姉妹でありながら
同じ家で育ちながら
その幼少時の記憶は
同じ出来事に対して
なぜかまったく違うものだったりして
どちらが本当なのかわからないこともある。
作文とか日記に書かれていることは
貴重な記憶の記録だったり
まさに今の自分のあり方そのものだったりで
納得したり、笑えたり。
母が亡くなってから
実家のものをずいぶん処分したけれど
記憶を呼び覚ましてくれるものや
姉妹で幼少時の懐かしい出来事を
共有できるものはなかなか捨てられない。
姉と私で
一つだけ記憶がピッタリ合致する出来事がある。
母の実家の近くの山道を
姉と私が母に手を引っ張られて歩いている。
崖っぷちで長い時間立っている母。
疲れて横で黙って座り込んでいる姉と私。
崖の上からは、はるか下に流れる川が見える。
それから、母は私達の手を引っ張って山を下りた。
それだけの記憶である。
母が何をしようとしていたか
姉も私も母の生前に尋ねたことがない。
尋ねてはいけないことだと思っていたからだと思う。
幼心に母が遠くに行ってしまうのではないかと
恐れていた自分もいたし
甘えんぼでいつも母の手をペロっと舐めていた自分もいた。
今ではうちの猫が私の手をペロっと舐める。
その顔は幸せそのもので
そのたびに母の手を思い出す。
自分自身の明日への記憶は
母が私に残してくれたものから
ずっと続いているような
そんな気がする。
同じ家で育ちながら
その幼少時の記憶は
同じ出来事に対して
なぜかまったく違うものだったりして
どちらが本当なのかわからないこともある。
作文とか日記に書かれていることは
貴重な記憶の記録だったり
まさに今の自分のあり方そのものだったりで
納得したり、笑えたり。
母が亡くなってから
実家のものをずいぶん処分したけれど
記憶を呼び覚ましてくれるものや
姉妹で幼少時の懐かしい出来事を
共有できるものはなかなか捨てられない。
姉と私で
一つだけ記憶がピッタリ合致する出来事がある。
母の実家の近くの山道を
姉と私が母に手を引っ張られて歩いている。
崖っぷちで長い時間立っている母。
疲れて横で黙って座り込んでいる姉と私。
崖の上からは、はるか下に流れる川が見える。
それから、母は私達の手を引っ張って山を下りた。
それだけの記憶である。
母が何をしようとしていたか
姉も私も母の生前に尋ねたことがない。
尋ねてはいけないことだと思っていたからだと思う。
幼心に母が遠くに行ってしまうのではないかと
恐れていた自分もいたし
甘えんぼでいつも母の手をペロっと舐めていた自分もいた。
今ではうちの猫が私の手をペロっと舐める。
その顔は幸せそのもので
そのたびに母の手を思い出す。
自分自身の明日への記憶は
母が私に残してくれたものから
ずっと続いているような
そんな気がする。