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現代川柳『泥』四号・・・ミミズの考察

2007年11月18日 | 川柳
 サルトルの「壁」も安部公房の「壁」も圧してしまいそうな、テイ子さんの「壁」のメッセージ。いつも思うことなのですが、彼女が文章を綴る時の渾身のエネルギーは、この抑揚のリズムは?核心と本質を捉えることばの所作は?「圧巻」としか書けない自分の脳足りんが歯痒い。記憶にまちがいが無ければサルトルの「壁」は壁にぶつかり続けるのではなく、高い壁も必ず越える高さがある、「越えるだけだ。」当たり前と言えば当たり前だが、青春の蹉跌・彷徨はそんな当たり前に気づくことさえ容易ではない。みんなが人生でぶつかる壁を「最も希求する母なる回帰かも知れない。」と結んでおられます。
 
◎ 普川氏の川柳批評の「川柳の属性」・・・詩性・社会性・批評性・ユーモア・
                       イロニー・実存性。
 (批評語による川柳批評)
 ①音律性②比喩③カタカナ、ひらがな④母音声⑤作品の俳句性⑥使用言語
 ⑦言語構成と難解性

を、提示されておられました。特に句には「ある種の感動」が不可欠ではありますが、詩性、イロニーは特に重要と感じています。

◎感性の反射・・石井先生は、さとし、テイ子、容子各氏とのお付き合いも長い
        ので、作者を良く知る上での鑑賞評はより実在性があり、各氏も
        安心して句の鑑賞を委ねられたのではないでしょうか。

◎詩(うた)語らい・・木村政子氏は2度目のご登場ですが、生活者の視点から
           社会のどこにでもある諸問題を、さりげなく風刺されている
           イリュージョンは、誰もが共感できる寸劇を見ているようなあ                 る種の「開放」を試みた作品ではなかったでしょうか。
           

◎明日は、池氏が冒頭で述べていた「メリット」3人がお互いの作品を厳しく見つめるコ ーナーへと移行します。いい加減な妥協はしない。おかしな所はおかしいと、はっきり 発言してみようという試みである。
(このような姿勢の持ち主は、双方に同じ向上心、目指すものの志の高さの高い人ほど受 容能力が高い訳でありまして、まして、活字で残して人物評まで掲載してしまう、度量 の大きさに先ずは、脱帽の私です。この御三人は私の大きな「誇り」です。)

                          続く・・・・。





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