難しい。

「学ぶ」技術と「伝える」技術はまるで違う。

今まで自分本意だったことを、
他人に目を向けるようにするのも
いきなりできるもんじゃない。

でも、
こうやってアウトプットしていくことが
人生における活動の一番大事なところなんじゃないか。


ただインプットして何もしないだけじゃ、
いなくたって変わらない。

アウトプットして、
周りの世界に働きかけ、
影響を与えられるようになって初めて、

存在意義というものができてくる。

 


 

ある先輩と話した、

「仮に人生が終わったとして、
その人生を振り返ってみたとして、

自分がどんなことをしてきたか」っつー想像


「したこと」っていうと、
「自分が何かに影響を与えたこと」

何かに貢献したりとか、
ほかの誰かを幸せにしたりとか、
何かを成し遂げたりとか、
誰かの心を動かしたりとか、

そういうことをいうんじゃないかね。

今はそんな大層なことはできちゃいないけど、
こっからが主に何かを「する」時期。

 


それが物事を学ぶインプットの「学生」、
働いて成果を出すアウトプットの「社会人」

そんな学生生活の最終段階の大学。

その中での、
後輩から先輩になって、アウトプットを始めるとき。


どんな世界に進んで、どんなことをやりたいか。
そんなことを模索し、行動していく大学三年生。

 

 

う~ん

確かに人生の転機かもしれない。

 

この先10年の人生設計とな。

 

さてと、

どう人生を「デザイン」していこうか

 


文章化

2006-06-07 | Thinking

最近アウトプットが下手だって思う。

思えば昔ほどインプットにも精を出してない。

 

最近はあんまり考えないで生活してるのかも。
昔はもっと考えて生活していたような気がする

 

 

一年前、ブログを初める前には
少なくとも、一日一ページは日記を書いていた。

日記というよりは、
一日一ページをノルマに、
その日に感じた事、
そこから考えたことをひたすら書いていた。

ノッてきてるときの文章は、案外なかなかのもので、
今読み返しても「ほう」と思うことも少なくない。

とにかく何でもいいから頭ん中のことを文章にして書いていた。

 

 

 

すると結構いろんな効果が。

頭の中のあいまいなイメージでしかない考えを、
人に説明できるまで昇華することもできるし、

文章にして書いてるうちに、考えのほうもまとまって、
書き初めの予想とは違う結論に至ったり。



目的があるため、
考えるきっかけや心に響くものを探すようになる。

言わば、ちょっと感性が鋭くなる

 

 

せっかくいろいろ書いてるんだから、
その中の一部をブログって形で書いてるわけだが

結局はめんどいので今はブログのみ。

 

 

 

しかし、
好き勝手に書く日記の一番の違いは、
人に見られてるって事。

しかも今や結構な人数に。。

不特定多数に見られてるからには、
ちょっとは考えて書かなきゃいけないし。
多少なり人には見られたくないものもある。


そのうちに、ブログを書くのがだんだんおっくうになっていき。
頭ん中の文章化も怠けてくる。

 

 

そしてあまり考えずに日々を過ごす。。
こりゃもったいない。

 

 

 

 

・・・とまあ、

とりあえず今の頭ん中をひたすら文章化。

 

書こうと思えば書けるじゃないか。
読みやすさとか、配慮とかは完全無視だけれど。


最近は本質を忘れ、
文章を書くことすらおっくうになっていた。

ちょっと基本に戻ろうか。

 

 

 

 

ま、そうなりゃ完全なる独り言ですが

 

 

言葉で、行動でアウトプットするには、
まず自分が今何を考えているかを知る。

それが一番シンプルで、意外と一番いい手段。

毎日何かしら刺激を受け、
何かしら感じてるんだから、それをスルーしちゃうのはもったいない。

どんな刺激だって人の頭ってのは忘れるようにできてるんだから

 


大人

2006-05-14 | Thinking

ちょいと

昔のブログを見返してみた。

 

約一年前の自分。

ちょっとしたことでもスグに感動してやがる。
まだまだ青いな~

 
確かにそのころに比べれば経験は増えたし、
考えも少しは深くなっただろう。

 

 

しかし、
見てて一番感じたのは

最近昔ほどいろんなことに感動しなくなったってこと。

 

ちょっと前までは、
新しいこと始めるたび何か感じることもあったし。

ライブで有名人に会ったり共演でもしようモンならスグに感動してた。

今は、
新しく始めることも少なくなっちゃったし、

ライブで大物と共演するときも、昔ほどの気負いも興奮もなくなってきた。

 

慣れてくればちょっとしたことじゃあ感動しない。

昔の自分のほうが、
今よりも新鮮な驚きを生き生きと書いてるような気がする。

 

 

 

 

 

 

大人になるって何だ?

 

感動しなくなること?

 

 

いろんな分野を開拓していけば、
そこで何かするたびに感動や発見を覚える。

そして多くの分野をかじり、経験を増やすほど、
新たな発見は少なくなっていく。

麻薬と同じで、毎回同じようなことでは感動しなくなるらしい。
だんだん要求のレベルが高くなってくる。 

したがって、普段あるようなことでは次第に感動しなくなり退屈になっていく。


新入生なんかまさにそうだ。
彼らは出会ったことの一つ一つに目を輝かせてる。
もうつくばに住んで三年目となるオレらとは違って・・・

 

 

 

先輩で、今やれるけどあえてやらないって人がいた。
「今がんばってる分野に飽きたらそっちをがんばってみよう」ってことらしい。

あけるのがもったいない。
楽しみは後に。

 

何でもかんでも手をだすんじゃなくて、

今の生活に刺激が無い、行き詰ったときに開ける
選択肢を残しておいてもいいのかもしれない。

 

「今のうち何でもやろう」
という、今までの自分の態度とは正反対。

 

 

でも

チャンスを残しておくことと、
チャンスを逃すことは違う。

そこの見極めは大事だ。
今のうちしかできないことは結構たくさんある

 

 

オレは欲張りなんだよな。
いろんなことをしたい。
各分野、そこそこまで極めたい。

でも、感動する心も忘れたくない。

 

人の生き方は千差万別、
自分の筋を曲げてまでやることはないさ

自分に合った生き方が一番大事。

 

 

 

大人にならないまま、大人になろう

 

 


Deceite

2006-04-29 | Thinking

思い通りにならない体がもどかしい。
傷痛ぇし


まーずいぶん良くはなったけどね。

 

 

 

早く、テニスやホッケーやライブしたい

 

あと飲みたい

 

今思うと入院前はずいぶん体力あったんだな~って実感する。
今はちょっと出歩くだけで疲れてしまうわ

 

 

 

今日はつくばPARKDINERでの
BRAHMANのライブの日。

普段自分らが立っている同じステージで
彼らはどんなライブをするのか。

そしてその同じ舞台でflashbackなどつくばの先輩達がどんなライブを見せるのか。

スッゲー楽しみにしてたのにな~。

 


だが今の状態で300人ですし詰めのパークに行くのは

無事に帰ってこれない気がするんで・・・。

ここはガマン。
あ~行きたかった


 

みなさん、ライブレポ楽しみにしてます。 
詳しく書いて下さい。

 

 

 



 

しばらくうっぷんが溜まってたんで

ちょいと語ります。

 

 

世の中は欺瞞に満ちてる。

 

最近、とあるきっかけで
雑誌やバラエティー番組などの成作の裏側を知った。

そこで行われてるやらせやお膳立てなんかを知ると、
コレを見て「凄い」って感心してた自分が
なんだかアホらしく思えてくる。

 

コレに限らず、

こういったお膳立てが当然な番組や雑誌
       (バラエティー番組、一般観覧)
意図によって隠され、建前だけの情報、
       (ニュース、国会放送)
都合の良いように塗り替えられ、勝者によって書かれる歴史、
       (教科書問題、多くの古文書)
主観や立場に偏るメディア
       (新聞とか・・) 


例を挙げると実にたくさん。

 

 

普段耳にする情報のほとんどは
数ある事実の中から選ばれ、加工されてから入ってくる。

 

一番の情報源であるテレビや新聞などのメディアだって、
うかつに事実を書けば、自分に不都合が及びかねない。


実は知らなかった
公表できない重大な事や
見過ごしてた興味深い事実がたくさんあるはずだよ。

知るべき情報と、
受け取る情報にはズレがある。
 


そして今も、

どーでもいいトップニュースやってる裏では、
本当に知るべき、はるかに大切な事実が動いてる。

 

 


知りたい情報、
本当に知らなきゃ行けない情報ってのは、
受け身でいるだけじゃ絶対に入ってこないんじゃないだろうか。

たぶん多くの人が、流れて来るまま受け身で情報を得ている。

何が真実で、何が知らなきゃいけないことか。
何が自分にとって大切な情報なのか。

そういったことを考えて、
大事なことは自分から知ろうとしていかなきゃいけない。


そうじゃないと、

いずれ
「知らなかった」じゃ済まされない事態が必ず起こる。 

 

 

発言の自由もだんだん規制され行くこれからの時代。

メディアも発達し情報操作も今や相当な影響力がある。

ただ情報を鵜呑みにするんじゃなくて、
どっかで疑問を持つってのが大事なんじゃないかと。

そー思ったわけです。

 

 

 

 

 

ずーっと病院のベッドにいたんじゃ、
ポジティブなことはあんま考えられませんな



入院仲間とのもっぱらの議題は、

ノリのいい看護婦さんの発掘でした。


Hさん(35歳、独身)のノリのセンスには脱帽でした

 


Time Limit

2006-04-16 | Thinking

まったり気分には、TOYのさわやかロックがよく合う

渋谷のタワレコにありましたさ。

「まさか」と思って聴いてみると
まさしくあの横チンさんの声。

カッコよすぎ

ライブでやってたあの曲が入ってて非常に満足です。
つくばの先輩達はどんどんタワレコの試聴機に進出中ですな。

 

 

 

東京には、いろんなものが落ちていた。

 
さまざまな希望、意図、感性

ショップ店員と芽生えた友情、

そして、少々危険な誘惑まで。

 

人の心理を巧みについてくる誘いは一番タチが悪い。

甘い話は絶対に裏があるもんさ

 

 

 

東京を朝から夕暮れまでひたすら歩いた。
気ままな一人歩き。

んで、帰って新歓に迷い込んで、

夜には今や社会人の先輩と「拉致」という名のドライブ to日光 

 

 

多くの人に接し、いろいろ考えさせられた。

そんで思ったこと。

 

 

スゲェ人って、メチャメチャたくさんいる。

身の回りには、とても真似できないようなすごいトコ持った人々がたくさん。

いやマジで。

 

 

 
人は後ろを振り返った瞬間に前に進むのを止めてしまう。

道は長く、超えなきゃいけない峠もまだまだ前にあるというのに、


「おお、けっこう来てるじゃん!」って。

そのほんの小さな達成感で大事な歩みを止めてしまう愚か者。

 

まさにオレ。反省です。

少々視野が偏りすぎてました。

 



自分があまりにもちっぽけで、
身の回りのデキルやつらに少しでも追いつこうと、見返そうと、

そうやって昔からやってきた。


時には背伸びして見せたり。
そうやったってスグに疲れてボロが出ちゃうのにね

 


 

 

 

そろそろ一年から信じてきた自分の原点を変える必要がありそうです。

 

原点の方向を「自分」から「人」へ。

本心から人のために動ける人ってスゴくないか?
そんな人に出会い、考えさせられたことがあった。

 

行動の原点、結果として求める先を「自分」にしている限り、
必ず飽きてしまうし前を向き続けていられない。


まさに短期の株の儲けみたいなもん。

結果として仕事と同じく自分は儲けてるけど、
それは努力の結果ではなく、
社会に貢献しているわけではない。

そこに登場するのは「自分」のみ。

 

仕事という行為の「結果」だけを見るのか、「過程」も見るのか。

その二つのお金が同じに見えるかどうかが、人生の分かれ道。

 

「人の役に立ってる」って実感があって初めてやりがいが生まれる、

そのためには自分が多少損しても構わない、
むしろそれくらいがちょうどいい。

 

そんな「自分を使える」人間になりたいです。


 

 

 

 

 

偶然やってた
『いま、会いにいきます』

 

いい映画だったわ。

原作は以前に読んだ事があったけど、
映画を見るのは初めて。

感動ものです

 

 

 

もし。


タイムリミットがあるとしたら。

あと何日かで、この生活ができなくなったら。

大切な人を失うとしたら。

 

 

 

 

あなたは何をしますか?

 

 

 

あらゆる無駄を省いた、

自分の中の一番大事なことが見えてくるハズ。


そんな追い詰められてからじゃないと、本質を見れないのって情けない。

 

 

 

とにかく、本質を見直すにはちょうどいい。

 

 

入院まであと2日。

手術までにはあと4日。

 

 

 

自分の中のタイムリミット(仮)です。

これがホントのリミットにならないことを願うばかりです

 


Not filled

2006-04-14 | Thinking

うまく行かないときってのは重なるもんだね。

一つ一つはたいしたこと無いけど、
それが重なっていくと、意外とでかいダメージ。

 

 

今真っ盛りの新歓。

普段はありえないくらい初対面の人に出会う。

オレは基本的には、
そんな初対面の人、違った世界の人と話すのが大好きだ。

興味を持てばアウェーだろうとどんどん飛び込んでく

 

 

初対面同士の人が話すとき、
自分がどんな人間なのかって事を、多少なり持ちながら向かう。

要は、必要なカテゴライズ。

 

でも、その対話で思ったとおりに理解されないとき。
思ったような成果が現れないときもある。


そんな時、たまに自分はどんな人間なのかって疑問を持つ。
そういえば、最近自分の原点に近いところについて考えてなかった。


一人でいる時間はあっても、
他人がいて初めて生まれる自我。
人とは違う自分は、一人では考えられない。


そんな、表すべき自分が確立して無いと誤解も招くし、
望むような成果は生まれてこない。

 

 

 

とにかく最近、気負いすぎかもしれないが。

出会いの数に対する成果が思った以上に現れなくて
なんかつまんねーなって思う。

もちろんスゲーいいヤツと出会ったりもするよ。


でも、バンドでは初対面の数だけ刺激があるし、
この時期に、例年はもっとワクワクしたハズだし、
もっといろんな刺激が受けられるんじゃないかって

 

 

ほかにも、
そんな自分の意欲に、
他の仲間のモチベーションがついて来なくて失望したり。

とかね。


そこでうまく引っ張っていけない自分も悪いんだが

 

 

 

 

そして最近思ってることが、

本気で討論できる人がいねぇ!ってこと。

 

話が合うとかノリが合うとかだけじゃなくて、
ちゃんと正面から深いことまでストイックに話せるようなヤツが。

今まではそんな先輩や友人がいたけど、
今は卒業してしまったり、なかなか会えなかったり。

そんなことを思って、先輩のありがたさを感じたり、
今度は自分らがそんな立場なんだって事も実感する。


他人のこと「ちっちぇな」って思う自分も何様だとか思うけど、
とにかく何時間でも語り合えるようなパートナー、
そんな知的な刺激に飢えてる自分がいる。


最近何かがもの足りない、
自分の原点に近い何かが

 

 

 

そんなことも考えるため、
明日は病院ついでに都内にフラッと歩きに行くか。


代官山とか、感性の溢れる町でも歩けば
なんか気づくだろう


 


「今」

2006-02-06 | Thinking

なんでだろう。

仲間とバカなことやったり、行動力豊かに遊びまわったり

一年のころには当たり前だったことが、今はなつかしく感じてしまう。

こうしてだんだん、みんな大人になってこんなバカも出来なくなってしまうんだろうか?

 


楽しいことには終わりがある。

以前は、楽しい時間が永遠に続くように感じてたけれど、

最近は、それが終わることをどっかで考えるようになってしまってる。

 


自分は「今」ってのに固執したがるんだろう。


「今」をもっと充実させたいから、予定を埋めようとする。

後悔したくないから将来を考えて今出来ることを探す。

最高に楽しい時間が好きだから、終わりが来るのが寂しい。

 

 

みんな最近将来の事を考え出して、

「今まで遊びすぎたかも、そろそろ真面目になんなきゃ」

って、無茶な行動も減り、

いわば丸くなってきた。



あっという間に二年生も終わってしまうし、

大学生でいる時間も限られている。

 

 

 

でも、

だからこそオレはもっと今までみたいに遊びたい。

刺激を受けたい。


大学生活は限られている。


残りのこの生活をもっと楽しみたいのに、

なんで?もっとみんな無茶しようぜ!

と、もどかしさを感じる

 

変な意味で大人になるって言うか、

「もうこんな歳だから・・・。」

っていうあきらめがときどき寂しい。

 


将来を意識するのはいいが、

意識しすぎて変に縮こまってしまうのもどうか。

今までみたいに動き回ればもっと経験も増えるし、

刺激も受けて、もっと成長出来ると思うのだが

 

大人なんだからといって足を止めるんではなくて、

行動の方向を変える。

自分のやりたいことに関係あることとか、

もっと社会に直結した世界を見てみるとか。

身になる遊びはたくさんある。

 

 

「今」を十分に生きたい。

せっかく培ったこの行動力と、貴重な時間

もっと有効に使いたい。

 


こんな事を、最近たまに考える