春 の 朝(MISUZU作)
すずめがなくな、
いいひよりだな、
うっとり、うっとり
ねむいな。
上のまぶたはあこうか、
下のまぶたはまァだよ。
うっとり、うっとり
ねむいな。
春 の 夜(Y-umi作)
ふとんのなかで、することは
きょういちにちのはんせいかい、
あさからいちにちおもいだす。
ともだちとけんかして、
ごめんなさい。
あしたは、ごめんなさいって
あやまるの。
テストは、はなまるがんばるの。
きゅうしょく、にんじんがんばるの。
スカートめくりは、はらがたつ。
あしたは、ぜったいゆるさない。
かみさま・・いじょうです。
*小学校に入学したころ、母が「ふとんに入って眠る前に、今日一日を思い出して、一日 を反省して、自分で悪いことをしたら神様にあやまりなさいね・・。」
と言われ、毎晩このような夜でした。
不思議と、こころのもやもやが晴れて、ぐっすり熟睡できたものです。
やさしかった思い出しかない母も、私が思春期になったら「鬼」と化しました。
波
波は子供、
手つないで、
笑ってそろって来るよ。
波は消しゴム、
砂の上の文字を、
みんな消してゆくよ。
波は兵士
沖から寄せて、
一ぺんに、
どどどんと鉄砲うつよ。
波は忘れんぼ、
きれいなきれいな貝がらを
砂の上においてくよ。
人生でまともな「詩」というものを創ったことがあるかと自問してみる。
「無いなー」と出る答え。
詩というものが創れなかったから、川柳をやっているのかも知れない。
今、自分にぶつかっている「詩情」というクオリア。
脳のシナップスの枝を伸ばし続け、ニューロンを開発し続けた「金子みすずさん」「クオリアの代名詞のような女性」だと感じています。アルファ波・シーター波も全開です。言語脳は脳細胞の中で、一番高度だというのだから・・夫に創作を断じられたみすずさんの脳細胞は「カタルシス欠乏」となって行ったのでしょうか。茂木健一郎さんなら何とおっしゃるでしょう・・・?
話題は変わって「どどどんと鉄砲うつよ」で思い出した、昨日の昼下がり。元海軍士官学校卒業で、戦史に強い川柳大先輩のK氏のところへ伺って所用を済ませ、ちょっと、戦争の質問をさせていただいたら、結局「2時間の戦争史の講義」を受講した感じでありました。とっても充実した貴重な時間でした。
「盧溝橋事件って・・中国との間できちんと整理ができているのですか?」質問私
「出来ているよ、天皇陛下がちゃんと詫びて、内閣を総辞職させているからね」K氏
この質問から始まった2時間。
話題は、明治新政府から明治憲法が出来るまで、22年もかかってワタワタ・キョロキョロしてドイツの憲法をモデルにした事。(ここから・・日本の政治の右往左往が見えてきます。きちんと極につけない・・何か)
そして、日本のアジアの侵略から始まり、ドイツとの友好関係があった頃のお話。
張作霖・ヒットラー・トルーマン・アイゼンハワー・マッカーサー・原爆投下・終戦などなど、実になめらかにお話されていました。
戦後派(戦前派ともいいます)の私は、実体験が無いだけに、戦争の史実は点と線に結ばれていないのを実感しているので、「あーそうかー!」「そうだったんだー!」の連発タマゲタ受講生でありました。
そこで決めました!これからは一ヶ月に一度K氏から戦史を学ぼう・・!
歴史のまちがいから学ぶことが大切です。
英雄が登場して・・次の英雄がそれを倒して・・又次の英雄が現れて・・またボトン。
そのくりかえしの政治の歴史ですが、インターネット時代にあっては、飛び抜けた英雄が出没しずらい現代です。
良いことではありませんか・・。でも本当の英雄は二番手・三番手に多いよ!
3月7日にちょっと気になって、盧溝橋事件の日中の政治決着が本当になされているかサイトで調べてみましたが、両国の陰謀説に火種が分れています、東京裁判のときに毛沢東が中国の「国民党」を制圧してくれたおかげで中国革命が出来たなどという言葉も裏で飛び出しています。やはり、一個人からの話と、史実を照らし合わせなければいけません。
歴史的には、大義名分で「東京裁判」で決着ということになっていますが、一人だけ反対したインドの国際法学者のパール博士の意見が公正であったといえるのでしょう。
国際法は今でも、拘束力がないはずです。
歴史上類を見ない「為政的な東京裁判」。真実は歴史の闇の中。
少数意見に耳を傾けることのできる、裁判であったなら日本の歴史も変わっていたのでしょう。
暗い、さみしい、土のなか、
金魚はなにをみつめてる。
夏のお池の藻の花と、
揺れる光のまぼろしを。
静かな、静かな、土のなか、
金魚はなにをきいている。
そっと落ち葉の上をゆく、
夜のしぐれのあしおとを
冷たい、冷たい、土のなか、
金魚はなにをおもってる。
金魚屋の荷のなかにいた、
むかしの、むかしの、ともだちを。
今まで、私は何匹の金魚のお墓を作ったかわかりません。
一番記憶に残っているのは、父が30匹くらいの金魚を持ってきて(買ったのか・・もらったのかはわかりませんが・・)
たらいに金魚を放し、父は針金と和紙で金魚すくいをたくさん作ってくれました。
金魚すくいきちがいの私には、こんなうれしくてすばらしいことはありませんでした。
父は「好きなだけやりなさい・・」と、うれし顔でした。
お金も時間も気にしないで夢中になって、あきるまで金魚すくいを楽しみました。
そして、また明日やろうと庭にたらいをおいたままその夜は過ぎました。
朝起きて、庭に出てみるとたらいに金魚が赤白くなって、プカプカ全部死んで浮いていました。
びっくりして、声も出ませんでした。こころのなかでは、とんでもないことになった,
金魚を全部殺してしまった犯人のような気持ちになり、金魚に取り返しのつかない罪悪感を感じたものです。
そんな、誰でもが記憶にある「金魚のお墓をつくった」その後の心境の詩です。
女の子ってものは、
木のぼりしないものなのよ。
竹馬乗ったらおてんばで、
打ち独楽(こま)するのは
お馬鹿なの。
わたしはこいだけ
知ってるの、
だって一ぺんずつ
叱られたから。
女の子はおてんばしちゃいけませんといわれても、かくれて一度ずつして
叱られちゃった・・という詩です。
男の子 (Y-umi作)
あそびのできない男の子
いつもうしろをついてくる
缶けりしても かくれんぼしても
いつも楽しく 見てるだけ
あそびのできない男の子
いつもうしろをついてくる
お勉強したら いちばん星で
いつもしずかに しています
あれは大きくなったとき
あの子が死んだと 聞いたとき
自分で死んだと 聞いたとき
お空が二つにわれました
あんなにやさしい男の子
あんなに平和な男の子
(みなお母さんのせいなんだ
教育ママの せいなんだ)
・小さい頃から仲良しだった、O君を思って創りました。
資産家の長男で、勉強ができて、お誕生日にはおよばれして
みんなで楽しんだことや、たくさんの思い出があります。
いつも、にこにこしてて、いつもスマートな上品な男の子でした。
お母さんの願いを叶えるために、慶応大学に進学したものの、
ちょっとした人生のつまずきに対処できず、在学中に自らいのちを断ちました。
岩の上、まわりは海よ、
潮はみちる。
おおい、おおい、
沖の帆かげ。
呼んでも、なお、
とおく、とおく。
日はくれる、
空は高い、
潮はみちる・・・。
(もういいよ、ごはんだよ。)
あ、かあさんだ。
いすの岩から
いせいよく、
お部屋の海に
とびおりる。
日本語は世界で一番むずかしいという人が多い。
ひらがな・カタカナ・漢語・呉語・和製英語・英語・ポルトガル語・ハングル語いろいろミックスされた「言葉のミックスジュース」のような、日本語。
そして、こんな狭い日本なのに「方言だらけ」
日本人の遺伝子は本当に受容能力が高い。
けれど、あり余る言葉の中で、本当に人間を感動させるのは言葉の葉を削いで、削いで、小学校1・2年くらいの表現方法がとってもすてきだといつも思っている。
誰もが、幼いころに椅子や机に上がって、この詩のような体験をしているだろう。
私の一番下の弟は、2階の窓から風呂敷をマントにして「飛びたい!」といって、ほんとうに飛び降りそうな気配でした。びっくりして2・3度止めたことがあります。
子どもというのは現実と空想の境目がまだできていません。
そんな子どもの世界のひとこまを、この詩は、ものの見事に表現しています。
金子みすず・西条八十・北原白秋・野口雨情のすばらしい唱歌から軍歌に変わった、 昭和の15年間。金子みすずが亡くなったのは、昭和5年満州事変が
勃発する前年であったようです。
私は今、ほんのひととき、先人のすばらしい遺産である
日本人のこころのお宿を探訪しています。
上の雪 さむかろうな。
つめたい月がさしていて。
下の雪おもかろうな。
何百人ものせていて。
中の雪 さみしかろうな
空も地べたもみえないで。
雪 (YーUMI作)
さらさらさらと ふる雪に
さらさらさらと 風は止み
はらはらはらと ふる雪に
はらはらはらと 風は泣く
きらきらきらと ふる雪に
きらきらきらと 風 笑う
そして 風はどこかへ 行っちゃって
さらさらさらと 雪はふり
さらさらさらと 夜はふける
*イメージトレーニングをしています。川柳は17音字の詩です。
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい
昨日、現役の女性教師の方とお会いしたので、「先生・・金子みすずって知ってます?」と窺ったら「知ってますよ、国語で教えますから・・」と、いうことで
この詩が、教科書に載っていることを確認したわけです。
「みんなちがって、みんないい・・がいいんですね。きっと。」先生。
「金子みすずが自殺したことは教えていますか?」と窺ったら・「えー自殺なの?教えていないですね・・。」先生。
私が昔、「芥川龍之介」の「みかん」や「くもの糸」を学校で教えられたのは小・中どっちだったろう?
太宰治の「走れメロス」は、確か小6か中1時代に習いました。
二大作家とも、「自殺」であったと、私は教えられました。
時代によって、先生方もうっかり自殺などということを言ったら、あとであちらこちらから苦情が来る時代です。
下手なことを言えない先生方も、小鳥やすずにでもなって飛んだり、鳴いたりしたいことでしょうね・・。よほどタフでなければやっていけない大変な時代の中の職業だと思います。「学校指導要領の理念」の「生きる力」はまず、親の生きる力を生活の中から子が学び、教師の指導力から子どもが自信をもらい・・そして生徒が自分自身の描いた人生設計のエンジンにしていくもののような気がします。
「生きる力」といえば昨年、農家のおばあちゃんに教えていただいたことです。
「農園の野菜に降る雨は・・しと・しと・しと・と降る雨がいいのさ・・10日に一ぺんくらいね!雨が多いと野菜の根が弱くなって、土の中に伸びていかないのさ・・」おばあちゃん。
「えええ・・どういうことですか?だって、水分があったほうがみずみずしい野菜ができると思っていましたけど・・ちがうんですか?」私。
「ちがうよ、野菜の根はねー・・自分で水分を欲しがって自分で根を張らせて、水分を吸うために根がのびて頑丈になって、いい野菜ができるのさ・・」おばあちゃん。
「へえー・・!さっそくうちの観葉植物にやってみよう!」私。
結果・・・水を今まで一週間に一度与えていたのを、10日に一度にして、今までの半分の量で与えたら、すべての植物の茎ものびて葉が太くなり生き生きしてきました。びっくり・・びくちゃんです。 それは、ニンゲンにも言えることです。
自分の生きるために必要な心技体の栄養は、自分自身の根っこから栄養を吸う力が源なのだということです。
おばあちゃんからすごいことを教えられました。
これが、本当の生きる力なのですね。
ある日、今は亡き音楽担当の若林先生が昼休みに廊下から私にチョットおいでと手招きをされました。
何かと思って、行ってみると「今日チョット放課後に音楽室に来なさい。」といわれました。
放課後音楽室へ行ってみると、先生はゆっくり大きなグランドピアノを弾き始めました。
私の知っている「みかんの花咲く丘」の唱歌でした。
「歌ってごらん・・。」「はい!」と答えて「みいーかーんのはああなが・・♪♪」と歌いはじめました。
先生は何も言わず・・また、唱歌を次から次と弾きはじめました。
一時間ほど過ぎてから、「これからは毎週水曜日に一時間くらい歌を歌いましょう・・いいですね。」と,さっと帰ってしまいました。
あのころで退職真近なのですから、わたしにとってはやさしいおじいちゃん先生のような感じでした。
それから、約一年間わたしは、毎週一時間歌い続けました。
先生に注意されたり叱られた記憶はありません。
「みかんのだんだん畑って知ってるかい?丘一面みかんがいっぱい実ってる情景を浮かべて歌ってごらん・・」
「七つの子」は、自分がからすの「おかあさんのつもりでうたってごらん」
そんな、アドバイスが一回のレッスンで2・3度あったくらいです。
その時のことを、思い出したのは30歳過ぎで、娘が生まれて聞かせたかった唱歌のLPレコードを買ってきた時に、「ああそういえば・・」となつかしく思い出したのです。
10年ほど前に、そのときの記憶を辿って知ったことは、「野口雨情」の童謡はほとんど歌っていたことに気がつきました。
そしてなぜ、先生がわたしに歌を教えてくれたかの本当の意味がわかったのです。
それは、先生のオリジナルの童謡を教えられていたのです。
当時の手宮小学校500人近くの生徒の中で、わたしは隠れた「童謡歌手」になっていたのでした。ジャンジャン。
もちろん、音楽の成績は「大変良い」でした。
なぜ自分が童謡の詩に特別の思いを抱くかを、金子みすずさんの詩で、再認識しました。
原風景が自分の追い求める世界なのだとしみじみ感じています。
川柳の自己擬人化もそのときの体験から来ているのかも知れません。
曇った晩だ。
ちいさい星がふるえふるえ
ひとつ。
さァむい晩だ。
船の灯りが映ってゆれて
ふたつ
さみしい晩だ。
海のお瞳(めめ)が青く光って
みっつ。
海の目 Y-umi作
海はねむって
おりました
いさり火
いさり火はいいました。
海よ おきなさい
海よ学校へ行くのです
あの波
この波
のりこえて
大 波
小 波
のりこえて
汐でおめめをふきながら
ざぶーんざぶーんと
海は学校へ行くのです
浜の石
浜辺の石は玉のよう、
みんなまるくてすべっこい。
浜辺の石は飛び魚か、
投げればさっと波を切る。
浜辺の石は唄うたい、
波といちにち唄ってる。
ひとつびとつの浜の石、
みんなかわいい石だけど、
浜辺の石は偉い石、
みんなして海をかかえてる。
この詩をキーボードで打っていると、槙原敬之の「世界にひとつだけの花」
が浮かんできた。「石」を「花」に変えると最後がぴたっと決まる。
それにしても、すごい発想力と創造力に感動してしまいます。
みんなして海をかかえてるとは・・。