一生

人生観と死生観

放射線音痴

2011-06-04 23:38:34 | 哲学
6月4日
 世の中は放射線の話題であふれる。聞きかじった程度で放射線の恐ろしさを過大に宣伝する週刊誌がある。被曝の限度を決める中央官庁の役人がうろたえている。国民にとっては迷惑な話だ。学会は沈黙し係わり合いになることを恐れる。もっとも関係深い原子力学会は何故積極的に進言して、事故を収束させようとしないのか。原子力発電を推進することに熱心で、事故のことを考えてこなかった人々だ。
 東電が発表することは測定とか、検査とかばかり、それもまったく不要とはいわないが、そんなことばかりではいかにして事故を収束させるかの具体的な方策がないといわざるを得ない。知恵なく、勇気なき人々よ。現場で働く労働者のことを考えればまったく申し訳ない限りである。
 そして政治家たちは本当に何をやっているか。内部分裂で争ってばかり、放射線音痴で法律を決め、指令を出せば人が動く。そんなことで事故が収まるか。
 一般公衆はやたらに不安と恐怖を覚える。逃げ回るだけでは将来は開けない。良識による判断が今こそ必要だ。情報だけを提供すればよい、判断はそれぞれにという状況ではない。科学は誤差を伴う。医学はさらに個人差が大きい。断定して外れれば裁判にかかって敗訴する恐れもある。はじめからそう断わって話しても攻撃される。それでも誰かがいわねばならぬときが来る。