なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

身についている『ワザ 』でボランティア活動・地域社会とのコミュニケーション、楽しいシルバーライフ目標で有意義に過ごす 。

ぶり返す猛暑。明日から9月──晩夏の詩歌

2018年08月31日 17時27分34秒 | ブログ

ぶり返す猛暑。明日から9月──晩夏の詩歌

2018年08月31日

ぶり返す猛暑。明日から9月──晩夏の詩歌

晩夏を告げる、夏の象徴・ひまわり

今年は、記録にも記憶にも残る夏になりそうです。「もう9月……」「まだ8月……」といった感覚のせめぎあいの中、東京では猛暑がぶり返していて、本格的な秋の到来はまだまだおあずけのようです。
でも、日を追うごとに虫が鳴く声が聞こえ始め、夏の陽光もすこしずつ弱くなり、9月は夏の名残と秋の気配が行ったり来たりするこの時季。早いもので明日からもう9月。今回は晩夏の詩歌を紹介しましょう。
最近は女子サッカーのほうが有名?な「なでしこ」

最近は女子サッカーのほうが有名?な「なでしこ」

夏の疲れもあるのか、日常の用事も日中ははかどりません。

〈詩嚢渇れ冷蔵庫など開けて見る〉榊原石浦
ユーモラスな句です。「詩嚢(しのう)」は詩の新しい着想のことをいいます。それが渇れてしまって、俳句ができない、文章のアイディアも浮かばない……、仕方なくなんとなく冷蔵庫を開けてみるのですが、新しいアイディアなど入っているわけもありません。

夕方になると、ちょっとホッとします。
近所を散歩したら、夏のさかりとは違った植物が花を咲かせていることに気がついたりして、季節の移り変わりを実感します。風に揺れるなでしこは可憐な印象があります。昔から夏・秋のどちらに入れるべきか、という議論がさかんな季語です。
〈岬に咲くなでしこは風強(し)いられて〉秋元不死男
〈なでしこの節々にさす夕日かな〉夏目成美

夕顔、花穂、実、晩夏光

花が終わると黒い実がつく、そばの花

花が終わると黒い実がつく、そばの花

一方、晩夏に咲く花の中では夕顔には「源氏物語」の影響もあるのか、どことなくはかないイメージがあります。
〈淋しくもまた夕顔のさかりかな〉夏目漱石

芒(すすき)も大きな花穂をつけ始めます。野山や河原などで風に吹かれて銀色に輝く様子は壮観です。
〈いっぽんのすすきに遊ぶ夕焼け雲〉野見山朱鳥
〈をりとりてはらりとおもきすすきかな〉飯田蛇笏

いわゆる雑草も花や実をつけます。
〈草の花ひたすら咲いて見せにけり〉久保田万太郎
〈身をつけてかなしき程の小草かな〉高浜虚子

そばの花もこの頃咲き始めます。白い小さな花が可愛らしいですね。花が終わると黒いそばの実がつきます。
〈雨降やそばの花にて消える雨〉平畑静塔
〈蕎麦畑のなだれし空の高さかな〉沢木欣一
〈蕎麦を刈る天のもっともさみしき頃〉児玉南草

「晩夏光」は夏のさかりに比べて衰えが感じられる光のことです。
〈遠くにて水の輝く晩夏かな〉高柳重信
〈晩夏光タウンページに探しもの〉内田美紗
〈海暮るる岬に哀愁アロハシャツ〉秋沢猛

こんな不思議な、見えないものを見ているような歌もあります。
〈晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて〉葛原妙子

秋立ちにけり

アスファルトの上で何を想うか馬追=スイッチョン

アスファルトの上で何を想うか馬追=スイッチョン

そして季節はめぐり、秋がやって来ます。

秋といえば、次の歌がなんといっても有名でしょう。「風の音」は、実際の音でもあり、微妙な空気の変化、というふうに解釈もできるでしょう。
〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる〉藤原敏行

しかし、初秋の歌でもっともすぐれていると思うのは、次の歌です。
〈馬追(うまおい)の髭(ひげ)のそよろに来る秋はまなこを閉じて想ひ見るべし〉長塚節
「馬追」はいわゆるスイッチョンのこと、「そよろに」はおもむろに、の意味です。ミニマルな空気の震え(のようなもの)が感じられる、すばらしい歌です。

〈ぶりきの蝉へこへこと秋立ちにけり〉高橋睦郎
「ぶりきの蝉」が「へこへこと」という言葉が帯びる、なんともいえず脱力した感じが、過酷だった夏を通り過ぎたのちの秋を感じさせます。

── 生命が躍動する夏は、急激に発達した積乱雲によって雷鳴が轟き、大量の雨が降ることが多くなります。でも、9月に入って空が一気に暗くなって、雷鳴が轟いたら、同じ「雷」であっても、呼び名は秋の季語「稲妻」になります。
季節の移行に伴ってめぐりゆく言葉たち。日本語は難しいけれど、とても奥深く、楽しいものです。

夏から秋へ、季節の変わり目を祝う行事「八朔(はっさく)」。受け継がれる祈りと感謝の心

2018年08月31日 17時25分12秒 | ブログ

夏から秋へ、季節の変わり目を祝う行事「八朔(はっさく)」。受け継がれる祈りと感謝の心

2018年08月31日

夏から秋へ、季節の変わり目を祝う行事「八朔(はっさく)」。受け継がれる祈りと感謝の心
今日で8月も終わりですね。陽射しは強くても、ひと雨ごとに秋の気配を感じる季節がやってきました。明日9月1日は、各地でさまざまな「八朔(はっさく)」の行事が行われます。四季の移り変わりを大切にする日本ならではの節句、八朔について紐解いてみましょう。

「はっさく」といえば、果物をイメージする人の方が多いかもしれませんね。名の由来は、今の時期に食べ頃になるからとか。(ただし、本来の収穫時期は冬。謎が残ります……。)
月の満ち欠けによって1か月を定めていた旧暦(太陰暦)では、新月が現れる日を月初めとしていました。「朔」とは新月のことで、「朔日」は1日(ついたち)を意味します。

八朔と呼ばれる旧暦8月1日は、夏から秋への季節の変わり目。早稲(わせ)の穂が実る季節でもあり、古くは農家で収穫の無事を祈念し、田の神に供え物をして豊かな実りを願いました。

八朔の頃に、初穂を恩人などに贈る風習があったことから「田の実の節句」ともいわれていました。「田の実」が「頼み」に通じることから、鎌倉時代(1185年~1333年)になると、武家や公家の間でも日ごろ頼むところ、お世話になっている主人や師匠などに礼や贈り物をする日として広まっていったのです。

庶民のさり気ない心遣いが、ついには幕府あげての公式行事に!

八朔の風習は、室町時代(1336年~1575年頃)には幕府の公式行事となり、大名や寺社が刀剣や馬などを献上した記録が残っています。

このような贈答習慣は武家社会を中心に広まっていき、江戸時代には徳川家康の江戸城入城が天正18(1590)年8月1日だったことから、幕府はこの日を祝日と定めます。こうして八朔は幕府や武家にとって正月に次ぐ重要な日となります。大名や旗本が、将軍家に祝辞を述べる「八朔御祝儀」と呼ばれる行事も盛大に行われていたそうです。

稲穂を贈って感謝を伝える庶民の習慣が、やがて徳川幕府においてもきわめて重要な儀式として受け継がれていくことになったのですね。

田の神に豊作を祈願し、人と人の絆をつなぐ季節の節目

旧暦の8月1日は現在の新暦(太陽暦)に当てはめると、8月下旬から9月の中旬となり、本年2018年は9月10日が旧暦の8月1日になります。明治改暦以降の八朔行事は、新暦8月1日や月遅れで9月1日に開催されることが多いようです。

京都・祇園で行われる八朔の挨拶回りは新暦の8月1日。礼装した芸妓さんや舞妓さんがこの日、日頃の感謝を込めて師匠やお茶屋などへ挨拶回りをすることが慣わしとなっています。京都をはじめ西日本各地で、お中元の挨拶を8月1日からはじめるのは、このような習俗が贈答のかたちになったものとか。


盛大なお祭りとして有名なのは、熊本県上益城郡山都(やまと)町で行われる「熊本の八朔祭」。旧暦8月1日に近い新暦9月第1土曜・日曜の2日間にかけて行われます。今年は9月1・2日です。

豊年祈願の祭りとして、江戸中期から約260年の歴史があります。目玉の「大造り物」は、竹・杉・すすき・松笠など自然の産物が材料。受け継がれる技で、竜や動物などの迫力ある造形に仕上げられた何体もの大造り物が町内を練り歩き、五穀豊穣を祈ります。


明日から9月。まだまだ陽射しは強くても、空高く風の色も変わってきたのを感じます。過ぎゆく季節のなかで一寸立ち止まり、実りの季節に感謝し、お世話になっている人に思いを寄せてみませんか。