光陰矢のごとし。
歳月人を待たず。
時の流れなんてはーやいはやい。
時とともに
今いるところもどんどん変わって行き、
今輝いてるものも時がたてばやがて朽ち、
新たなものが現れる。
そんな変わっていく世界の中で、
この一瞬を残しておきたい、後になっても思い出したい。
例えば、
仲間との楽しい時間。決定的瞬間。悲しい気持ち。
とてもうれしい感じ。オレ今輝いてるぜ的な状況。
そんなものを残したい、それは誰もが思うだろう
写真なんかまさにそう。
その一瞬の一コマを切り取って、ずっと先まで残すことのできるスグレモノ。
京都でいろんなものを見た。
歴史ある土地に
時を経て残っていたものは単に古いお寺だけではなく
そこにまつわる教えや、人間の真理、思想。
誰もが「人生とは何ぞや?」と考えた末に行きつく先。
それが仏教の教えだったり。
今という瞬間、この自分の活躍
発見、悟り、後悔、美しさ
そんなものをどうやって後世に残すか、
故人たちのそんな努力がたくさん見えた気がした。
残す手段には二種類ある
一つは、こんな文章や、絵や物などの作品、
データなど、形に残るもの。
それは形あるものの定めとして朽ちていくし、
その中で残ったものは貴重でずっと後には価値も上がるかもしれない。
いいものは皆に守られて大切に残っていくこともある。
そしてもう一つは形のないもの。
たとえば教え、意志、感動、経験、
常識、感謝の気持ち、やってやった感。
それらには形がない。
ただ心の中にあり続けることもある。
形がない分あいまいで、個人の中で少しづつ噛み砕かれ、
形を変えながらまた次へと渡っていく。
形+意志として残ったものもある、
京都で見たような、思想とそれについての象徴、
例えば今もなお影響を与え続けているお寺や、
人々を魅了し護られ続ける景色とか。
目まぐるしく変わる流れ、たとえば強風とか川の中を歩いてるイメージ
激しい流れ中で、今の形を保っていられない。
でもたまたま、今の形がすごい気に入っている、
そんなものを何かで表現して川に流す。
作品を作るのだってそうだし、何かを目指して頑張るのも、
大会とかでタイトル取るのも、いい試合に感動したりするのも、
一緒に酒飲んで騒ぐのも、じっくり語り合うのも。
今を形や感情、意志にして、流れに乗せて行くもんなのかなと。
今ならいいものが作れそう、そうやって形にして流す。
メッチャ感動した、この感動を永遠に、そうやって流す。
悩んだ末一つの結論にたどり着いた、これを他の人にもと流す。
流す流す。じゃんじゃん流す。
そうやって、流れの一部になり
流れとして下流の人らに容赦なくぶつかり影響を与える、
それによってまた形を変えていく。
時には流されたものの中に
やたら大きかったり素晴らしかったりするものがある。
それは大きな流れとなって、下流に大きな影響を与える。
運悪く、しかし必然に
流れから消えてしまうものもあるだろう。
あるものは形を変えながら
またあるものはそのままの形で
上から下へと受け継がれ流されていく。
そうやって残っていくもの、
そんな流れにいるんだったら、
受け止めてばっかで自分で止めるんじゃなくて、
どんどん下に流したり、溜めた分大きな何かを作って流したいね。
後になって、流れて影響を与えているものが
自分が流した物だったら面白いじゃない
頭のなかでモヤモヤしてたものが
そんな脳内イメージに。
妄想力が進んでますな。
卒論であともうちょっと書くことが足りません。
普通2、3行ですむ謝辞(お礼の言葉)を、
1ページ分くらい、書いてみようかな。
「 きみの論文は完成度が高いね~
謝辞が。 」
みたいな。
佳境です。頑張りましょう
歳月人を待たず。
時の流れなんてはーやいはやい。
時とともに
今いるところもどんどん変わって行き、
今輝いてるものも時がたてばやがて朽ち、
新たなものが現れる。
そんな変わっていく世界の中で、
この一瞬を残しておきたい、後になっても思い出したい。
例えば、
仲間との楽しい時間。決定的瞬間。悲しい気持ち。
とてもうれしい感じ。オレ今輝いてるぜ的な状況。
そんなものを残したい、それは誰もが思うだろう

写真なんかまさにそう。
その一瞬の一コマを切り取って、ずっと先まで残すことのできるスグレモノ。
京都でいろんなものを見た。
歴史ある土地に
時を経て残っていたものは単に古いお寺だけではなく
そこにまつわる教えや、人間の真理、思想。
誰もが「人生とは何ぞや?」と考えた末に行きつく先。
それが仏教の教えだったり。
今という瞬間、この自分の活躍
発見、悟り、後悔、美しさ
そんなものをどうやって後世に残すか、
故人たちのそんな努力がたくさん見えた気がした。
残す手段には二種類ある

一つは、こんな文章や、絵や物などの作品、
データなど、形に残るもの。
それは形あるものの定めとして朽ちていくし、
その中で残ったものは貴重でずっと後には価値も上がるかもしれない。
いいものは皆に守られて大切に残っていくこともある。
そしてもう一つは形のないもの。
たとえば教え、意志、感動、経験、
常識、感謝の気持ち、やってやった感。
それらには形がない。
ただ心の中にあり続けることもある。
形がない分あいまいで、個人の中で少しづつ噛み砕かれ、
形を変えながらまた次へと渡っていく。
形+意志として残ったものもある、
京都で見たような、思想とそれについての象徴、
例えば今もなお影響を与え続けているお寺や、
人々を魅了し護られ続ける景色とか。
目まぐるしく変わる流れ、たとえば強風とか川の中を歩いてるイメージ
激しい流れ中で、今の形を保っていられない。
でもたまたま、今の形がすごい気に入っている、
そんなものを何かで表現して川に流す。
作品を作るのだってそうだし、何かを目指して頑張るのも、
大会とかでタイトル取るのも、いい試合に感動したりするのも、
一緒に酒飲んで騒ぐのも、じっくり語り合うのも。
今を形や感情、意志にして、流れに乗せて行くもんなのかなと。
今ならいいものが作れそう、そうやって形にして流す。
メッチャ感動した、この感動を永遠に、そうやって流す。
悩んだ末一つの結論にたどり着いた、これを他の人にもと流す。
流す流す。じゃんじゃん流す。
そうやって、流れの一部になり
流れとして下流の人らに容赦なくぶつかり影響を与える、
それによってまた形を変えていく。
時には流されたものの中に
やたら大きかったり素晴らしかったりするものがある。
それは大きな流れとなって、下流に大きな影響を与える。
運悪く、しかし必然に
流れから消えてしまうものもあるだろう。
あるものは形を変えながら
またあるものはそのままの形で
上から下へと受け継がれ流されていく。
そうやって残っていくもの、
そんな流れにいるんだったら、
受け止めてばっかで自分で止めるんじゃなくて、
どんどん下に流したり、溜めた分大きな何かを作って流したいね。
後になって、流れて影響を与えているものが
自分が流した物だったら面白いじゃない

頭のなかでモヤモヤしてたものが
そんな脳内イメージに。
妄想力が進んでますな。
卒論であともうちょっと書くことが足りません。
普通2、3行ですむ謝辞(お礼の言葉)を、
1ページ分くらい、書いてみようかな。
「 きみの論文は完成度が高いね~
謝辞が。 」
みたいな。
佳境です。頑張りましょう
