ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の体験施設(1)

2019-08-26 20:15:43 | 水戸
 イベントではいろいろな体験もできるようです。立ち寄ったイベントで見た施設のいくつかです。もっとも、自分で実際に参加してみたのは、AEDだけです。一度実際に体験してみるということは、たいへん大事なことだと思いました。どれも以前見たものばかりなので、これからも以下の体験が行われていくかはよく分かりません。
 
 
 
搾乳体験('18ちくさんフードコレクション 三の丸広場)
  写真中央に見える牛の模型で搾乳体験ができるようでした。(撮影 平成30年9月)
 
 
 

巨大三輪車(マルシェストリート 七ツ洞公園 下国井町2243)
 ずいぶん大きな木造の三輪自転車でした。(撮影 平成30年9月)
 
 
 

炊き出し体験(見川ふれあいまつり 見川小学校 見川2-96-3)
 災害などの万一のときには役立つことでしょう。(撮影 平成30年11月)
 
 
 

煙体験(見川ふれあいまつり 見川小学校 見川2-96-3)
 これなどは一回体験していればだいぶ違うことでしょう。(撮影 平成30年11月)
 
 
 

シートベルト体験(第43回水戸市産業祭 リリーアリーナMITO 水府町864-6)
 それまでは三の丸広場で行われていた産業祭ですが、去年は水府町で開催されていました。梅大使の女性たちが体験乗車していました。(撮影 平成30年11月)
 
 
 

AED体験(消防出初式 千波公園・黄門像近く)
 参加してみましたが、私のような高齢者は、少なくてももう一度は体験しないと身につかないように感じました。(平成31年1月)
 
 
 

地震体験車(消防出初式 千波公園・黄門像近く)
 出初式がにぎやかでびっくりしました。このほかに、煙体験や、はしご車体験がありました。(撮影 平成31年1月)
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水戸の伝説(7)

2019-08-25 19:03:40 | 水戸
 
 
お井戸権現
 文明4年(1472)は干ばつで、城主の見川氏が神社で祈ったところ、八大龍王があらわれ、城の南西に清水の湧き出るところがあるので、その水を使えというお告げがあったそうです。井戸を掘ると水が湧き出て、その水で干ばつをしのぐことができたそうです。城主は八大龍王をお井戸権現と名づけて祀ったそうです。清水の湧き出た地には持宝院という修験の寺があり、その子孫である飯島氏が、今もお井戸権現を祀っているそうです。写真は見川3丁目にある社殿です。
 
 
 
 
 
七之助様と雨乞い
 神官である七之助が、島田村(現・島田町)を通りかかり、村人が日照りで困っている様子を見たそうです。涸沼(ひぬま)川にもぐって竜神に雨をお願いしてくるから、その間、「筑波山の笠雲 ざあざあっと 降ってこよ 降ってこ まかってこ おちてこよ」という歌を歌ってくれと言い残して川にもぐっていったそうです。しばらくすると筑波山のいただきに笠雲があらわれて、大雨が降ってきましたが、七之助が戻って来ることはなかったそうです。村人は香取神社の境内に小さなほこらを作り、恩人の七之助を祀ったそうです。写真は島田町あたりの風景です。
 
 
 
 
 
山王神社と松の木
 岩根村(現・岩根町)の山王神社の神様は、松葉で目を突いたことがあるので、岩根の人たちは、みな片方の目が小さいそうです。そして、庭に松を植えることを嫌ったそうです。写真は山王神社の拝殿です。手前にはケヤキの大木があります。(後日 すでにケヤキは伐採されています)
 
 
 
 
馬鹿むこの節供
 昔は、もの日には仕事を休んだそうです。そして9月9,19,29日は三つ九日といって、もの日だったそうです。お姑(しゅうとめ)さんが馬鹿むこに、「今日は9月の9日だ。おこわをふかして食べて仕事をしたほうがよいか、麦飯を食べて遊んだほうがいいか」と聞くと、むこさんは、「おこわを食べて、コミッチリしたところで畑掘りしんべ」といって、おこわをたべると、畑に行ってしまったそうです。それでこの日を「馬鹿むこの節供」というようになったそうです。
 
 
 
犬嫌いな稲荷さま
 大塚町の古谷坪では、住谷本家にある氏神さまがお稲荷さまで、使いが狐のために、犬が嫌いだそうです。そのため、昔からこの地ではどの家でも犬を飼わなかったそうです。
 
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水戸の狛犬(2)

2019-08-24 20:43:40 | 水戸
 水戸では、水戸八幡の木造狛犬以外には、明治以前に奉納された狛犬は今のところ見当たりません。
 
 
 
          
 
水戸八幡神社(八幡町8-54)
 今年の節分祭に祀られていました。木造の狛犬で、室町時代に造られたそうで、金箔が貼られていたそうです。市の指定文化財です。
 
 
 
          

常磐神社(常磐町1-3-1)
 明治8年に現・小美玉市の人たちによって奉納された備前焼の狛犬だそうです。その際には大々神楽が舞われたそうです。神社裏手にあります。同じ狛犬が大洗磯前(おおあらいいそさき)神社にも奉納されているそうです。
 
 
 
          

吉田神社(宮内町3193-1)
 水戸敬神講の人たちが伊勢神宮参拝を記念して、昭和2年に奉納した狛犬のようです。昭和20年の戦災にあったようで、表面があれています。
 
 
 
          

別雷皇太神(べつらいこうたいじん 元山町1-1-57)
 昭和2年に大阪の信者が奉納した狛犬のようです。
 
 
 
          

吉田神社(下入野町1352)
 右に子供、左にまりがある、おかっぱ頭のビートルズ風狛犬です。右が雌で左が雄ということのようです。伊勢神宮参拝を記念して昭和3年に奉納した狛犬のようです。
 
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水戸のマニアックな専門店

2019-08-23 20:36:51 | 水戸
 マニアックな専門店をときどき見かけます。こういう店があるのには、狭い分野の品物をそろえて大型店とは違う戦略で生き残る、経営者自身がその分野がだいすき、消費者にもこだわりをもつ人が増えてきているなどの理由が考えられます。地方都市ではなかなか難しそうな感じもするのですが、こういう店は増えてきているようにも感じます。
 
 
 
リトルレガード(泉町2-2-29)
 ミニカーショップです。こういう店は買い取りもするようです。
 
 
 

ATCハヤシ(柵町2-4-8)
 鉄道模型の店のようです。ここは夜間だけの営業のようです。
 
 
 

ホビーランド(新原1-3-14)
 自動車、船、飛行機などのプラモデルを扱っているようです。今年は40周年だそうです。
 
 
 

コンフォトカメラ(見川5-1306-3)
 クラシックカメラの専門店だそうです。ホームページを見ていると、こういう店ではネットの役割も大きいのだろうと思います。
 
 
 

駄菓子屋三平(泉町2-4-28 )
 泉町保育園のあるビルの4Fだそうですが、出張販売が多いようです。駄菓子だけでなくミニカーも売っているようです。
 
 
 

プロショップ シマオカ(渡里町3241-2)
 長く営業している卓球専門店のようです。水戸には弓専門の店もあります。
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水戸の地名の由来(6)

2019-08-22 21:25:45 | 水戸
 
榎本(えのきもと)
 今の茨城県立歴史館南側を通る県道30号線の坂道あたりのようです。一本榎という古木があったそうで、多分それから付いた地名なのでしょう。小字でも榎本があったそうです。佐竹氏のころには刑場があったそうで、車丹波守が反乱を起こしたときに一族の馬場信介が処刑された地でもあるそうです。写真右が茨城県立歴史館です。
 
 
 
 
折居(おりい)
 日本武尊(やまとたけるのみこと)が塩崎に来て舟を着け、膝を折るようにして上陸したので付いた地名で、折居神社はその神を祀っているという地名伝説があるそうです。ただし、折居神社の祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)だそうです。写真は折居神社です。
 
 
 
 
新屋敷(しんやしき)
 今の新荘3丁目あたりの地で、家老・中山備前守(びぜんのかみ)が寛文6年(1666)に藩から支給されたそうです。そこに新たに屋敷地を開いて家臣を移住させたので、新屋敷と呼ばれるようになったそうです。その後、中山氏は寛政年中に今の高萩市に移ったため、陸田になっていたそうですが、徳川斉昭の時、改革で江戸住まいの家臣を水戸に戻すために、この地を造成して武士屋敷地にしたそうです。写真は梅小路の石碑です。こうした小路がたくさん作られたようです。
 
 
 
 
東台(ひがしだい)
 現在の東台1丁目の一部のようで、江戸氏の時代に武熊城がある高台だったそうです。佐竹氏の時代には廃城になり、その一族の東義久の居館があったそうです。東氏は当時「御東殿」と呼ばれたそうで、「おひがし台」という言い方は最近まであったようです。たぶんそうしたことからの名前でしょう。写真は武熊城趾の石柱ですが、柳町の竹隈市民センター(
 
 
 
八王寺町
 今の五軒町2町目あたりのようです。武蔵国八王子の城主北条氏照の家臣17人が、水戸藩に仕え、八王子の十七与力といわれて、水戸城浄光寺門あたりを守護したそうですが、その屋敷のあった地だそうです。写真は、左が八王寺町あたり、右が大成女子高等学校(です。
 
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