ペタンク爺さん

ペタンクで遊ぼうよ!で20年

振り返ると

2011年06月18日 14時22分09秒 | ペタンク爺さんの一日
2007年、今から4年前になるがしきりと二人で歩んできたペタンク普及活動のトップから退くように、私に迫っていた。
1987年から、二人で始めていたペタンク活動、この時でもう20年になっていた、60歳から本州のペタンク大会参加と、旅行は軽自動車をキャンピングカー紛いに仕立てて動いていたのもこの時期だった。
年金だけでは、生活費だけだったので最初は病院の夜警に、その後春は山菜採り秋はキノコ採って市場に出荷していた、金額にして大した金額ではなかったと思うが、旅行費用とペタンク普及活動資金にはなっていた。

2007年のシーズンは、シーズン初めから女房の体調が普通では無いように私にも感じ取れていた、私に嫁いできた輪西町でのペタンク講習会と大会、に一晩泊りで連れて行った、生まれ故郷の滝川にも二人で行った。
病院嫌いの女房を無理やり近くの病院に連れて行った、此処で長い間病名まで知らされなかった。
最初から、専門病院に行くべきだったと後で気がつくが、その時でも間に合わなかったと今でも思っている。
10月に、最後となる旅行でミニカーに乗せ舞鶴、福知山、福井、金沢、富山、新潟と一週間の楽しい旅行をなしどけた。
帰ってから、医大病院での診察で肺癌末期を告げられる。
その前に、二つ下の弟が9月に肺癌で先立っていた、年が変わった1月に今度は兄貴が先立って行った。
親父は、胃癌だったのに子供達は皆肺がんだった。
8月末迄頑張った、終の棲家と二人で決めていた市営団地の一室で旅たって行った、知ってる人には誰も逢いたく無いといっていたが、ただ疎遠にしている孫の長男には会いたいと云っていた。
その孫も、旅たつ数日前に最後の顔を出してくれた、本当に嬉しかったと思う、ヘットから出て一緒に記念写真を撮っている。・・・・貴重な写真だ。
今年、短大の二年生になっている。

朝から、今にも雨が降りそうな空模様に八紘学園のアヤメの育ち具合を見に出かける、矢張り生長が遅い、まだ半分ほどの背丈にしかなっていなかった。
代わりと言うか、ひと足早い杜若が咲き誇っていた、今が見ごろなり。

学生さんたちの、試験畠が今年も始まっていた。

杜若いろいろ






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