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川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

耳の悲鳴・・・青葉テイ子

2007年11月07日 | 川柳
         現代川柳『泥』四号・・・青葉テイ子

        ステンレスの沖八月を照り返す  さとし
        トラウマの八月炎天セピア色   さとし
        遠い日の闇一面は蕎麦の色    さとし

  クロムとニッケルを混ぜた合金 ステンレス。

  岸から遠く離れた海や湖を指す 沖、となれば、ステンレスの沖、八月、この発想にまず度肝を抜かされる。

 干涸らびた私の前頭葉は、何かを掴まんとしてぐるぐる空回りする。この想へと至るまでの過程と精神構造をも含めて、さとしの世界を探ってみたい。
 
 体のディティールまで抉りだしかねない底光りするステンレスは、ときに得体の知れぬ脅威を呼び起こす。
 
 揚出句、三句に共通するのは八月のテーマ、八月は慟哭である。唯一の被爆国日本、人間をモルモット化した一発の爆弾は、罪なき人々を一瞬のうちに壁にした。

 魂の震えと憤怒は五十八年の歳月が経っても治まらぬ。戦争という犠牲の上になりたつ擬似平和、いまだ尾をひくトラウマの実体、強靭で妖しげなステンレスの奥を無言で見つめる黒い影、ぞっとする寂寥感が漂う。

 一貫した主義主張、徹底した人間の好き嫌いの激しさは類を見ない。知る人ぞ知る論客である。ストレートな視点、目を覆いたくなるような虚無、カオスを背負って生きんとて、有象無象の火の粉を浴びてきた匂いがする。

         花はらりはらり死体を埋めに来る  さとし
         光ってる笑ってる路傍の石たち   さとし
         波打ち際をいつも歩いている耳か  さとし

 死体埋葬人も、笑っている路傍の石たちも、生活のカルキ臭さからは生まれてこない。孤独の影を纏いながらシビアに自嘲気味に語るさとしのプロフィールに笑いはない。光っている石も、笑ってる石も自虐の域を一歩も出ていない。花はらりはらりのエモーションは心憎い。

 何を探らんとして迷える魂は波打ち際を歩くのか。斬り落とされた耳の悲鳴を聞くがいい。そこから豊穣な世界がひらけるだろう。

           神は哀しみ未来を探す手を呉れた  さとし
           疑いの目玉ぽろっと枇杷の種    さとし
           切り株にぽつんと座っている仏   さとし

 未来を探す手がかり・・・神はそんなもの解りがいいのか、無神論者の私にはわからない。しかし未来志向の作品になぜかホッとする。疑いの目玉は、シャイで緻密なさとしの透徹した目玉だ。メガネの奥暗い洞穴は、ピカリと光る。獲物を見つけた動物の嗅覚だ。にんげんを丸呑みして貪欲にも血や肉にしてきた目だ。

 ぽつんと木の根株に座って仏と対峙、仏を希求する姿に弱さも悲しさも晒した影がいた。人を容易に寄せつけず凛として、雑音などどこ吹く風。

                  封筒の中も本降りになっている  不凍

  天国へとどけ初恋Eメール
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海のふところ・・・青葉テイ子

2007年11月07日 | 川柳
         現代川柳『泥』第四号・・青葉テイ子

           去年より小さく揺れて手の海は    容子
           海見える部屋でたたんでおく尻尾   容子

 ヨーコのなかの海ってどんな海なのだろう。

ヨーコという名の魚が泳ぐ。無限の青い海、海はいつも光が満ちている。ヨーコは、その光に包まれながら白い肢体をくねらせて泳ぎ続ける。

 掌の海は、まぼろしの海なのかも知れぬ。その光の束の中でなにを見続けているのだろう。去年と現在、その時間差の違いの中で変わるモザイク模様の人生。海の懐に抱かれながら、汚泥にまみれた尻尾をたたむ。

           臆病さと保身の術が見えかくれする。  容子

「お姉ちゃんなんだから、しっかりしなさい」
病気がちの弟を庇いながらの少女は、健気にもしっかり育った。完璧主義のヨーコは一朝一夕にはできない。

ヨーコの海は、泣きたい時思い切り泣ける海がいい。

         あたたかな便座思想のない家族   容子

 思想のない家族・・・痛烈だなぁ・・。ヨーコの面目躍如の一句だ。家族なんて、すべての虚飾を脱ぎ捨てて、本音を晒す場なのだ。快適な尻、平和呆けしそうな日常の所作に、一矢を向けたこの視線、やっぱり痛烈。

          雨音や詩人にもなれず狂女にも  容子
          井戸のある街で洗っている背骨  容子

 射すくめられそうな大きな瞳、骨の髄まで見据えてしまいそうなヨーコの瞳の強さに、わたしは訳もなく脅えてしまう。すべてのものを呑み干して、いつも泰然自若としているヨーコに、私には無いものねだりの脱帽だ。

 さて、狂女にもなれず、とさりげなく断定したヨーコだが、もし狂女になれたら、ヨーコは何をするのだろう。

 女は、誰でも無意識ななかに変身願望がある。
叶うなら、滅法いかした風のおとこに逢いにゆくのだろうか。そして醒めた目を向ける輩たちを、婉然と微笑みながら、一挙に串刺しにしてしまうのだろうか。

 井戸のある古い街にきて、倦怠と欺瞞をすっきり洗い落とて、しゃきっと背筋を伸ばして街を闊歩するのだろうか。まるで、何ごともなかったかのように・・・。

 情に溺れまいとするヨーコ、知と情のはざまで、人生なんて、ケ、セラセラと呟く。

 大きなコップに、汚濁と怠惰、欺瞞、あらゆる悪のエキスを入れて、思いっきりかき混ぜてしまいたい衝動に駆られる私の中の狂が、とめどなく頭をもたげる。

 自他共に厳しく妥協を許さないヨーコを中和したとしたら、どんな人間像になるのだろう。

 ほんの少しの破れ、罅割が意外な新境地を開くこともあるから・・・。

  ヨーコよ、いつか行き詰まったとしたら、手の海で思いっきり泣くがいい。


                  猫の死を語る男がいて雨に  不凍

  猫の目もヒト科の雨もひとつ傘

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