川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

心のひだのたたかい

2007年11月30日 | 川柳
          現代川柳『泥』第五号  藤井比呂夢

                佐藤容子 作品
 
 あそび・なれあい・ごまかしだらけの川柳・そしてその川柳から脱落逃避している位置でなお川柳があるとしたら、いや現にあるからおもしろい。

 算盤に合う冠を川柳のうたにのせることに、素直に脱帽すべきだろうか。川柳へのひたむきな純粋さをコッケイと嗤うべきだろうか。

 感動の表層部にのみ安住していない屈折の世界こそ自己批判の原点であろう。にんげんのおろかさをふりむく冷酷な眼こそ真実な悲しみと輝きをそこに見出す。

          くっきりと指紋を残しておくこの世
          順調に老いてドッコイショと座る
          矢印の通りに歩いてきた迷子
          芯折れる音に目覚めるわが背筋

 作者の内なるロマンと力強い志向があたたかい。立ち止まることなく高齢化社会は音もなく進んでいる。おそらく川柳界の平均年齢は75歳を超えているだろう。

 余談だけれど健康のために59歳で社交ダンスを始めて18年になる。その50人ほどいるダンスサークルの平均年齢は78歳である。即ち、これが日本の年齢の縮図だろう。それだけ日本は老いている。

 「そして今ここに「泥」という川柳誌がかたちをなした。三人が描いた三本の線は、太さも長さも別々でありながら組み立ててみると何故か、正三角形になった。
同等の辺でありながら鋭角を持ち決して円の中には存在しない三角形であることが分かった。三人には、何かを編まずにはいられない共通の思いが内在していた。」

           未来性へのこころくばりが見える。

                池 さとし 作品

             どの指がいちばん重い偽証罪

 偽証するにんげんのきずなのひろさ・深さがある・次に不思議さを残す。どの指もみな一連托生なのに自分だけいい子になろうとする。
 金持ちとゴミ箱は溜まるほどきたねえのだ。

             街角の星占いは愉快犯
          うろこほどの夕焼け一枚盗りにゆく
          駄菓子屋に昭和の夕焼け空が浮く

 愉快犯は少しあそんでいるさとしであり、夕焼け二作品は軽いタッチの印象風景でやさしい自嘲。「書くことは、恥をかくことである」という言葉に頷きながら、「恥をかくことは前進につながる」ことと信じ肝に銘じたときペンが少しずつ軽くなってくるような気がした。・・中略・・、「誌をつくるプロセスに充実感がある。」・・散隔情誼から共感したことば。
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マーライオン(海の神)に乗ったテニスプレイヤー

2007年11月29日 | 川柳

               告 別 献 花 式

 本日、午後1時より函館Rホテルで、Mグループ7社を率いる函館経済人の果敢なリーダーY勝社長のお別れ会がありました。

 函館経済史にとって、名が残る人でありますから、書いておこうと思います。

 Rホテルの3Fの大ホールに飾られた、大きな勝社長の写真は、魚市場で毎朝5時半に始まるせりの時に身につける、○勝のマークのついた帽子にポロシャツ姿、屈託のない上機嫌な笑顔。

 胡蝶蘭が写真を取り囲むようにレイアウトされ、同心円を描いた水面のようなデザインで白いバラとカスミソウと葉緑の色がほどこされた清楚でとても美しい祭壇でした。

 四つ折の式次第の裏には、直筆の「努力一生」の文字が、力強い筆字で描かれておりました。

 生前勝社長は、「俺に何かあっても、会社は休むな、葬儀はさわやかにやってくれ。」とおっしゃていたそうで、その御遺志どおりの式の運びでとても、感動的なすばらしい内容のものでした。途中シンガポール大統領からのメッセージもあり、びっくりしました。

 開会の辞、黙祷、追憶(ビデオ上映、最後は、社長の声で、「皆様本日はまことにありがとうございました」が、画面が暗くなって流れてきました。)弔辞がそれぞれ進み、親族代表のY小弥太会長の弔辞です。

「まさる!お前なんで死んだんだ!!俺はもう辛くて・・辛くて・苦しくて苦しくて・悲しんでも悲しみきれないぞ!まさる!俺よりひとまわり、12歳も年下なんだぞ!なんで年下のお前が先に死ななきゃならないんだ!!この世に、神様も仏様もいないんじゃないか!俺はそう思うな!まさる!天国でとうちゃん、かあちゃんに叱られるぞ!怒られるぞ!なんでこんなに、早く来たんだって悲しむぞ!お前が病院でまだ、心臓が動いていた時に、お前の顔を何回もたたいて、まさる起きろ!まさるおきろ!って叫んだんだぞ!聞こえてたよなあ、まさる!先生にも、お願いですから助けて下さいって、しがみついてもお前の心電図は止まってしまった、それでも俺は先生に、生き帰してくださいって何度も何度も頼んだんだぞ!聞こえてるか・・まさる!・・・中略・・・お前は、よく頑張った!本当に良くやった!!よくやったぞ!!お前の分もこれから皆で、力合わせて頑張るから心配するな・・ゆっくり、ゆっくり休んでくれ・・さようなら・・まさる!」と最後は祭壇に向かい大きく手を振ってお別れをされていました。

 会長ファンの私は、ご兄弟の仲の良さを知っているだけに、会長の辛い気持ちが言葉以上のものであるので、会長の健康も案じてしまいます。そして聞いているうちに胸が何度もえぐられてハンカチがびしょびしょになりました。会長の飾らないいつもの地のままの弔辞なだけに身につまされます。いつもながらすごい求心力の持ち主でありまして、こんなキャラクターの経済人が、函館に他にいるのだろうかといつも、思います。笑わせても、泣かせても、すごいハートの持ち主なのです。

 やがて、最後に新社長の政人氏の謝辞が、列席者の感動を誘いました。

 シンガポールでは、世界で始めての名誉観光大使になられた勝社長に、政府から14名特使として列席されておりました。

 きっと、勝社長のこれまでの功績は、お嬢さんが将来一冊の本になさるのではないかと思います。

 勝社長の言動は、テニスの試合のように、函館をコートに見立て、所狭しと目いっぱい、人の何十倍も、走りながら考え、ラケットで果敢に攻撃を続けた商人の名プレイヤーでありました。大資本家と戦い、函館の未来のあるべき姿の絵を実現させた人でもありました。来る日も来る日もテニスの試合の連続だったのではないでしょうか。

「千の風になって」「宙船」「鶴になった父ちゃん」「涙そうそう」[青春時代」の楽曲が流れる中、白いバラの献花の列がしばらく続きます。

安らかにお眠り下さい・・ありがとうございますとバラの花を献花して、社長の大きな写真を見つめていたら、ビーンと何かが飛んでくる強いオーラのようなものを感じました。

 きっと、写真が大きくてインパクトが強かったのでしょう・・。普段威勢のいい他の社長さんも、みんな「わっと!」崩れて泣いていました。

 社長はきっと、テニスでオリンピックでも行きたい夢があったのではないでしょうか・・・。

 テニスの試合は、いつでも飛んでくる球から逃げることが出来ません。毎朝の魚市場のせりも勝つことが命題です。名前も「勝」です。魚市場へ海の神様が休暇を与える為にお迎えに来たのでしょう。 (政人氏のご挨拶は、社長以上に立派でしたよ!)

2007年11月21日没 享年65歳

 

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うろこの長靴は光るよ!

2007年11月29日 | 川柳

 川柳人の心得のひとつに、黄泉の国へ旅立たれる人を手厚く言葉でお見送りすると言う作法があると、先輩から窺った事がある。

 24年前、グァム島へ旅行した時のことです。千歳空港から6名で旅立ったその飛行機の私の座席のまん前に、Y社長が座っていらっしゃいました。そちらも6名の友人達とのツアーでありました。その中にお知り合いがいらしたのでご挨拶をしながら、約4時間の機内で、紺色のセーターに身をくるんだ40歳位のY社長が「こんなに若いうちから海外旅行ができるなんてみんな幸せだなー!」とニコニコ顔で声をかけられました。

 私のほうも「社長さんこの間テレビに出てましたよね!お逢いできて嬉しいです!ラッキーです!」と若かりし頃の私は初めて、社長と握手を交わしました。

グァム島の宿泊先のコテージも同じで、いろいろなエピソードがありました。

 まず、到着してすぐに水着に着替えて、海へ泳ぎに行って帰って来ましたら、社長から洋酒の「ナポレオン」が届けられていたのです。当時の「ナポレオン」ってすごく高かったようです。次の日お礼もそこそこに「恋人岬」へ一緒に行き「昨日の市内観光は行かれましたか?」と窺ったら「行かなかったよ、17ドルなら高すぎる!!」とおっしゃるののです。

「じゃあ社長は昨日、何やってたんですか?」と窺ったら「仕事の電話でずーっとコテージにいたよ」とおっしゃるのです。

 私たちは、4ヶ日間、海のスポーツにチャレンジして、まったくのリゾート人間になっていました。又次の朝お逢いした時、「社長さん夕べはディナーショーに見えませんでしたね?」と窺ったら、「値段が高すぎるから・・夕べは魚を買ってきて刺身にさばいて皆に食べさせてやったよ!俺は魚屋だからね・・」

     その時、この社長さんはすごくなるなーって思いましたね!

 函館に帰って来て、たまにどこかでお逢いすると「仕事とりに会社に顔出しなさい!」と何度も、声をかけていただいたのに、何年も行かなかった私。

 今日、社長のメモリアルコーナーに使う、赤ちゃんから最近までのアルバムを見せていただいて、まさか、社長の最後を飾る100枚のポートレートを作り、Rホテルの広間をレイアウトする仕事をするなんて、夢夢考えたことも無かったですよ。

「社長!・・今だから言いますが・・あの時のセーターの毛玉がちょっと気になったのですよ・・。」

 金融筋の中枢にいた叔父に、若い頃言われました「お前は将来商売をするであろう・・
資金を借りるのは銀行は最後にしなさい・・銀行は所詮高利貸しの歴史なのだから・・
もしやむにやまれず借りることがあったら・・毛玉のついた服と、長靴で行きなさい・・決して着飾って行ってはいけない・・金目のものは一切つけないで行きなさい・・そういう商人に銀行は融資するのです。」Y社長は魚市場で鱗のついた長靴と、カッパを着て銀行へ行ったのですね。

 可愛いい、目のくりんとした社長の赤ちゃんの顔、ご両親の明るくて気品のある愛情たっぷりのまなざし、ご兄弟の笑顔がはちきれんばかりの集合写真。
この頃は、相当ないい暮らしのお坊ちゃんのようにしか見えません。竹細工した2段のベビーカーに載ってる写真も、端午の節句も立派な三段飾り、当時としては大きなサイズに写真が並んでいる・・・原風景を追った人生だったのでしょうか・・。今日は殆どアルバムを見てましたよ。

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心のひだのたたかい

2007年11月27日 | 川柳
           現代川柳『泥』第五号 藤井比呂夢
  いま
 「現今を生きる人間の自己確認を、根底に置きながら気負うことなく自然体で流れてみようとしている。」

 創刊号「うぶごえ」から抽出したのだが、四号までゆっくり読み終えて言えることは、とても格調たかいエッセイストたちの思考が反映されていることである。

 かつて「視野」「川柳平安」「人」「川柳鷹」「川柳ジャーナル」といった謂ゆる現代川柳の革新性を標榜した誌風をかいまみるおもいがする。

 そんな流れの中で、作品を鑑賞するとき何故作品を書かねばならなかったのか、の問いがいつもわたしの脳裏を去来する。

 作品は感動の所産だという。書かねばならぬ必然があったからだという。・・・いずれにしても。

 青葉テイ子・佐藤容子・池さとしの書く作品をとおして人間の存在を認めることからはじまる。

 創意のおのれを突き放した冷酷な空間の設定をみるとき、別人の如き志向を思う。

 しかしながら、作品の消化に生身のにんげんの弱さを暴露することもまた、愛すべき一断面かもしれない。

                 *青葉テイ子作品

           真っ赤な嘘ダダイズムなどよく似合う

 創刊号の「いのちへの賛歌」から泥誌に打ち込む心情をしかとみた。自分をおろそかにすると粗雑な感性や勘になるという常識をそのまま信じてよいということを思いつつ、十七音律の中のダダイズムはおそれいった。

 超現実主義そして、シュールレアリズムの母体と言われるダダイズムを川柳のデッサンに載せてはみたが、とても作品からの心象として作者の意図を汲みあげることができない。

 反伝統の志向であるダダを冷ややかな眼線でみているのである。

 川柳の創意は壊しては積み、壊しては積む積木細工とおなじでそこから生る証しも生まれてくる。

              
           楯ひとつふたつこの苛立ちは何がろう
             
           壁ぎわではっしはっしと折るは自我
                 
           時代背に 革命ごっこ花ごっこ
               
           蝶よ花よ骨抜きばかり殻ばかり
         
           煮ても焼いても食えぬ生臭い会話

 三十作品の中の少なくともひとつの行動から思考へ推移する過程の句後の反復作用はやや安易に流れやすく、飛躍も意外性もうすれてくる。

 川柳の流れはかなり変化して来ている。規制の川柳人達の不甲斐なさを嘆きながらも、川柳の世界へ新しく飛び込んでくる人達に積極的に働きかける努力は惜しんではならないと自分自身に聞かせている。

             放心の骸でパンを焼いている

 風刺が川柳のひとつの特性であることを充分承知したうえで、苦悩をにんげんの内部から汲みこんでいるところに共感を深くした。

                              続く・・・・。
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冬の金魚・・・青葉テイ子

2007年11月26日 | 川柳
            現代川柳『泥』第五号

垂れ流す午後の会話と冬の金魚
  我慢ならぬならぬとうそぶく金魚
    灰汁抜けて昂ぶることもなく金魚

                      樹林の吐息ではらはらと舞う金魚
                    身を捨てて海を知ろうとする金魚
                 煮ても焼いても食えぬ生臭い金魚

薄暮からはらり抜け出すカメレオン
       常夜灯妖しく光る猫家族
         真っ赤な嘘ダダイズムなど良く似合う

                      俗世を捨てるに惜しい花ごよみ
                   ある日ふと溺れてみたい河にでる
              愁眉ひらいてあっけらかんと握り飯

凡俗のわたしに出来ぬことばかり
   降りる筈もないの蜘蛛の糸とモルヒネ
       砂漠の真ん中放尿ああ生きている

                     落ちていた会話とグローバルな会話
                   蝶よ花よ骨抜きばかり殻ばかり
                 延長線上におく湿った榾木

泣きながら咲く浜木綿と憐憫と
   放心の骸でパンを焼いている
        竜巻に呑まれてみたい沙羅の下

                     時代に背 革命ごっこ花ごっこ
                 逆切れてなす術もなき梨の花
           慢心の楔打つ手に霙はらはら

シンジケート抜けて激しい雨に遭う
    甘い懊悩ランダムに抜く生温かい風
            夕闇が炙り出すわが歪な影

                   壁ぎわではっしはっしと折るは自我
               楯ひとつふたつこの苛立ちは何だろう
           どぶ板をめくれば慙愧ごうごうと
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月の息・・・佐藤容子

2007年11月26日 | 川柳
              現代川柳『泥』第五号

              雨激し兵士は寡黙のまま神へ

黙々と雫れたさくら拾う兵
                        時効まで孤灯の下で糸を吐く
           テロの棲む街に干してあるパンツ
                        折れやすき爪とポリシー腹が空く
振り向いて時々愚かさを拾う
           月の吐く息の白さにせかされる
                        ひとつずつ忘れて欠ける海の月
昼月の真下を走る霊柩車
           生きるため月を選別機にかける
                        トンネルが長くて疑い深い街
遠い目をしていた犬の死を思う
           故郷の敷居の高さ石を積む
                        言い分は確かにあった逢うまでは
あたたかな涙も混じっている水面
           くっきりと指紋を残しておくこの世
                        仮の世で握手ばかりをするさくら
次の世へついて来るのか藁人形
           まだ雪は降るだろ老臭深き里
                        順調に老いてドッコイショと座る
死んだふり寝たふり酔ったふりの葦
           音たてて水のむ体臭消えるまで
                        ペンを持つ指は怒涛の海へ海へ
てのひらにのせる男の錆びた影
           矢印の通りに歩いてきた迷子
                        芯折れる音に目覚めるわが背筋
冬眠の最中ウロコ発光す
           この髭に触れることなく春の駅
                        衣食住満ちて曲がってくる背骨
ずぶ濡れの指で送信するメール
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孔雀の羽・・池さとし

2007年11月24日 | 川柳
            現代川柳『泥』第五号作品集

          孔雀の羽を大きく広げるウォシュレット

  星明り手負いの傘を持て余す
                     受け取り人不明の荷となる我が痩身
  うろこほどの夕焼け一枚盗りに行く
                     どう座っても僕は傾きかけている
  錠剤のひとつはきっと解体屋
                     どの指が一番重い偽証罪
  ほんとうの愛が隙間に落ちている
                     風船を無数に飛ばすコーヒータイム
  くちびるをゆっくり濡らすとき殺意
                     定型も破調も母は包みこむ
  ネクタイの殺意と危ない日を過ごす
                     どの星にたどり着くのか吾が係累
  首洗うカウントダウンするように
                     落ち葉踏むいたるところにダリの髭
  バランスの微妙に崩れる被告席
                     ウォシュレットの屈辱星を見たことがない
  街角の星占いは愉快犯
                     たましいの在り処一個の星光る
  いつものようにタイムスリップするベンチ
                     れんこんの穴からひょいとテロの顔
  迷路から覗くと何も怖くない
                     噴水は賢兄 愚弟はウォシュレット
  砂漠から出られぬ駱駝もネクタイも
                     月がのぞいているいつもの死体安置室
  夜の底流れるディフォルメされた傷
                     駄菓子屋に昭和の夕焼け空が浮く
  椅子とりゲーム僕の辞書から削除する
                     ぼくだけのタオル投げ込む小劇場
  指きりひとつとても逃れぬ定置網
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石の上にも三年・・・池さとし

2007年11月23日 | 川柳
             現代川柳『泥』第五号

 何よりも愉しいのは、様々なかたちでのメッセージに触れる機会が、思っていた以上に多いことである。

 忌憚のない意見や感想が、発行の度にあるいはまた、大会などで顔を合わせると聞かせてもらえる。

 それらの貴重なメッセージを、踏み台にしながら三人三様の歩みは続けられている。

 このようなリアクションは、今までにあまり経験しなかったことだけに、新鮮で感動的でもある。
 
もちろん、作品を作ったり文章を書いている過程でも十二分に充実感に浸っている。

 年齢に応じた努力や研鑽といえば、世阿弥の「風姿花伝」が頭をよぎるが、そんなあれやこれやをも含めた上での三年という設定だった。

 リソースフル(rsourceful)の語源に、また立ち上がるとか、ふたたび湧き出すというような意味がある。

 『泥』での三年間の体験を直視できるように、そんな気持ちでいま五号と向き合っている。

 今痛切に感じていることは、月日の経過がものすごく早いということである。この一年間もあっという間に過ぎ去ってしまうに違いない。

 「石の上にも三年」が、「焼け石に水」だったなんてことに、そんなおちがつかないようにこころしながらの「泥」第五号ではある。
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石の上にも三年・・・池さとし

2007年11月22日 | 川柳
             現代川柳第五号『泥』

 石の上にも三年、そんな誰でもが知っている諺がある。

町の中学生に聞いたら、正解率はおそらく八十パーセントぐらいはあるかも知れない。

 しかし、石の上にも三年ということわざの意味は、となると、正解率はどのくらいになるだろう。

 おそらく三十パーセントくらいになるような気がする。

 残念ながら自分でも自身がない。頭の中ではなんとなく解っているような気持ちでいても、いざ答えてみようと思ってみると、確たるものがない。

 書架の飾り物になって、埃をかぶっている「ことわざ辞典」を、取り出して調べてみると、(つめたい石の上でも三年も座っていれば、すこしは暖まってくるだろう。すべて忍耐が肝心です。どんなことでも、三年ぐらいがんばってみないと、その良さや面白さがわかってきません。)と書いてある。

 三人で始めた「泥」は、三年で六号、いよいよ最後の年となる。

 面白さや充実感を、こころゆくまで味わいながらの、「泥」との関わりである。

                             続く・・・。
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解夏(げげ)・・容子

2007年11月21日 | 川柳
              現代川柳『泥』第5号

 拡散と風化を避けるために、三年と決めた「泥」もいよいよ次号で解散になる。
 
 締切日を守ることと、三十句の作品を掲載することが唯一の決まり。その他は全くの自由。その時、その時で臨機応変に企画し、編集し、そしてついにここまで辿り着いた、と言うのが正直な気持ちだ。

 「解夏(げげ)」というタイトルの映画がある。解夏とは禅宗の修行僧が、夏の九十日間修行を積み、その終わりの日の呼び名をいう。

修行とまでは行かないが「泥」もある意味で精一杯それなりのものを積み上げてきたと思っている。そしていよいよ解夏の時を迎えようとしている。

 最終号は、これまで支えてくださった方々の作品も掲載させていただき、ピリオドを打ちたいと願っている。忌憚のない感想などもいただけると、この上ない喜びである。
 最後のご支援よろしくお願いします。
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