現代川柳『泥』 第三号 どのような作品に感動共鳴するか
それから男は水の幻ばかり見る 定 金 冬 二
風説でしか探ることしかできない伝説の人である。
今、昭和59年発刊の作品集<無双>を開いている。
私の川柳は、もとより自身のためのものではある。
が、今一つ世の富者たちへの抗戦の剣でもある。
含蓄と純粋さ、自己凝視は自分を刺すように峻烈である。人のためなら涙も惜しまぬ人情家との風説もある。
作家、火野葦平にどこか似て、男らしさの匂う人だ。
「どうしたら、冬二先生みたいに川柳上手になりますの」と問うた女性柳人に、
「それはなあ・・・こころにいっぱい悲しみを溜めてなあ・・」と、いいかけて、カップを持つ手が震え、きらりと目に光るものを宿したまま絶句したという。
その人間的純粋さに訳もなく惹かれる。句集の千二百句は、すべて圧巻である。
川柳の鬼は、弱そうで、すばらしく強い鬼である。
そのすべてを川柳に打ち込んできた作家、定金冬二の祈りは、後世にいつまでも語り継がれることだろう。
燃え尽きた縄のかたちは死のかたち 前田芙巳代
水芸の水いっせいに血を噴けり 前田芙巳代
死ねぬなら狂うまで吹く水の笛 前田芙巳代
前田芙巳代句集「しずく花」昭和58年出版、どの作品も、私の心に深く浸透して、生きるとは何かを、この句集を開く度に語りかけてくれる。
一期一会の人は、手の届かない憧れの花にも似て、私を虜にする。凛としてきりりと和服の似合う人。
6・7年前のある大会でのこと、パネルディスカッションのパネラーとしての一語は、曖昧さと安易な妥協を許さない毅然とした姿だった。神々しいまでに私の目に写った。
政治、そして世の中混沌として、ファジーなことの多い時代に、なんと素晴らしい!
作品全編を貫く、愛、憎、怨を全身で表出できる稀有の川柳作家である。裸身を晒
らすからこそ、読者の感動を呼ぶ。ときに血を噴きながら生きる女性の叫びに注目したい。
「燃えつきた縄」「水芸の水」「石の笛」
この情念の作家に切り刻まれる、女の性は脆く美しい。
作句とは、両手の爪から血を流しながら大地を掘る。
今は亡き定金冬二氏の作家論が、宝玉の言葉として耳を打つ。厳しく心温かな女流作家への憧れはまだ続く。
肝臓に会って一献ささげたい 大木俊秀
この作品に出会ったのは、2002年、川柳カレンダー12月号であった。
なんと凄い句だろう・・・。大胆な書体もさることながらその作品は読者の度肝を抜くには充分な迫力だ。
酒好きの心境を、なんとも心憎いほどに晒した一句ではなかろうか。一読明快、うーんと唸らせてくれる。
無言の臓器、肝臓は五臓六腑の一つで、大切な解毒作用、そして肝臓から分泌される液で脂肪の消化も助けるという重要な臓器、この臓器に一献ささげる、という絶妙
の発想には脱帽である。
人はみな矛盾に充ちている。肝臓に負担をかけていることを知りながら、なお酒を愛し続ける男、おんなのなんと多いことか。わが愛するボロボロの肝臓どのに会って、一献汲み交わしながら、何を語らんと言うのか。
作者は、NHK学園川柳講座の主宰、大木俊秀氏である。
・ ・・数年前に遡って、その人となりを探ってみよう・・・
某ホテル、レストランの出来事である。朝食を終えて、M子、Y子と歓談していた。女神が微笑んでいた。
なんと俊秀氏との出会いであった。
「ご一緒しませんか」Y子が口火を切った。勿論、こんな美人の誘いを断るほど無粋な人ではない。そして濃密な川柳談義は、三人を魅了するには充分な話術で、さすがプロ川柳家と関心しきり・・・はじめての経験だった。
粋で、人を楽しませ、川柳の真髄を衝いて、格調が高い。
すかさず選者としての心得を問うた私に、
◎ 百点の句を六十五点で披講してはならない。
◎ 川柳を骨の髄から愛して、選を。
一期一会の出会いは、鮮烈な印象を残して過ぎた。
作品は人なり・・・と、私はひとり呟いていた。敬称略
それから男は水の幻ばかり見る 定 金 冬 二
風説でしか探ることしかできない伝説の人である。
今、昭和59年発刊の作品集<無双>を開いている。
私の川柳は、もとより自身のためのものではある。
が、今一つ世の富者たちへの抗戦の剣でもある。
含蓄と純粋さ、自己凝視は自分を刺すように峻烈である。人のためなら涙も惜しまぬ人情家との風説もある。
作家、火野葦平にどこか似て、男らしさの匂う人だ。
「どうしたら、冬二先生みたいに川柳上手になりますの」と問うた女性柳人に、
「それはなあ・・・こころにいっぱい悲しみを溜めてなあ・・」と、いいかけて、カップを持つ手が震え、きらりと目に光るものを宿したまま絶句したという。
その人間的純粋さに訳もなく惹かれる。句集の千二百句は、すべて圧巻である。
川柳の鬼は、弱そうで、すばらしく強い鬼である。
そのすべてを川柳に打ち込んできた作家、定金冬二の祈りは、後世にいつまでも語り継がれることだろう。
燃え尽きた縄のかたちは死のかたち 前田芙巳代
水芸の水いっせいに血を噴けり 前田芙巳代
死ねぬなら狂うまで吹く水の笛 前田芙巳代
前田芙巳代句集「しずく花」昭和58年出版、どの作品も、私の心に深く浸透して、生きるとは何かを、この句集を開く度に語りかけてくれる。
一期一会の人は、手の届かない憧れの花にも似て、私を虜にする。凛としてきりりと和服の似合う人。
6・7年前のある大会でのこと、パネルディスカッションのパネラーとしての一語は、曖昧さと安易な妥協を許さない毅然とした姿だった。神々しいまでに私の目に写った。
政治、そして世の中混沌として、ファジーなことの多い時代に、なんと素晴らしい!
作品全編を貫く、愛、憎、怨を全身で表出できる稀有の川柳作家である。裸身を晒
らすからこそ、読者の感動を呼ぶ。ときに血を噴きながら生きる女性の叫びに注目したい。
「燃えつきた縄」「水芸の水」「石の笛」
この情念の作家に切り刻まれる、女の性は脆く美しい。
作句とは、両手の爪から血を流しながら大地を掘る。
今は亡き定金冬二氏の作家論が、宝玉の言葉として耳を打つ。厳しく心温かな女流作家への憧れはまだ続く。
肝臓に会って一献ささげたい 大木俊秀
この作品に出会ったのは、2002年、川柳カレンダー12月号であった。
なんと凄い句だろう・・・。大胆な書体もさることながらその作品は読者の度肝を抜くには充分な迫力だ。
酒好きの心境を、なんとも心憎いほどに晒した一句ではなかろうか。一読明快、うーんと唸らせてくれる。
無言の臓器、肝臓は五臓六腑の一つで、大切な解毒作用、そして肝臓から分泌される液で脂肪の消化も助けるという重要な臓器、この臓器に一献ささげる、という絶妙
の発想には脱帽である。
人はみな矛盾に充ちている。肝臓に負担をかけていることを知りながら、なお酒を愛し続ける男、おんなのなんと多いことか。わが愛するボロボロの肝臓どのに会って、一献汲み交わしながら、何を語らんと言うのか。
作者は、NHK学園川柳講座の主宰、大木俊秀氏である。
・ ・・数年前に遡って、その人となりを探ってみよう・・・
某ホテル、レストランの出来事である。朝食を終えて、M子、Y子と歓談していた。女神が微笑んでいた。
なんと俊秀氏との出会いであった。
「ご一緒しませんか」Y子が口火を切った。勿論、こんな美人の誘いを断るほど無粋な人ではない。そして濃密な川柳談義は、三人を魅了するには充分な話術で、さすがプロ川柳家と関心しきり・・・はじめての経験だった。
粋で、人を楽しませ、川柳の真髄を衝いて、格調が高い。
すかさず選者としての心得を問うた私に、
◎ 百点の句を六十五点で披講してはならない。
◎ 川柳を骨の髄から愛して、選を。
一期一会の出会いは、鮮烈な印象を残して過ぎた。
作品は人なり・・・と、私はひとり呟いていた。敬称略