川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

北海道現代川柳『泥』ある瞬間・・佐藤容子

2007年07月31日 | 川柳
           あ る 瞬 間   佐 藤 容 子

 「ラ・マンチャの男」でドン・キホーテと現実主義者カラスコ博士のやりとりで次の言葉があった。
「夢におぼれて現実というものを見据えられなくなったらそれは狂気かも知れない。また、現実ばかり追って自分の中に夢というものが持てなくなったなら、それも狂気と言えるだろう。しかし人間にとって一番憎むべき狂気は、その人間が、あるべき姿のために戦わないことだ。その人間が、あるがままの人生に折り合いをつけて。あるべき姿のために戦わないことだ。」という印象的な台詞で何となく記憶していた。

 今から5年前の冬、私は「死」と遭遇しなければならない体験をした。何の予告もなく突然にである。
 路面は、アイスバーン状態で雪が降っていた。帰路へとハンドルを握っていた前方のカーブ車線から、ダンプカーがスリップしながらセンターラインを越え、まっすぐに私の方へ向かって走って来る。衝突するまでの数秒間、さまざまなことが脳裏を過ぎった。スローモーションで写し出されたのは家族のこと・・・仕事のこと・・、そして、川柳のこと等々・・・。死を覚悟するしかなかった瞬間、自分の存在が蟻より小さく思え、どうすることも出来ぬ焦燥感と諦観、そして何ひとつ成さず逝くであろうこの人生が情けなく、無念の一言に尽きた。

 歳月の流れの中で私は、死は決して遠くにあるのではなく、生と同じところに位置しているのではないだろうかとか、生と死のあいだに、もし壁があるとしたならそれは紙より薄いものではないだろうかとか、そんなどうしようもない自問を繰り返していた。  
 死を考えた。生を考えた。
 今までのことを考えた。
「自分らしく」という言葉があるが、果たして私は何処まで自分のことを知っているのだろう。
 自分らしくとは生きるとはどういうことなのだろうか。
 あるべき姿のために生きていたのだろうか。
そんなことを悶々と考えていたような気がする。

 そして、今ここに「泥」という名の川柳誌がかたちを成した。
 三人が描いた三本の線は、太さも長さも別々でありながら組み立ててみると何故か、正三角形になった。
 同等の辺でありながら鋭角を持ち決して円の中には存在しない三角形であることが分かった。
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北海道現代川柳『泥』佐藤容子作品

2007年07月30日 | 川柳
 揺 れ る 水  



          陽が射すと咲こう咲こうとする仏

気負うなという兄がいて春風船
      二の腕をぷるんぷるんと春爛漫
            幾千語吐き終え蝶は耳を出る

                一年のわずか五日を咲く自愛
                    消えた人数えて指は不感症 
                       別れ以後水に根をはり十の指                    
                暗闇の指から発す声あまた

            誠実な指 一本の釘をぬく
     まだ生める十指か霧が纏いつく
  鈍刃を握り聖地を出ぬ背骨

             春泥に溺れてしまう低い月
                飯冷めて烈しさの増すパントマイム
            清め塩たっぷり狂はそこかしこ
                    凍天にさえる嗅覚 人を恋う
      一列に並び他人の影を踏む

                ひらり身を返し禁猟句の帽子
        アドリブの下手な夫婦がおりまして
逆行の机上 増殖する枯野
        沼の底生あるもののおびただし

                雨の日のポスト発酵する殺意
      哭く海を見届け封印念入りに

             あれはみな錯覚だった バスは来ず
                 後編はどんでん返し春の雪
                     一編は完結喉を過ぎる水

  魚の眼は今も楽園 テロニュース
       揺れる水 死はたやすいか紙の船
           壁の絵も老い錠剤がまた増える

            父と観た映画の銃が背を突く

                    句読点。さてこれからの泥あそび
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北海道現代川柳『泥』泥樹・・原子修

2007年07月29日 | 川柳
      <詩> 泥 樹  原子 修 

いかなる木といえども 空のたかみに燃えさかる星をめざして地平からおのれのすがたを起きあがらせ なにものにもかえがたいいのちの証を大気のキャンバスに描きだすには
目に見える幹や枝の重みを地下のくらがりでしっかと支えもつ見えざる太根や細根の ひたかくされたはたらきこそが無くてかなわぬと知れ

いかなる木といえども 空のきわみに冷瓏と冴えわたる星をめざして地の面からおのれを垂直に吊りあげ けっしてゆずることのできない価値と尊厳をいっぽんの木のかたちへとうつくしく肉づけするのには 地中の闇にくまなくはりめぐらした太根細根の全量をひしとだきしめてはなさぬ 見えざる泥土の母の 人目をしのぶいつくしみこそが無くてかなわぬと知れ

いかなる木といえども 空のいただきにまたたく不滅の星をめざして 地の低みから孤絶のたかみへとおのれを雄雄しく立ちあげ なにびとにも侵されることのない独創の冠を緑なす葉むらにほこらしくかかげるのには 地の底でのたうつ泥の乳房からしたたる神の恩寵こそが 苦難にいどむ木の全身をうるおす樹液の 無くてかなわぬ源と知れ

と 地のふかみにひそむみえざるものの愛におのれをゆだねていきるいっぽんの木が みずからの耳にささやいた


   ☆川柳の『泥』から今・・木へとなる「いっぽんの木」

     池さとし(理)の木
        青葉テイコ(情)の木
             佐藤容子(知)の木

    いっぽんずつの、養分を吸い続けている樹・・・「泥の樹」

  うぶ声から「泥」の地球誕生そして、いっぽんの樹たちへのエールです。
      
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現代川柳『泥』序文・・・原子修

2007年07月28日 | 川柳
   ☆序文☆ 泥は原質である 原子 修 

 泥は原質である・・・旧約の神は、はじめての人を、まず、粘っこい泥から創造した。何故か?泥こそは、大地の血まぶれの肉であり、世界の胎(はら)から生まれでるすべての生命の原材だったからだ。

 あらゆる芸術が、もし、創造活動のまぎれもない原点からういういしくたちのぼるもの、とするならば、大地の血まぶれの肉たる泥をもって素材とせずに、なにをもって、それぞれのジャンルを構築すべきか。

   しかも、P・ピカソは言う・・・「芸術とは、永続革命なり」

 しからば、われら、洩れなく、それぞれの芸術分野のマテリアルをして、共通の原郷たる普遍的感動の一点へと、おやみなく、循環させ、たちかえさせ、再生させるべし。

 まして、詩とは、一瞬一瞬の建設と破壊の終わりなき逆転劇とするならば、われら、臆せず、そのステージたる己の時空に殉ずべし。

と、こう、十八歳の頃の純粋な変革エネルギーに燃える自分に回帰して、高校時代のクラスメートたる青葉さんの詩的爆発に心からのエールを送るべく、火となって燃えさかる泥土の熱い神話の世界に足をふみ入れたのも、ひとえに、詩の原郷を共有するもの同士の連帯感のせいにほかならぬ。

 2002年・・・さらに、この世は昏迷し、詩の未来は定かならぬ。
であればこそ、われら、さらに、旧幣にしだれかからず、決然と、己の意思を研ぎ、何かをなさねばならぬ。

2002年・・・今こそ、詩のあたらしき天末線をたぐるものの、苦難な前途をもって詩友たるわれらの固き盟約とせよ。・・・2002年1月元旦(詩人)
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北海道現代川柳『泥』web版

2007年07月27日 | 川柳
☆2002年4月創刊号「泥」より・・うぶごえ・・池さとし☆

 北緯42度、東経140から141度に位置する共通の地(苫小牧・伊達・大滝村)胆振で三人のゆるやかなめぐりあいがあった。

 時を経て点はいつしか線に、
そして『泥』がうぶ声をあげた。

拡散と風化を避けるため『泥』は、年2回で3年間6号までを一応のハードルとした。
 当初のハードルを越えたとき、その後を考える。そんなスタンスで、三点を結んだ三角形が、どのような形に変形するのか、楽しみなトライとも言える。

      泥の手ざわり
           泥の口ざわり

 いまなぜ『泥』なのかは、それぞれの今後の活動にかかわっているが、現在(いま)を生きる人間の自己確認を、根底に置きながら、気負うことなく自然体で流れてみようとしている。

     おだやかな流れの水だが
           ひかりを放ちながら

『泥』にそんな未来を描きながらの産声に、あたたかい後押しを願うことしきりです。

 池さとし(現在函館在住)青葉テイコ(函館出身・苫小牧在住)佐藤容子(伊達・昨年
4月19日くも膜下出血で惜しくも他界。北海道の川柳界に激震が走った)
共に、北海道函館に縁が深く、容子さんのお母様の五十嵐万依さんは函館吟社の同人)

☆ 今年、7月8日の全道大会では、五十嵐万依さん(82歳)も参加され、挑戦されて いました。再会を喜びながらも・・また、涙・・。
  お母さんも頑張っているのだから・・
 『泥』を過去の遺産に葬ることは出来ない。未来へ残すためにもウェブに転載しようと  思う。そんな強い決意が内在されていたはずの『泥』。

        明日は、原子修氏の・・序文・・を転載します。
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「泥」緞帳はゆっくり・・青葉テイコ

2007年07月26日 | 川柳
      ☆「泥」終刊号より・・・緞帳はゆっくり・・・青葉テイコ☆

 三人衆の止むに止まれぬ思いが炸裂した。
           駆り立てられたものは何だったのだろう泥。

 異なるキャラクターを持つ各々が、原型を留めたまま、凌ぎを削り合うた小劇場。
それも温かく厳しく見守ってくれた観客があればこそ・・。迸るもの泡立つものを、誰に制約されることなく、自由奔放に表現し得たことは、裸身を晒すにも似て面映い。

 それが、三人の生きる姿勢だとしたら、折り合いをつけるのも、むべなるかな。
日本人の心を捉えて咲く、さくら ぱっと咲いて散る花の美学にも似ての「泥」と言ったら、少しかっこよすぎるかな・・。

 「泥」に明け暮れ、産まねばならなかった三年の歳月は、たまらなく愛おしい。
星になれたか 小劇場の舞台俳優たちの、演技ならぬ演技が、神業と評したら究極のナルシストと、嘲笑されそうだが、満たされていま、舞台を去る至福を、ふと思う。
 
 沢山の血を肉を観客の皆さんから頂いて、「泥」は岐立した。

 ありがとう・・・の言葉を残して舞台を去る深々と頭をたれて・・・
緞帳はゆっくり・・・降りる。

「泥」を支えて下さった皆様へ万感の想いを。(テイコ) 2004年10月

   ☆この「泥」の最終号の挨拶文を何度、何度読んだか分からない。☆

 句作に詰まれば、ふとページを開き・・壁にぶつかれば・・又開き。
その都度、訳もなく・・涙が溢れ・・又、溢れ。

 今まで、どんな有名な作家の本を読んだってこんなことは無かった。
この、文章は私の生涯にとって・・句想の活力の源と言っていいだろう。
 なぜ、何度も(今もそうですが)感動してしまうのか・・・「泥」を私の指先からキーボードに触手することによって、より自分の糧となりますように・・願いを込めて折々のページをここに、また、泥の珠玉の言葉を復活させたい!
 このブログの始まりも行き着く先も、池さとし、青葉テイコ、佐藤容子三氏の現代川柳「泥」をブログに載せることが私の本望とするところです。

 初めて青葉テイコ姉上(函館出身)にお逢いした時に、「テイコさんの文章を読むといつも涙ボロボロになっちゃうんですけれど・・どうしてでしょうか?」と、お聞きしたら
「きっと、それは私が泣きながら書いているからでしょう・・それが、伝わるのでしょう!」と、答えて下さいました。「私はいつも、泣いて句を作ることが多いですからねー」

 趣味に毛の生えた川柳しか知らない私は、北海道のトップを極めた御三人の「川柳」に対する「命がけの真摯な姿勢」に唸るしかなかった。

       この出逢いが・・私の川柳への開眼となりました。


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処女作・・観覧車・熱気球

2007年07月24日 | 川柳

   観覧車ひとりでごめん途中下車  オーロラ光子

   この想い届いて欲しい 熱気球  KENJI

 この2句には参りましたね!オーロラ光子(親友)の処女作がこれだもの・・。

       やはり、彼女の潜在意識は思ったとおり高かった。

「観覧車は、輪廻転生を表す・・ツールなのだよ・・」と言ったら「知ってる!」ってあなた・・!すごいんでないかい!・・12句をFaxで送って来て、又、手元に13句作ったって言っているところを見ると、君は・・川柳体質ではないべか?やっぱり。

 川柳を作りすぎて、くも膜下にでもならないように注意してあげなければ・・血液型が
B型だけに・・どうにも止まらない!・・ウララ・ウララ・ウラウラヨ・・♪

 B型と言えば、31歳のKENJI君もB型で、川柳歴半年です。
でも・だが・しかし・です。メールで「どうですか?・・」の句の中に、こんな素敵な句が出来ていました。

 「若いのだから・・素直に自分の思いを吐け!・・ってS先生も言ってたよ!」
と言ったら・・吐いて来ました「熱気球」高く・・すこぶる高く飛んでいます。いいよー!君!

 ちょっと、川柳にくたびれかけている私にとっては「初心」をプレゼントされたフレッシュな思いです。
 「句を作ると・・十代に戻ったみたい!!」と親友の電話口から嬉しそうに弾む声。
保母歴も長いから、子供に戻るのも早いだろうなー・・と思う私。

         川柳は、「癒し」の文芸とも呼ばれます。

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西村恕葉・・・旭川原流社

2007年07月22日 | 川柳
            旭川原流 炎樹集 鑑賞句 新井笑葉主幹

 西村恕葉作  
         新品は柩だけだった 生涯
         
         さくら樹下きれいな嘘がつけそうだ

 満開のさくらの樹下にいると、その圧倒される風情にのみ込まれてしまう。少しくらいの嘘など、満開のさくらの美しさに、かき消されてしまうのが落ちである。

         読まねば書かねば 眼薬数種

         なるようになるさ汚濁の世を泳ぐ

         死に水はきっとボトルの水だろう

         冷奴くずれる僕の終章か

・・9月に恕葉先生にお逢いしに行く予定です。今から楽しみです。・・・


         

      
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心ときどき捻挫する

2007年07月21日 | 川柳
        旭川原流 炎樹集作品鑑賞 神様の悩み 新井笑葉

           < 美しい舞台 白骨の踊り 守>

 あやつられながら骸骨が舞台で踊っている。にんげんのあの醜い肉塊を削り取った実に美しい白骨である。
 美意識の本質に迫るにんげんの姿を見た思いがする。

           <生や死や心ときどき捻挫する さとし>

 にんげんの生と死は、己ひとりだけの問題だけで終わるものではなく、家族、親兄弟、親戚等々、連綿と受け継いでいるのであって、その煩悩のほどは計り知れない。
 このリアルな生と死を考える時、今を生きる現実の苦悩にさらされながら、混沌の世界へと引き摺り込まれてしまう。しかもくり返される心の捻挫は、自恃の再生意識として醸成されていくのである。

           
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ゴッホの黄・・頓珍漢

2007年07月19日 | 川柳
   炎樹集作品鑑賞(5月号)神様の悩み・・新井笑葉

春の夜温めています頓珍漢 涼子

    春立つや匂い袋を入れかえる 宏子

           春の桝目にふわりふわりと夢座る まどか

     ゴッホの黄と遊んでみたくなる春愁 テイコ

                春おぼろ私に欲しい産むチャンス   和江

 冬から開放された5月号には、春を詠んだ句が多かった。その作品の殆どが女性が詠んだ作品であって、春という季節には女性の感性に刺激を与えるフェロモンのようなものが、浮遊しているのであろうか。

 雰囲気を温める頓珍漢のユーモア。新たな匂い袋に起動するこころ。原稿用紙を埋める春の夢あまた。うるわしい気持ちからの回避がゴッホの黄と遊び、春おぼろには逢合の期待感が漲っている。
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