インドの首都デリー(ニューデリーを含む)の大気汚染は、もう何年も前から世界最悪の状態になっている。ところが、住民の多くは問題の深刻さにほとんど無頓着だった。

 それが最近になって、ついに状況が変わってきた。地元住民や外交官ら外国人の間で、マスクをする人が目立つようになったのだ。中国・北京でよく見かける外科医がつけるような、あのマスクである。米国大使館はスタッフたちの家にそれぞれ高性能の空気清浄機を取り付けた。他の主だった大使館も続々とこれに続いている。

 ノルウェーなどの外交団は、子どもがいるスタッフは住居をデリーの市外に移すよう指示している。インドの企業の中にも、オフィスのビルに空気清浄システムを設置するところが出始めている。

 「やっと商売が軌道に乗りだした」。デリーに拠点を置く空気清浄機会社の幹部バルーン・アガルワルはいう。「当初は外交団からの注文が中心だったけれど、今では地元のインド人の富裕層からも注文が相次ぐようになっている」

 インドの政府当局は、これまで気候変動公害問題にあまり関心を示してこなかった。だが、だんだんと大気汚染の深刻さを認識するようになり、昨年末には大気の浄化で米国に支援を要請した。オバマ米大統領は1月のインド訪問から帰国した後、インド各地の都市に米国型の公害測定システムを導入することをはじめ、環境改善に関するいくつかの援助協定を結ぶよう指示した。インドの都市部ではトラックの排ガスが公害発生の主な要因になっているが、その削減方法を検討することも協定に加える。

 大気汚染に関するニュースが、昨年来ほぼ連日、伝えられるようになったことが、人々の関心を高めている。ぜんそくなど大気汚染が関係するとみられる症状で病院を訪れる人に焦点をあてた話題も度々取り上げられている。

 オバマのインド訪問に際しては、ある科学者の話として、大統領がデリーに3日間滞在すると寿命が6時間縮むとする記事が地元メディアに掲載された。

 「この話は報じるべきだと思ったので、記事にして載せた」とアリンダム・セングプタはいう。有力紙「タイムズ・オブ・インディア」の編集長だ。同紙は反公害キャンペーンを展開して読者の関心を高めることに一役かった。

 もっとも、もう一つの有力紙「ヒンドゥースタン・タイムズ」の編集幹部ニコラス・ドーズは、公害に対するインド人たちの態度に変化を促したのは報道の力だけではないと指摘する。そして、こう彼はいう。「首都の住民たちは、ますます悪化する生活環境に耐えられなくなっているのだと思う」

 しかしながら、インドの政府当局はまだ効果的な対応策をとっていない。それどころか、モディ首相率いる現政府の経済活性化政策は事態をいっそう悪くしかねない。モディ政権は、石炭の使用量を今後5年間で2倍に増やすことを公約しているのだ。

 デリーの大気は、PM2・5の濃度が高いということもあって、世界で最も毒性が強い。微小粒子状物質のPM2・5は肺に深く浸透し、甚大な健康被害をもたらすとみられる化学混合物だ。世界のメディアは北京の大気汚染に注目してきたが、科学者によると、デリーの大気汚染の方がより深刻である。息が詰まるようなスモッグに覆われる冬場が特にひどいという。

 大気汚染モニターでデリーを観測したところ、12月1日から1月31日までの大気には1立方メートル当たり平均226マイクログラム(226グラムの100万分の1)のPM2・5が含まれていた。これは、米国環境保護局(EPA)によると「きわめて不健康な状態」で、子どもが外で遊ぶのは避けなければならないレベルにあるという。一方、同時期における北京のPM2・5の濃度は平均95マイクログラムだった。北京の米国大使館の観測結果だ。

 しかも北京の場合でも、12月と1月にデリーで観測されたPM2・5濃度の劣悪な平均レベルを超えた月は過去2年間に一度もなかった。

 さらに悪い側面があることを見逃してはならない。デリーのPM2・5が他の地域よりも危険なのは、その成分にゴミ・廃棄物や石炭、ディーゼル油などの燃焼で排出される硫黄、ダイオキシン、その他の発がん性物質など毒性がきわめて強い混合物が含まれているからだという。これは、デリーを拠点にした独立系の汚染調査グループ「アーバン・エミッション(Urban Emission)」の所長サラス・グッティクンダの指摘である。

 「デリーの大気は信じがたいほど毒性が強い」とグッティクンダ。彼にはまだ小さい子どもが2人いるが、その子たちの健康を守りたいという理由で住まいを最近、デリーから西南部のゴアに移した。「デリーの人たちは空気のひどさに気づいてきてはいるが、実際のところ、どれぐらい破滅的かが分かっていない」と彼はいう。

 インドでは、このところ毎年150万人(推定)もが、大気汚染が主因とみられる病気で死亡している。年間の平均死者総数の6分の1にあたる人数だ。WHO(世界保健機関)の調べだと、インドは呼吸器系の疾患で死亡する人の数が世界最多で、ぜんそくによる死者数もどの国よりも多い。大気汚染は慢性および急性の心臓疾患を招く原因にもなり、それがインド人の主な死因にもなっている。(抄訳)