一生

人生観と死生観

言語の起原

2009-03-09 09:12:18 | 哲学
3月9日 曇り
 言葉って不思議じゃないか。人間はしゃべる動物だ。それで意志をほかの個体に伝える。どんな民族でも言葉はもっている。それがてんでバラバラに発達している。より文明的な言葉は非文明的な言葉を圧倒し、その言語の血肉を占領する。ただし非文明的な言葉でもその骨格は容易に変わらないのだ。日本語や韓国語は中国文明に圧倒された、つまり漢字文明に侵食されたが、基本的な文法は変わっていない。中国語は主語ー述語ー目的語の順でインド・ヨーロッパ語と変わらない。日本語は主語ー目的語ー述語の順だ。そして一人称つまり私が省略される。これは草原民族がコミュケーションをとるやり方だ。先ずお前と言う。次はあれと対象を指す。そしてやっつけろとか、打ち倒せとか言う。この語順はたとえば集団の狩りなどの場合には簡にして要を得ている。Ⅰという主語はもちろん、You という2人称の主語さえ省略されることがあるが、これは自明なので省略が当然となる場合である。文明が進んで飾り語が必要になってくると少しもたつく感がある。