一生

人生観と死生観

金大中逝く

2009-08-19 16:25:05 | 哲学
8月19日 晴れ
 韓国の元大統領でノーベル平和賞を受賞した金大中氏が亡くなった。84歳とあったが、その生涯は本当に波乱万丈であった。幾たびか死を覚悟し、死刑の宣告を受けたこともあったが、ついに韓国のトップの座にたどり着いた。この人はキリスト者としても知られている。北朝鮮に対する太陽政策は彼のキリスト教信仰のひとつの政治的応用であろう。北朝鮮がハリネズミのように疑り深い自己防衛姿勢を示しているときに、彼は自ら北朝鮮を訪問し、彼らに愛と平和と和解の手を差延べたのである。小泉首相も北朝鮮を訪問し、日本国民を驚かせたが、金氏のような深いキリスト信仰に裏付けられたものでなかったため、単に一時のサプライズに終った。日本の政治家で深い思想や信仰を持った人はなかなか出ないのは残念である。
 ついでに韓国内の種族対立ーこの言葉が適当かどうかは問題もあるがーについては、新羅系の人が力をもち、百済系すなわち全羅道中心の人たちは下積みになっているとして、韓国社会の問題であるらしい。金氏は全羅道出身の英雄のように思われていると言う。日本で言うと関西人と東北人の関係に少し似たところがあるかもしれない。しかし本当の民主主義社会では、人種も、地方も関係なく、人は自由に活動すべきである。日本ではいま選挙が始まろうとしているが、国民の成熟度を世界に示すときが来た。よい人材を育てる社会でありたいものだ。

夏休みぼけ

2009-08-18 09:49:34 | 哲学
8月18日 晴れ
 小中学生の皆さん、夏休みも終盤、宿題整理に忙しく、中には泣きそうになっている人たちもいるはず。大人の人たちはお盆休みが終ったばかり、まだ身体がだるいとぼやく人がいるかも。定年過ぎた私は、年中休み、時々思い出したように用事ができるという結構な身分だが、この暑さに元気はなく、金欠もともなってどこへ出てゆく元気もない。そういえば私は昨日暑い中、ブログを書いた積りでやってなかったことが判明。いやはや物忘れを暑さのせいにするとは。

勝って勝つ それとも負けて勝つか

2009-08-16 16:00:59 | 哲学
8月16日 晴れ
 今高校球児たちの暑い夏はたけなわだ。戦いは作戦にあり、という人もやはり基本はそれぞれのメンバーの体力、俊敏さ、チームワークへの訓練度などであることはよく分かっている。
 そこで野球のようなチーム競技と対極にある100メートル競争のような個人競技のことを考えるに、これは限りなく、自己鍛錬の結果がものを言う。
 勝つということは表彰台にのぼること、という風に単純化すると、一番高い台が目標で、それ以外はどうでもよいことになる。しかし、ここで果たしてそれだけかという風に考えてみよう。柔道の山下は決勝でエジプトの選手と対戦した。山下は片足を痛めていた。そちらを攻められれば、どんなに強い山下でもダウンしたかもしれない。だがエジプトの選手はそうしなかった。戦いは山下が勝った。エジプトの選手のフェアプレイは今も語り草になっている。負けてもうるわしい人間性を示した点で、彼は勝者に劣らぬ心の勝者になったではないか。

輝いて生きる

2009-08-14 18:35:44 | 哲学
8月14日 晴れ
 いわきも30度を越えたか、はなはだ暑い。
 日野原重明氏の言う新老人の会は趣旨としてはまことにもっともであり、私も共鳴するところが多いが、ただ健康を与えられて生きている人と、重い病気に悩まされつつ生きる人の違いをどうするのか、その点が気にかかる。新老人は輝いて生きることをモットーとする。見事なキャッチフレーズだ。私は輝いて生きることは虚栄に陥ることさえなければ大賛成である。世の中はなんでも自分の思い通りになるものではなく、反対者は必ず出るものと覚悟しなければなるまい。それでも自分の意見は意見として言うことが出来るか。その辺になると彼の行動主義は楽観主義的で、時にはつまずくこともありうることを示している。しかし彼は牧師の息子でクリスチャンだ。いろいろな人生を経験した。よど号ハイジャックに遭遇して、人生観が変わったといっている。彼の中に神様が働いていることを信じる。

経理整頓と歴史

2009-08-13 15:48:16 | 哲学
8月13日 晴れ時々曇り
 近頃仕事のバラエティー・広がりのせいで、本当は各段階ごとに整理してから前に進むべきなのに、それができていない。だから余計な時間をかけて次の段取りをつけることになる。われながら馬鹿馬鹿しいと思うが仕方ないことである。
 そもそも人間の行動が計画的に進むためには整理整頓、資料の分類などしっかりしておく必要がある。それがないと何時までたってもよい見通しがたたず、時間を空費し、所期の目的を達成することができない。
 人の歴史は原始時代には記録を残すことを知らず、かなりいい加減な記憶に頼って、ことにあたっていたに違いない。そのうちに記録する文字文化を獲得した人類は歴史を書くことを学び、その歴史に基づいて行動指針を立てるようになったのだ。また歴史そのものを客観的公平に記すために、第三者的な人物の目を借りることも学んだ。中国の史書が東洋史上に残した功績は大きく、わが国ではそれをいくらか模範とする方向を日本書紀などはとっていると考えられる。しかし結局日本は王朝交代ということがないから、権力者の事蹟の記事は客観性を欠くものとなった。多元的世界観は必要だが、日本ではなかなかそれができない。

人の生きるとは

2009-08-12 15:35:27 | 哲学
8月12日 曇り
 月遅れ盆にはいる。我が家の墓地は仙台にあり、墓参は予定になかったが、はるかに亡き子の冥福を祈る。
 人の生きるとは一体何なのか。古来の哲学的課題であって、これを論ずる人は多いが、その時その人にふさわしい解決を満足に得ることはなかなか困難である。
 人生経験の豊かな人はそれなりに人にアピールできる哲学あるいは人生観を提示することができるであろう。しかし思索のみで人生は解決できるものではなく、その人が置かれた環境でいかに努力して困難を乗り切り、一定の成果に到達したかということが評価の対象になるであろう。
 哲学を飛び越えて宗教の世界である悟りに到達する人もあろう。この場合には原則的にその人の経験年齢はほとんど関係ない。若くして信仰にはいった人は、若くして亡くなっても、経験豊かな人の信仰に比べて決して劣るわけではない。
 予防接種の事故に倒れ、知能を失い、36年の生涯の後に世を去ったわが子は、幼子のように振舞うことしかできなかったが、笑顔の絶えない、喜びを人に与える人生だった。恐らく最も神に愛されるものはこのようなものであろうと私は思っている。

驚き!東海地区に大きな地震

2009-08-11 18:43:43 | 哲学
8月11日 晴れ
 今朝東海地方とくに静岡県で大きな地震があった。関東南方の地震があったばかりなのにまたまた日本列島大鯰のご機嫌を損ねている模様。私は疲れて眠りこけていたらしく、気がつかなかった。家内も同様気付かなかったよし。相当な被害があったが幸い死者はなかった模様。怪我人111人だそうだ。
 静岡は徳川家康が隠居した町で、気候温暖、日本では一番住みやすいところの一つになっている。しかし相手が地震となると、気候などに関係なく、襲ってくるから恐ろしい。福島県の場合は歴史上あまり大きな地震は聞いたことがなく、地震安全地帯と思っているが、保証の限りではない。日本列島完全な安全地帯というものはなさそうだ。これからは地震に強い建物を作り、300年は持つ住みかで暮らすよう努めたらよいと私は思う。

新老人は若さと生き甲斐を求める

2009-08-10 21:17:39 | 哲学
8月10日 雨
 地震の後は大雨とは日本列島もトホホの連続。今日は8月10日。母の命日に当たる。労苦の生涯を送った母の晩年は己を捨ててほかの人のために祈るようなとても殊勝なところがあった。治る見込みのない身体をあきらめていたかもしれないが、山田鉄道先生の伝道で心境がすっかり変わり、キリストの救いを受け入れたのだ。
 さて京都では夏期聖書講習会で兄弟姉妹との交わりを有難く経験した。その中でY兄の発言は有難かった。彼は矢内原先生のもとで無教会の信仰を学んだ人で、まことに前向きに、積極的に暮らしている。老齢になってから、日野原先生の提唱によってできた新老人の会の神奈川支部長を務めることになったという。全国で1万を越える会員がいる。この人たちは若さと生き甲斐を求める人たちだ。老齢だと言って消極的になってはますます老いが進むばかりだ。Y氏は私に10年計画を立てなさいと奨める。90歳まで生きる積りになれということだ。日野原先生はもう100歳に近いが、予定は数年先まで詰まっているという。私も見習うことにしようか。

地震・雷・・・

2009-08-09 20:35:29 | 哲学
8月9日 
 京都より帰る。午後8時すこし前にかなり揺れの大きい地震があった。東海道南方深い震源で、マグニチューウド6.9、関東地方に震度4のところが多く、いわきや浜どおりの福島県も震度3、私どもも気味悪い揺れを体感した。
 地震・雷・火事・親父という諺があり、怖い順から並べたものだろうが、今の世の中親父は真っ先に脱落、火事は怖いには怖いが、防火体制も進み、大きく広がることは少なくなった。地震と雷は自然現象だけに不気味さの程度は人間の力の及ばぬもの。地震は何と言っても怖いものの筆頭である。貴下語呂地球温暖化の成果このほか従来日本ではなかった竜巻が仲間に加わる。これも襲われたら、人畜一切手のうちようがない。自然の力は恐るべきもの。

世界と日本

2009-08-06 09:11:00 | 哲学
8月6日 曇り
 世界はますます狭くなり、日本人は島国根性ですごせなくなる。日本人の英語下手を反省してみるに、内向きな育ち方をしたこと、日本語が母音の多い構造をしていること、文法が違うことなどあるが、どれも別に本質的なことではない。習うよりは慣れろだ。こうしてできれば日本人が世界人になる気概をもつ。ことである。
前向きに、前向きに、これが結論。