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川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

マーライオン(海の神)に乗ったテニスプレイヤー

2007年11月29日 | 川柳

               告 別 献 花 式

 本日、午後1時より函館Rホテルで、Mグループ7社を率いる函館経済人の果敢なリーダーY勝社長のお別れ会がありました。

 函館経済史にとって、名が残る人でありますから、書いておこうと思います。

 Rホテルの3Fの大ホールに飾られた、大きな勝社長の写真は、魚市場で毎朝5時半に始まるせりの時に身につける、○勝のマークのついた帽子にポロシャツ姿、屈託のない上機嫌な笑顔。

 胡蝶蘭が写真を取り囲むようにレイアウトされ、同心円を描いた水面のようなデザインで白いバラとカスミソウと葉緑の色がほどこされた清楚でとても美しい祭壇でした。

 四つ折の式次第の裏には、直筆の「努力一生」の文字が、力強い筆字で描かれておりました。

 生前勝社長は、「俺に何かあっても、会社は休むな、葬儀はさわやかにやってくれ。」とおっしゃていたそうで、その御遺志どおりの式の運びでとても、感動的なすばらしい内容のものでした。途中シンガポール大統領からのメッセージもあり、びっくりしました。

 開会の辞、黙祷、追憶(ビデオ上映、最後は、社長の声で、「皆様本日はまことにありがとうございました」が、画面が暗くなって流れてきました。)弔辞がそれぞれ進み、親族代表のY小弥太会長の弔辞です。

「まさる!お前なんで死んだんだ!!俺はもう辛くて・・辛くて・苦しくて苦しくて・悲しんでも悲しみきれないぞ!まさる!俺よりひとまわり、12歳も年下なんだぞ!なんで年下のお前が先に死ななきゃならないんだ!!この世に、神様も仏様もいないんじゃないか!俺はそう思うな!まさる!天国でとうちゃん、かあちゃんに叱られるぞ!怒られるぞ!なんでこんなに、早く来たんだって悲しむぞ!お前が病院でまだ、心臓が動いていた時に、お前の顔を何回もたたいて、まさる起きろ!まさるおきろ!って叫んだんだぞ!聞こえてたよなあ、まさる!先生にも、お願いですから助けて下さいって、しがみついてもお前の心電図は止まってしまった、それでも俺は先生に、生き帰してくださいって何度も何度も頼んだんだぞ!聞こえてるか・・まさる!・・・中略・・・お前は、よく頑張った!本当に良くやった!!よくやったぞ!!お前の分もこれから皆で、力合わせて頑張るから心配するな・・ゆっくり、ゆっくり休んでくれ・・さようなら・・まさる!」と最後は祭壇に向かい大きく手を振ってお別れをされていました。

 会長ファンの私は、ご兄弟の仲の良さを知っているだけに、会長の辛い気持ちが言葉以上のものであるので、会長の健康も案じてしまいます。そして聞いているうちに胸が何度もえぐられてハンカチがびしょびしょになりました。会長の飾らないいつもの地のままの弔辞なだけに身につまされます。いつもながらすごい求心力の持ち主でありまして、こんなキャラクターの経済人が、函館に他にいるのだろうかといつも、思います。笑わせても、泣かせても、すごいハートの持ち主なのです。

 やがて、最後に新社長の政人氏の謝辞が、列席者の感動を誘いました。

 シンガポールでは、世界で始めての名誉観光大使になられた勝社長に、政府から14名特使として列席されておりました。

 きっと、勝社長のこれまでの功績は、お嬢さんが将来一冊の本になさるのではないかと思います。

 勝社長の言動は、テニスの試合のように、函館をコートに見立て、所狭しと目いっぱい、人の何十倍も、走りながら考え、ラケットで果敢に攻撃を続けた商人の名プレイヤーでありました。大資本家と戦い、函館の未来のあるべき姿の絵を実現させた人でもありました。来る日も来る日もテニスの試合の連続だったのではないでしょうか。

「千の風になって」「宙船」「鶴になった父ちゃん」「涙そうそう」[青春時代」の楽曲が流れる中、白いバラの献花の列がしばらく続きます。

安らかにお眠り下さい・・ありがとうございますとバラの花を献花して、社長の大きな写真を見つめていたら、ビーンと何かが飛んでくる強いオーラのようなものを感じました。

 きっと、写真が大きくてインパクトが強かったのでしょう・・。普段威勢のいい他の社長さんも、みんな「わっと!」崩れて泣いていました。

 社長はきっと、テニスでオリンピックでも行きたい夢があったのではないでしょうか・・・。

 テニスの試合は、いつでも飛んでくる球から逃げることが出来ません。毎朝の魚市場のせりも勝つことが命題です。名前も「勝」です。魚市場へ海の神様が休暇を与える為にお迎えに来たのでしょう。 (政人氏のご挨拶は、社長以上に立派でしたよ!)

2007年11月21日没 享年65歳

 

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うろこの長靴は光るよ!

2007年11月29日 | 川柳

 川柳人の心得のひとつに、黄泉の国へ旅立たれる人を手厚く言葉でお見送りすると言う作法があると、先輩から窺った事がある。

 24年前、グァム島へ旅行した時のことです。千歳空港から6名で旅立ったその飛行機の私の座席のまん前に、Y社長が座っていらっしゃいました。そちらも6名の友人達とのツアーでありました。その中にお知り合いがいらしたのでご挨拶をしながら、約4時間の機内で、紺色のセーターに身をくるんだ40歳位のY社長が「こんなに若いうちから海外旅行ができるなんてみんな幸せだなー!」とニコニコ顔で声をかけられました。

 私のほうも「社長さんこの間テレビに出てましたよね!お逢いできて嬉しいです!ラッキーです!」と若かりし頃の私は初めて、社長と握手を交わしました。

グァム島の宿泊先のコテージも同じで、いろいろなエピソードがありました。

 まず、到着してすぐに水着に着替えて、海へ泳ぎに行って帰って来ましたら、社長から洋酒の「ナポレオン」が届けられていたのです。当時の「ナポレオン」ってすごく高かったようです。次の日お礼もそこそこに「恋人岬」へ一緒に行き「昨日の市内観光は行かれましたか?」と窺ったら「行かなかったよ、17ドルなら高すぎる!!」とおっしゃるののです。

「じゃあ社長は昨日、何やってたんですか?」と窺ったら「仕事の電話でずーっとコテージにいたよ」とおっしゃるのです。

 私たちは、4ヶ日間、海のスポーツにチャレンジして、まったくのリゾート人間になっていました。又次の朝お逢いした時、「社長さん夕べはディナーショーに見えませんでしたね?」と窺ったら、「値段が高すぎるから・・夕べは魚を買ってきて刺身にさばいて皆に食べさせてやったよ!俺は魚屋だからね・・」

     その時、この社長さんはすごくなるなーって思いましたね!

 函館に帰って来て、たまにどこかでお逢いすると「仕事とりに会社に顔出しなさい!」と何度も、声をかけていただいたのに、何年も行かなかった私。

 今日、社長のメモリアルコーナーに使う、赤ちゃんから最近までのアルバムを見せていただいて、まさか、社長の最後を飾る100枚のポートレートを作り、Rホテルの広間をレイアウトする仕事をするなんて、夢夢考えたことも無かったですよ。

「社長!・・今だから言いますが・・あの時のセーターの毛玉がちょっと気になったのですよ・・。」

 金融筋の中枢にいた叔父に、若い頃言われました「お前は将来商売をするであろう・・
資金を借りるのは銀行は最後にしなさい・・銀行は所詮高利貸しの歴史なのだから・・
もしやむにやまれず借りることがあったら・・毛玉のついた服と、長靴で行きなさい・・決して着飾って行ってはいけない・・金目のものは一切つけないで行きなさい・・そういう商人に銀行は融資するのです。」Y社長は魚市場で鱗のついた長靴と、カッパを着て銀行へ行ったのですね。

 可愛いい、目のくりんとした社長の赤ちゃんの顔、ご両親の明るくて気品のある愛情たっぷりのまなざし、ご兄弟の笑顔がはちきれんばかりの集合写真。
この頃は、相当ないい暮らしのお坊ちゃんのようにしか見えません。竹細工した2段のベビーカーに載ってる写真も、端午の節句も立派な三段飾り、当時としては大きなサイズに写真が並んでいる・・・原風景を追った人生だったのでしょうか・・。今日は殆どアルバムを見てましたよ。

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