一生

人生観と死生観

経理整頓と歴史

2009-08-13 15:48:16 | 哲学
8月13日 晴れ時々曇り
 近頃仕事のバラエティー・広がりのせいで、本当は各段階ごとに整理してから前に進むべきなのに、それができていない。だから余計な時間をかけて次の段取りをつけることになる。われながら馬鹿馬鹿しいと思うが仕方ないことである。
 そもそも人間の行動が計画的に進むためには整理整頓、資料の分類などしっかりしておく必要がある。それがないと何時までたってもよい見通しがたたず、時間を空費し、所期の目的を達成することができない。
 人の歴史は原始時代には記録を残すことを知らず、かなりいい加減な記憶に頼って、ことにあたっていたに違いない。そのうちに記録する文字文化を獲得した人類は歴史を書くことを学び、その歴史に基づいて行動指針を立てるようになったのだ。また歴史そのものを客観的公平に記すために、第三者的な人物の目を借りることも学んだ。中国の史書が東洋史上に残した功績は大きく、わが国ではそれをいくらか模範とする方向を日本書紀などはとっていると考えられる。しかし結局日本は王朝交代ということがないから、権力者の事蹟の記事は客観性を欠くものとなった。多元的世界観は必要だが、日本ではなかなかそれができない。