初対面火か炎か陽 まっ赤っか
私が、26・7才頃、函館市民会館で「川崎ヤエ」先生を初めて間近でお見受けした時、先生もまだまだ「凛」としていらして、近寄りがたい存在感をひとり放っていました。
たとえ市民会館に人々がびっしり席に埋まってはいても、御年配者であってもひと目で何かをなした人と、解る風貌でした。ご自身は小柄でか細くうしろ髪をきりりと結い上げ、前髪を軽くカールしたモダンな髪は先生の一時代を映す「トレードマーク」でもありました。
お着物の後ろ襟がしゃんとなさって凛々しい立ち振る舞いがとても印象的でした。
「あの女性が川崎先生・・」テレビで見た時の残像がすぐ私の視線をくぎづけにしました。函館市史の先生の随筆も目にしたことがあったので、こころは踊りました。
そして、私の前をしゃきしゃき小走りで通り過ぎた後ろ姿に、思わず「合掌」をしてしまいました。
無意識に合掌などと、無宗教のなまくらな私がするくらいなのだから、人間の「威厳」という「気配」が先生を大きく包んでいたように、追想の中で改めて、そう思う。
そしてその後、一人娘がバレエを習っていた関係で、来賓席でバレエを鑑賞されている姿、デパートでお買い物をされている姿を遠くで眺めては、ご健在ぶりが何よりうれしかった「川崎ヤエ」ファンのひとりでした。
ある日、お仕事のお付き合いでお世話になっている社長さんから、一本の電話が入りました。
「こんどねえ・・井上光晴さんの「兄弟」という出版記念会があるんだよ・・あなたは昔・・文学少女だったでしょう・・めったにないことだから来てくれないかなあ・・」という、なんとも不思議な電話でした。
井上光晴氏の作品名は2・3知ってはいても読んだことがない、昔は小説は読んではいても司馬遼太郎のシリーズを少し読んだあとは、小説の興味はすっかり失せていたお年頃の自分でありました。
井上光晴氏に、ご自分のマンションの一室を無償で提供なさる奇特な方でもありますが、会社を何社も持っていらっしゃるので「お付き合い」と思い、名誉にも出版記念に参列させていただいたのが、函館の洋食の歴史を代表する「五島軒」でありました。
テーブルに座り、右隣はお知り合いの陶芸家の先生でした。
函館文学学校主催の木下順一さんの短くはないスピーチが終わり、次に登場されたのが
「私の憧れの道南歩く女性史・川崎ヤエ先生」でありました。
川崎先生のスピーチが始まります。(お顔が少しほんのり高揚なさって、威厳のある姿勢で喜びが隠しきれない、川崎ヤエ節でした。)
「みなさま・・こんばんは!・本日は、井上光晴先生の「兄弟」という立派な御本の出版記念会ということですので、大変楽しみにして出席させていただきました。
私は、本当はもうこの世では不必要になった、ただの物干し竿のばーさんです・・。
このバーさんには、肩書きというものがありません・・だからいつも自分を紹介することに苦労をしています・・・」
このような、調子で始まったご挨拶。
自分を何かにたとえるのがお上手な方ですが、私が始めて窺ったご自分の比喩は「いらなくなった物干し竿」会場がしばらくほほえましい笑いの渦に包まれました。
肩書きなんてなくても、その会場には知らない人がないほど、「川崎先生」にゆかりのある方々ばかりご列席されているのです。
井上光晴先生の謝辞も済み、会食となりました。
お隣の陶芸家のKさんに、私が川崎先生のファンであることをお話したら、ほろ酔いついでに川崎先生のところへ紹介してあげるからとおっしゃって・・はじめて先生と対面となりました。
「この人がねー・・先生のファンなんだって・・先生良かったねーまた、若いファンが出来て・・」K氏
「はじめまして・・〇○と申します。」私
「先生・・今日は記念だから・・写真一緒に撮ろうや・・!」K氏
先生は、きっとその日は、ご機嫌うるわしい状態だったのでしょう。
K氏の立派なカメラに収められていた川崎先生とのツーショットは、真っ赤な顔のわたしと・・やさしいまなざしの先生の大切な思い出を飾る一枚の写真となりました。
蛇足ですが、先生のお召しになっていた「大島紬」は150万円だとあとで窺いました。
「日本人の民族衣装は「着物です」中でも、大島紬はことのほか作るのが困難な着物です・・・・私が買わなければ・・大島紬の伝統がなくなっては困ります。」
生涯、着物以外は自分で着ることの無かった「川崎ヤエ女史」。これも、日本の近代着物の歴史に刻みたいものです。
それから、時は流れ・・川崎先生から直筆のお手紙をいただいたエピソードは次回と致します。
(記述の年月日は、いずれ加筆しようと思います)
とても貴重なお話を読むことができ、感謝の気持ちです。
私は川﨑ヤエの姉妹の曾孫です。
現在も函館市時任町に川﨑ヤエが亡くなるまで住んでいた家があります。だいぶくたびれた築80年以上の家は、今も当時の面影を残しており、瑞宝章の表彰状や茶室など昔のまま残っています。
幼い頃のおぼろげな記憶しか残ってませんが、こういった話を読むことができて歴史を感じるとともに我が川﨑家の遠い昔の事柄も知ることができとても感謝しています。
ありがとうございます。
また何かこういったお話を書いて下さると嬉しいです。