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Cockloft

趣味の道具や昔のノートなんかが散らばってる。
そんな「屋根裏部屋」。

How is your Dream?

2006-01-31 | Thinking

夢。

それは具体的なようで非常に抽象的で分かりづらいモン。

 

「夢を追いかける」

「私には夢がある」


いいことじゃないですか。

人にはそれぞれ夢がある。
夢を必死で追いかける姿ってのは美しいもんだ。

 

 

でも夢ってなんだ?

 

「夢を追いかけたいけど、やっぱり現実が・・・。」

ってのもよく聞く話。

夢ってのはそんなに現実から離れてるもんなのか。
夢をかなえるってのは夢を現実化させること?

 

 

夢って定義はそもそも人によって非常にまちまち。

絶対実現不可能なことから、
日常の些細なことがらや、
自分の現実に基づいた具体的な目標だったりとか。

 

この人にとってはかけがえのない事でも、
同じものを他の人が見たら「何でそんなこと?」って思う事もあるだろう。

 

 

 

 

夢ってのは持ってる人と持たない人がいる。 

 

 

例えば最近のニートの問題。

夢を持たない若者として、しきりにクローズアップされている。

「やりたい事が見つからない」という若者に、
大人は「夢を持て」と言う。

夢を持てば問題は解決するのか?

コレが本当なら「ニート以外」の人々はみんな夢を持っていることになる。


でもきっと、そんなことは無い。

原因には今の社会的な歪み、
またそれを今の若者が敏感に感じ取っているなどとちゃんとした理由があるわけだし、こんな漠然とした言葉で片付けようとするのはあまりにも無責任。

 

 

 

 

将来のビジョンをしっかり持って、それに向かって勉強なり努力をする。

コレは夢を持ってて、それに向かって勉強なり努力しているとも言うんだろう。

こういう人はオレは本当にうらやましく思う。

 

 

 

 

自分は夢ってのは持っていない。

それはどんなものが夢っていえるのかがイマイチわかんなかったから。

バンドの目標だったりとか、就きたい職業だったりとか、近い将来のビジョンだったりとかも多少はあるけど。

少なくとも「これが夢だ」って言い切れるようなものは持ってない。

 

 

 追いかけ続けているものはあるんだけどね。

今頑張っているバンドで成功しようっつーのも、
いわば一つの夢だろう。

 

でも、そういった現実化が難しい夢ってのは
「今を楽しむモノ」っていうふうに捕らえられがち。

この夢をマジに考えてる人らとしのぎを削っているんだが、
勉強して社会に出て行くにあたっての夢ってのも探している最中。

多分この二つの夢は共存するには相当難しいことだと思うけど・・・。

 

 

 

  理想論を語って「これが夢だ」っていうことはできるんだろうが、

それではタダの自己満や、自分の作ってる世界や、「夢を追っている自分」に酔ってるだけにも見える。

 

 

 

 

でも

 

夢は見るモンじゃなくてつかむモンだ。

 

 

 

 

今の自分を高めようとするモチベーション。

明らかに自分には無理な事じゃダメだし、

逆に易しすぎるのも物足りない。

 

 だからこそ夢を持つのって難しい

夢って言う漠然としたものにとらわれて行き先を見失うんじゃなくて、

自分にとって本当にやりたいことは何なのか。

 

 自分と向き合って、それらを考えた上でも揺るがない

そんな夢を持ってる人ってのはすごいと思う。

 

 

オレもそんな夢をいずれ見つけたい。

それを探すための残された大学生活。

 

 

 

 

あなたは夢を持っていますか?

 


近い未来

2005-12-20 | Thinking

最近みんなマジに将来のことを考え始めてる。

こないだのカメレオンの忘年会飲みでも、
はっちゃける飲みかと思いきや、
二次会では柄にも無くシリアスなトークに。

 

迫ってくる「現実」に、残された大学生活。

 

 

自分は割と早い時期から考えてたけど、

今の時期になってくると、
みんないやでもそういう事を意識し始めるようになる。

 

残された大学生活をいかに過ごすか。

   ↓

まずは授業にちゃんと出よう!

 

ってのは正しい。むしろ素晴らしい
こうして今の時期からみんな授業にまじめに取り組み始める人は多い。

年間の学費と単位数を計算すると、
「1時間の授業料は3000円」ってのも良く聞く話。

「出れなかったら罰金」見たいな罰を決めてでも
まじめに授業に出るって事は意義のあること。

 

でも、なーんか単純に賛同できない。

自分の興味と授業の趣旨がずれていると、
「この授業は自分の将来に関係あるのか?」
って考えて、冷めてしまう。

もちろん中には興味を引く面白い授業もある。
でもそんな授業は、若干自分の専攻とはズレていたり、
全く学類が違ったり。

 

目の前に敷かれたレールと、
目指したい目的地が若干ずれているような気がする。

じゃあ自分の本当にやりたい事って何だ?

そんな考えで実際に取ってみた芸専の実習の授業。
そこでは建築製図の書き方から、
図面から読み取った外観のパースの描写。
さらには家のプランニングから
製図作成から模型製作まで個人でやるっつー、メチャメチャ骨のある授業。

さすが芸専の人らの間でも「重い」と評判の授業。。。

 

でも、興味のど真ん中だったし、
久々の「授業らしい」授業だったから面白かった。
今まで抽象的なイメージだったデザイナーの世界っていうものも、
面白さも大変さも少しは分かったつもりだ。

 

一言にデザインと言えば、美術的な事を重い浮かべるだろう。
確かにこの大学では「芸術」という分野で扱われているし、
「工学」とはちょっと離れた分野のように感じる。

でも、考えてみればSE(システムエンジニア)って職業も、要はなんかのシステムを設計して造る「デザイン業」だ。

こう考えてみたら、今いる工学の分野からでも自分の興味に近づけるんじゃないかと、最近思ってきてる。

 

この「工学」ってのと「デザイン」ってのが、どっかで交わるとこがないかな~と探してきた。今も探してる真っ最中なんだけれど。

 

とにかく分野にこだわらなくてもいいから、クリエイティブなことがしたい。

 

人とは違うことをしていたい。
って思う自分の性格上、規律性を求められる会社の一構成員(要はサラリーマン)ってのは向かないんだろうな。集団があったらハミ出したがるもんで。

 

でも、どんな職業に就くかってのは、人生単位で言ったら単なる小さな一要素でしかない。

そこで頑張れるか、生きがいを感じられるかってのはそいつ次第。
要は小さいこといちいち気にするよりも自分を磨けって事。

 

もっといろんな器のデカイ人と会って話がしたい。
バンドで活動してると、そんな人に会う機会が多くてなかなか恵まれてる。

 

 

 

 

運命ってのは後からついてくるもの。

それに向かって動けば動いただけ、それなりの運命がついてくる。

 

いつもオレが意識してる

幸運は自分でつかみに行くもの

ってのはそういうことだと思ってる。

 

自分の夢を持ってて、遠回りしてでもその夢に向かって行ってる人ってのは、後から見たら絶対幸せなんだろうな。

 

 

なんか激しくまとまりの無い文になっちゃったけど気になさらずに。
単に出てきた自分の考えをつづってるだけなんで。

最近いろんな考えが浮かんでくる。
今なら話がいくらでも出てきそう

 


No Border

2005-12-07 | Thinking

「どっからどこまでがコレ!」
って定義はなかなか難しいモンで

 

たとえば
親友はどっからどこまでか。

 

中学生のときくらい昔は、
変な仲間意識とか、はぶられたく無いみたいなのがあって
「コイツとコイツは親友」
みたいなのがあった。

 

でも今は全くといっていいほど使わない。

 

だってどっからが親友?

「親友」と「親友じゃない友達」で何か変わるのか。

確かに付き合いの深さや、
気の合う具合とかで程度の違いは出てくるけど、
そんな極めて抽象的な度合いで線引きはしたくない。

 

仮に線引きするとしても、
そんなの各人によって基準はさまざま。

オレだって線引きを始めたらその基準は非常にあいまい。

仮に「付き合いの深い友達」って基準にしたとしたら、
親友は山ほどいるってことになる。

 

でも
「限られた少数が親友」って条件があるとしたら、
そのうちの何割かは親友じゃないってことになる。

その選び方はオレにはわからんです

 

 

 

 

コレに限らず
「ここからここまでの線引き」ってのはいたるところで見つける。



音楽のジャンル。
インディーズとメジャーの線引きはどこか。
天才と馬鹿の境目はどこか。
自主性とエゴの境目はどこか。
空と宇宙の境目はどこか。
自信家とナルシストの境目はどこか。
もみ上げとひげの境目は・・・。

 

などなど、
考えたらいくらでも出てくるねぇ。

 

確かに、分かりやすくするためある程度は必要だとは思う。

でも国境をむりやり引いたために争いの絶えない国ってのも実際はある・・・。

 

あいまいなものを無理やりカテゴライズしようとするばっかりに労力を使う。しかし、それが出来たところで得るものは特に無い。

 

挙句の果てに
「こっからはオレの力では無理だ」
と、自分の限界までも決めてしまう人もいる。

 

こういう「線引き」とか「レッテル」っていうのは一見分かりやすそうに見えて、
気づかないうちに他の可能性までも狭めてる気がする。

 

 

例えば、
情報が足りないうちに無理やり
「この人はこういう人だ」と自分の中でレッテルを貼って、
「らしくない」だのと口出しをする人。

本人にしても「オレはこういう人なんだ」と無意識にそのレッテルを気にして、成長していく可能性まで狭めてしまう。

 

 

 

 

とにかく言いたいことは、
いちいち細かく線引きしなくていいじゃないかってこと。

 

世の中にあるあらゆる物事は、
線引き程度じゃ分かりやすくはならない。

むしろそれがあだになって足かせになったり、
争いごとの種にもなる。 

 

もちろん社会福祉の保障の範囲とか、その線引きが死活問題な人らもいる。
線引きってのはお互いの主観によって基準が変わるから、それを一般的にするってコトは非常に難しい。

 

「全部失くせ」とまでは言わないけど、
いちいち細かいカテゴライズで労力を使ったり、
可能性を狭めたりしなくてもいいんじゃないの?

少なくともオレはそういう線引きは好きじゃないっす。

 

 

ま、あくまでオレ個人の考えなんで気にせんで下さい

 


NoAction,NoChanges

2005-09-02 | Thinking

ライブ後の重い体を何とか起こして根性の一限出席。
コレは自分を褒めてやりたい

二学期になり自分の学類の必修も少なくなってきた。
そろそろ興味や将来やりたいことに向けて、自分の本当にしたい勉強をしてもいいんじゃないか。
そう思って工学システムを一人飛び出し、芸専で芸術やデザインの授業を受けてきた。

受けた印象としては、単位取ること自体は楽なんじゃん?理系とかとは違って授業で習ったことどうこうじゃなくて、それらをそれぞれ自分なりに解釈して、自分なりの芸術感やデザインの感に反映させるって感じなのかな。

でもやっぱ自分でやりたい授業調べて受けただけあって面白いわ。「オレはこんな授業を望んでた」みたいな。

 

 

工シスの授業を無難に取って、研究室入って、その道でそこそこの就職をすることはそんなに難しくないだろう。
でもオレはその敷かれたレールと自分の将来をどうも結びつける事がどうもしにくい。むしろデザインとかの方向のほうが自分の興味に合ってる。

単位なんてのは頑張れば一夜漬けでだって取れる。
ホントに自分のやりたい勉強ならば今からだって遅くないんじゃないか。

そんな考えで、二学期は工シスの授業を何個か切って、もっと自分の興味に素直になって授業を取っていこうと思います。もちろん卒業に響かない程度に・・・。

 

 

この人生で一番自由な身分の大学生活。いろんなことに触れていろんな人に出会い、大学に入った時とは違う本当にやりたい事が見つかった人は身の回りにも何人かいる。

周りからしたら突飛な行動に見えるかもしれないが、自分で一生懸命考えて出した答えなら本人にとって一番幸せになる事なんじゃないか。

そろそろ将来についてまじめに考え出す時期だけに、自分の進む方向についても考えがまとまらずに焦ってきた

あ~まだ行動力が足りない

「変化を求めるなら行動しろ、行動せずに得られる幸せは無い」

どこで聞いたかは忘れたが、なんとなく胸にグサッと来た言葉。

遊びや刺激を求めるための行動だけじゃなく、もっと将来を見据えた行動もしていかないとって思った。

 

 

話は変わって今日はカメレオンの活動日。
新しい一年生も見学に来てくれてなかなかサークルらしくなってきたんじゃない?まだまだ改善すべき点はありますが。

学祭の話も本格化してきて、いよいよって感じがしてきた。思えば去年の学祭の焼きそば屋がきっかけでできたこのかけがえの無い仲間。
去年の学祭は一年生の思い出の間違いなくベスト1になるよ

また同じように店を出す後輩を見て懐かしいと思う反面、負けられないって気持ちも。思い入れが強い分今年も熱い学祭になるんだろうな。
そんで今年はユニステでライブもやりたい
何曲かみんな知ってるコピーとかもやったりして。ぜひとも実現させたいな~。

学祭今から楽しみになってきた