今から十数年前まで、私はとある地方大学にいた。私は日本も世界も実に多くのところに住んだり、旅をしたが、最も楽しかったとこでもある。まだ大学に教鞭の職を得て、さほど年月が過ぎてはいない時である。研究や教育以外で最初に熱中したのが「釣り」。
北海道から突然、南へ。大学院の学生の時に結婚した妻も私も道産子。スーパーへ行っても魚がわからない!妻はなじみのある鮭の切り身を買ってしまう。高い、まずい。
赴任した大学で教職員「釣り大会」が行われた。釣れる!釣れる!それも魚屋に並んでいる魚!
「おお!これはなんという魚?どうやって料理するの?」
私は童心に帰り、大興奮。ドッサリ入ったクーラーを持って帰って自慢げに妻へみせた。料理法までとくとくと説明した。それから、週末のスーパーでは二人して地元の魚を買うようになった。
しかし、それらの値段はその釣りのときのえさ代、針代を考えると高い!
「ん、これは自分で釣らねば」と思った。実はそれは仕事以外にのめりこむための表の口実。本当はとにかく楽しかったからである。
それから、釣り三昧の日々が始まった。最初は週末だけであった。週末が近づくと寝ても覚めても釣りのことを考えている。時間があると本屋で釣りの本。釣り屋でしかけを見て回る。水族館へいって魚の生態を探る。--
徐々に、釣り熱はエスカレート。週末はついにテントで、まだ幼い長男とおなかの大きい妻を伴い、釣りへ出かけるようになった。長女が生まれても赤ん坊を連れて、レジャーは海と釣りと決まっていた。
釣りは早朝が勝負、おまけに週末の家族のケアも両立させる。その手だてはキャンプ。キャンプは学生のときからの得意技。
釣れるとまた釣りたくなる。釣れない時は、「次は釣ってやるぞ!」となり、無限に続く熱中の連鎖。ついに、週末だけではなく仕事の日々もやるようになった。
朝、夜明け狙いの朝釣り。朝、汐があがってくる日などはもう我慢できない。朝満づめ(アサマズメとその地では呼んでいる)。大学の講義のある日には8時半まで帰ってこなければならない。
3時起床。1時間車を飛ばし、釣り場へ。
<夜明けが近い!急がねば!> と50km制限を100kmで飛ばし、追い越し。あわや絶体絶命、正面衝突か!てな場面もあった。
2時間釣って、トンボ帰り。そしらぬ顔で講義をする。
「先生、随分日に焼けましたね。運動ですか?」なんて、同僚や学生に言われる。
「まーね、そんなもんだね」
食いついたときの引きで、魚の種類も大きさもだいたい分かるようになった。「キス」の連鎖つりでは、何匹かもわかるようになった。いよいよ挑戦は夏の「チヌ」。あまりにも暑いのと、最高の釣果は夜ということで、夜も釣りをするようになった。
電気浮き、夜のえさ。
釣れに釣れ、1時間で15匹のことも。これを「入れ食い」という。
この頃大学でも学生の間に知れ渡り、「釣り教授」と呼ばれるようになった。
私は<時間外で自分の趣味としてやっている、なんの問題もない>と心の中で居直りつつ、研究や教育への熱中ではないことに対する心の痛みもあった。
そこで、いっそのこと、<一緒にしてしまえ!>と思った。
集中合宿セミナーを釣り場に近い海辺で、行うことにした。
朝と夜は釣り、どうせ釣れない昼間は徹底勉強。経費節約のため、合宿は自炊。釣果はおかず。
うまく行けば全てが楽しみなる、釣りにのめり込んでいる後ろめたさも消える。
男子学生に、やはり釣りにはまっている奴もいるので、彼らに学生の釣り大会を組織させる。女子学生や男子学生の中に料理を得意とする奴もいるので、料理係。なんの芸もない学生はセミナーの準備と夜の宴会の準備、などと勝手に役割分担。大宴会つきの寝る暇のないセミナーとなった。
ヘロヘロ不眠合宿セミナーは毎年の恒例となった。そのセミナーの子達は今、その地で多くが小.中、高の先生になっている。その大学を去る時に、学生達は私に数万円もするカーボンロッドをくれた。私の釣り竿は、いつもバーゲンの安竿であるからと。落涙。
その時、私の移った大学は海も遠く、本当の教授になってしまったので時間もなく、そのカーボンロッドは一度も使うことなく今でもケースに入ったままである。ごめんなさい。釣りへの熱中はもはや遠い時代の思い出となってしまった。
しかし、そこでの「釣り」への熱中が私の人生を決定づけることとなった。「釣りと一期一会」、そのうちまた記そう。
北海道から突然、南へ。大学院の学生の時に結婚した妻も私も道産子。スーパーへ行っても魚がわからない!妻はなじみのある鮭の切り身を買ってしまう。高い、まずい。
赴任した大学で教職員「釣り大会」が行われた。釣れる!釣れる!それも魚屋に並んでいる魚!
「おお!これはなんという魚?どうやって料理するの?」
私は童心に帰り、大興奮。ドッサリ入ったクーラーを持って帰って自慢げに妻へみせた。料理法までとくとくと説明した。それから、週末のスーパーでは二人して地元の魚を買うようになった。
しかし、それらの値段はその釣りのときのえさ代、針代を考えると高い!
「ん、これは自分で釣らねば」と思った。実はそれは仕事以外にのめりこむための表の口実。本当はとにかく楽しかったからである。
それから、釣り三昧の日々が始まった。最初は週末だけであった。週末が近づくと寝ても覚めても釣りのことを考えている。時間があると本屋で釣りの本。釣り屋でしかけを見て回る。水族館へいって魚の生態を探る。--
徐々に、釣り熱はエスカレート。週末はついにテントで、まだ幼い長男とおなかの大きい妻を伴い、釣りへ出かけるようになった。長女が生まれても赤ん坊を連れて、レジャーは海と釣りと決まっていた。
釣りは早朝が勝負、おまけに週末の家族のケアも両立させる。その手だてはキャンプ。キャンプは学生のときからの得意技。
釣れるとまた釣りたくなる。釣れない時は、「次は釣ってやるぞ!」となり、無限に続く熱中の連鎖。ついに、週末だけではなく仕事の日々もやるようになった。
朝、夜明け狙いの朝釣り。朝、汐があがってくる日などはもう我慢できない。朝満づめ(アサマズメとその地では呼んでいる)。大学の講義のある日には8時半まで帰ってこなければならない。
3時起床。1時間車を飛ばし、釣り場へ。
<夜明けが近い!急がねば!> と50km制限を100kmで飛ばし、追い越し。あわや絶体絶命、正面衝突か!てな場面もあった。
2時間釣って、トンボ帰り。そしらぬ顔で講義をする。
「先生、随分日に焼けましたね。運動ですか?」なんて、同僚や学生に言われる。
「まーね、そんなもんだね」
食いついたときの引きで、魚の種類も大きさもだいたい分かるようになった。「キス」の連鎖つりでは、何匹かもわかるようになった。いよいよ挑戦は夏の「チヌ」。あまりにも暑いのと、最高の釣果は夜ということで、夜も釣りをするようになった。
電気浮き、夜のえさ。
釣れに釣れ、1時間で15匹のことも。これを「入れ食い」という。
この頃大学でも学生の間に知れ渡り、「釣り教授」と呼ばれるようになった。
私は<時間外で自分の趣味としてやっている、なんの問題もない>と心の中で居直りつつ、研究や教育への熱中ではないことに対する心の痛みもあった。
そこで、いっそのこと、<一緒にしてしまえ!>と思った。
集中合宿セミナーを釣り場に近い海辺で、行うことにした。
朝と夜は釣り、どうせ釣れない昼間は徹底勉強。経費節約のため、合宿は自炊。釣果はおかず。
うまく行けば全てが楽しみなる、釣りにのめり込んでいる後ろめたさも消える。
男子学生に、やはり釣りにはまっている奴もいるので、彼らに学生の釣り大会を組織させる。女子学生や男子学生の中に料理を得意とする奴もいるので、料理係。なんの芸もない学生はセミナーの準備と夜の宴会の準備、などと勝手に役割分担。大宴会つきの寝る暇のないセミナーとなった。
ヘロヘロ不眠合宿セミナーは毎年の恒例となった。そのセミナーの子達は今、その地で多くが小.中、高の先生になっている。その大学を去る時に、学生達は私に数万円もするカーボンロッドをくれた。私の釣り竿は、いつもバーゲンの安竿であるからと。落涙。
その時、私の移った大学は海も遠く、本当の教授になってしまったので時間もなく、そのカーボンロッドは一度も使うことなく今でもケースに入ったままである。ごめんなさい。釣りへの熱中はもはや遠い時代の思い出となってしまった。
しかし、そこでの「釣り」への熱中が私の人生を決定づけることとなった。「釣りと一期一会」、そのうちまた記そう。