一生

人生観と死生観

人間の風景

2011-06-07 23:58:32 | 歴史
6月7日 
 東北の被災をテレビで見るうちに、人々の我慢強さをその顔のうちに眺めるとき、大和朝廷の侵攻に対する長い忍従の歴史を思い出してしまう。彼らは西から渡ってきた平和の民(銅鐸民族)の子孫だったようだが、征服欲に燃えた天孫族(銅剣民族)に追われて東北の地に移ったらしい。そこで新しい国作りを始めたのが奥州安倍氏の先祖であった。土着の民を統合して発展したが、大和朝廷の武力侵攻についに屈した。蝦夷といわれた人々はモンゴロイド、主流は安日彦・長髄彦の子孫で人種的には西側の人々と見た目ほとんど変わらない。強いて言えば混血の度合いが西側とは幾らか違うように思われる。津軽の伝説にも真実はこもっている。三郡誌を頭ごなしに偽りの固まりとするのは性急過ぎる日本の古代史学者の欠点であろう。
 この人々に苦難から立ち上がる知恵と勇気を与え、日本の将来を担わせて下さい。