一生

人生観と死生観

二人の恩師(1)

2008-04-23 16:58:02 | 生活
4月23日 晴れ
 風邪は少し快方に。といっても身体が冷えると相変わらず鼻汁が出て不快だ。
 さて今日は忘れえぬ師のことを。まず中学時代の思い出。私の中学生の頃は日米戦争が烈しくなり、1944年は中学生も上級になると勤労動員で軍需工場に駆り出された。授業はそれでも3年初めまではポツポツあった。陸海軍の学校の募集は繰上げであった。海軍兵学校の予科が新設されると人気があり、成績優秀な仲間はそちらに入った。海軍航空隊の予科練習生〔予科錬と通称、華の予科錬などと呼ばれ、後に特攻隊で多くの犠牲者が出た〕は烈しい訓練が有名だったが募集があると、さすがに受験しようとする生徒は期待するほどには出なかったようで、上からの半ば強制的な募集に学校の先生方は苦慮していた。私は近視だったので受験しても通らないことは分かっていたが、学校側でそんなに困るならと、受験票を提出した。その日も晩になって、自宅の玄関の戸を叩く人ガあった。主任の先生だった。手には私の提出した受験票があった。彼はこれを返すとおっしゃる。君は予科練には向かない。科学技術の方面でお国のために役立つようにせよ、何も急ぐことはないと。有難かった。小柄で、あまりハッタリを言わない方だった。今思う。師に対してどれほど報いることが出来ただろうかと。

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