一生

人生観と死生観

日本人の思想と歴史

2007-06-01 18:41:27 | 歴史
6月1日 
 6月が来た。そういえば衣替えの日。新聞でもクールビズについての記事がコラムに載り、テレビに閣僚の夏姿がうつる。でもまだ気温はそれほど暑くないから、ここでは薄いジャンパーを引掛けている人も。北から南まで細長い日本では一律暦どおりの夏とはいかないのだ。
 しかし、日本では役人が号令を掛けたがる社会だから(それに政治家も乗る)なんでも一律にして喜ぶ社会が出現しやすい。威張っている支配層と、おとなしい被支配層という図式は日本だけの話ではない。しかし世界史、とくにヨーロッパの歴史はそういう無理な支配が限界点に達して革命が起こることを示す。
 ところが日本の歴史で革命というものはなく、改新(大化の改新)とか維新(明治維新)のように西欧の人々には分かりにくい言葉で表される大改革がある。ヨーロッパと違い、中国とも違う。日本独特の政治的、社会的変革だ。天皇がいて、天皇の地位には指一本触れない。これが日本人の知恵でこれに触れたら必ず失敗すると分かっているからである。第二次世界大戦後日本にやって来たマッカーサーもこれを見抜いた。彼の周りの知日派の支持もあり日本は天皇制を維持することになった。
 このようにして過激なことを好まない日本人は、政治と社会の舵取りを政治家に任せながら、比較的温和で進歩的な歴史的進路をとり、まずまずの成功をおさめていると満足している。これは決して私の独断でなく、多くの日本人の心境を示している。仏教的背景がそこにあるかもしれない。
 問題点はある。天皇制を政治家が利用し、絶対主義的に解釈して国の進路を誤ったのが前のアジア太平洋戦争であった。日本神国論というのがあった。でも戦後昭和天皇は自ら天皇は神でないと宣言した。マッカーサー司令部の命令に従ったというより、天皇自ら日本神国論の傀儡であることにうんざりしていたに違いない。天皇も生物学者であるからにはそれは当然のことである。日本の神が西洋の神に負けるとは日本神国論の思いも及ばないことであった。戦争に負けたとき日本の神は本当の神であるかどうか考えてもよさそうなものだが、多くの日本人はそこまで考えることなく、目の前の生活のために馬車馬のように働いた。クリスマスも単なるお祭りとして受け入れ、そして一週間ばかり後には元朝参りもする。一神教のヨーロッパ人やイスラム教徒には絶対に理解できない振舞いである。
 多神教とも無神論とも区別のつかない日本人である。これを宗教に寛容であるといって、日本人の長所に数え上げ、これからの世界の争いを収める調停者になれると自信すら語る人がいる。でもそれは見当違いのことだ。とてもとても世界はそんなに甘くはない。
 もちろん宗教対立は好ましいことではない。これを克服するにはどうするか。私の見るところでは、日本の先覚者であり、かって国際連盟の次長として活躍した新渡戸稲造の思想は大いに参考になる。彼は武士道の思想を取り入れたキリスト教徒といわれるが、キリスト教といってもクエーカーというキリスト教の本流からはやや外れたキリスト教徒だった。美智子のお話相手で精神医学者の神谷美恵子(新渡戸に愛された)は死後長くたっても人気は衰えないが、無教会主義のキリスト者として出発し、クエーカー教徒のようになり、仏教にも関心をもち、思想家としては複雑な軌跡をたどった人だ。クエーカーの色彩の濃い人であり、愛の人であった。日本人知識人のひとつの典型であったと思うが、その旺盛な愛の実行力は机の前の思索家をはるかに超える。平和は愛によって達成される。彼女の著書は英文に翻訳して世界に広く知らせたい。

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