私はヤゴです

水中から地上へそして空中へ飛び立つ人生を

弁護の限界

2007-07-11 10:17:16 | weblog
少し前になるが、山口県光市で発生した母子殺害事件の差し戻し控訴審が広島高裁で行われた。この裁判は1・2審とも無期懲役が言い渡されたが、死刑を求刑した検察側が不満として上告し、最高裁も「死刑を選択しない理由は認められない」として2審判決を破棄し、審理のやり直しを命じたものである。
1・2審とも被告は、殺意を認め事実認定がなされたものを「少年であり、更正の可能性もある」と無期懲役の温情判決を下したことが、今回の発端となった。やり直し裁判では、被告の弁護に全国から死刑廃止論者を集め、総勢21人もの大弁護団を組織したこと自体私には理解出来ない。
この裁判では被告は、遺族への謝罪どころか殺意までも否認し、母親への強姦は「復活の儀式」幼児の殺害は「ドラエモンがなんとかしてくれる」等と意味不明、弁解ともつかない反論を繰り返した。こうした反論の筋書きは、この弁護団の入れ知恵によって展開されたことは容易に推察できる。死刑判決を回避せんがために手段を選ばず、この程度の聞くに堪えない理論を、法廷に同席した本村さん(被害者の夫)はどんな思いで受け止めていただろうか。可哀相でならない。
こんな明らかな事件・裁判に無駄とも思える大弁護団を組み、遺族の心情も省みず、多額の国家費用をつぎ込んで裁判を引き伸ばす弁護活動にどうしても割り切れないものを感じる。
「裁判員制度」の導入は2年後に迫ったが、裁判の信頼を得るためにも神聖な裁判を「芝居化」している被告・弁護団の言動に振り回されず、極刑判決がなされることを信じている。