権現は、仮(権)に現れるという意味で、仏が神という仮の姿で現れるという、神仏習合思想の、神をあらわす言葉だそうです。明神も、神仏混淆の本地垂迹説で、仏の化身であるとされたそうです。江戸時代は多くの神社には、大権現、大明神という名称がついていたようです。明治になって神仏の分離がおこなわれ、そうした名称は姿を消していったようです。でも、昔から使い慣れていた名称だけに、今でも通称として使われていたり、神額などの形で残っている神社もあるようです。
東照宮(宮町2-5-13)
徳川家康は、東照大権現の神号がつけられたので、家康を祀る東照宮は、神号でも呼ばれていたようです。単に権現さんと、今も親しまれて、呼ばれるようです。
愛宕神社(愛宕町10-5)
拝殿の奥正面に、「旧称 大光院 愛宕大明神」という、比較的新しそうな神額が掛けられていました。神社にも院号があったようにみえます。
日吉神社(見和36°22'32.1"N 140°25'40.9"Eあたり)
かつては日吉山王大権現といわれていたそうです。はじめ、妙雲寺内にあったそうですが、正保年間(1644-48)に、見和が開発されたときに、その地の鎮守になったそうです。明治になって日吉神社と改称したそうですが、今でもお山王様といわれるようです。写真は、拝殿内部に掲げられた神額です。
湯殿山大権現(小吹町36°21'00.1"N 140°25'50.1"Eあたり)
修験道を中心にした山岳信仰の対象である、出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)の一つである、湯殿山の名前を冠した神社のようです。湯殿山神社のお札がはられていました。写真は拝殿入り口に掲げられた神額です。
御瀧山井戸権現(見川36°21'45.3"N 140°26'18.4"Eあたり)
井戸そのものか、井戸の神を祀った神社なのでしょうか。井戸といっても横井戸といって、横穴や崖下から湧きでている水源も井戸というようですので、そうした意味を込めた名前なのでしょう。私祭の神社だそうです。鳥居前の石碑には、御瀧山井戸権現と刻まれていましたが、拝殿にある神額(写真)には井戸大権現と記されていました。
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