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「言ってはいけない(橘玲)」という本はとてもオススメ!

2017年02月03日 01時00分00秒 | 
「言ってはいけない」の購入はコチラ

 「言ってはいけない」という本は、以下のタブーと思われること等の本質や残酷すぎる真実に迫ったもので、どれもとても衝撃的な内容で、しかしながら今まで疑問に思っていたことの解決にもつながり、とても興味深い内容となっています♪

・アルコール中毒・精神病・犯罪は遺伝する
・ユダヤ人だけで極めて知能が高いのはアシュケナージ系だけ
・アジア系は白人よりIQが高い
・夫婦間での殺しの大半は夫の嫉妬が原因
・ヒトのオスのレイプも進化の適応で、メス側もそれへの対抗策を進化させている
・子供への虐待は血縁関係になく子供が幼いほど起きやすい
・兄弟は齢を重ねるにつれて疎遠になる
・心拍数の低さと反社会的・攻撃な行動を相関する
・イギリスでは2000年に「危険で重篤な人格障害(DSPD)」に対する法律が制定され、危険だと考えられる人物はなんら犯罪を犯していなかったとしても警官が逮捕し、検査と治療のためと称して施設に送ることができるようになっている
・血中の鉛レベルが高い子供は非行スコアが高い
・胎児の脳に悪影響を与える重金属には、鉛以外にもカドミウム、マンガン、水銀などあるが、それよりも問題が大きいのは妊婦の喫煙と飲酒
・卒業写真であまり笑っていなかった人の離婚率は満面の笑みの卒業生の5倍にのぼる
・知性は会話を聞かなくても、外見から推測できる
・面長の顔と幅の広い顔を見せられたとき、幅の広い顔が攻撃的と判断される
・アメリカの裁判例では、童顔の顔の男性にカネをだまし取られたと訴えたとして多くの場合、敗訴する
・あらゆる社会に共通する女性の美の基準は顔の対称性と肌のなめらかさで、女性の体型で重要なのはウエストのくびれ
・女性の美貌格差の総額は生涯で3600万円
・経営者の顔と会社の業績には相関があり、テストステロン値の高いリーダーが成功する可能性が高い
・平均で男性の10%は他人の子供を育てていて、最低所得層はその率が30%に跳ね上がる
・女性の高学歴化が低学歴の女性の性戦略を極めて困難化
・ヒトの本性は一夫一妻や一夫多妻ではなく乱婚
・人類本来の狩猟生活での乱婚社会においては男たちは集団内で女を巡って暴力的に争うのではなく膣内で「精子競争」していて、この婚姻形態は集団の平和を保つのにうまく機能
・男女のオルガスムの時間の対照さは乱婚説で説明が可能で、それは進化の適応
・がんは、食事や生活習慣に配慮することで予防は可能
・家庭が子どもの性格や社会的態度、性役割に与える影響は実は皆無
・授乳期を終えた子供は、親の世話がなくても生きていけるようあらかじめプログラムされていて、従来の狩猟生活では集団の兄弟やいとこなどが補う
・子ども集団のルールは家庭でのしつけより上回る
・親による子育ては子どもの人格形成にほとんど影響を与えない
・子どもの知的能力を伸ばすなら、良い成績を取ることがいじめの理由にならない学校(友達集団)を選ぶべき

 特に、現代人の遺伝子は旧石器時代の人類とほとんど変わらないのだから、我々人類は遺伝的に200万年以上続いた旧石器時代の環境に最適化されていると考えることによって、さまざまな人類の事象について解明できるのだと思います。

 本書は、エビデンスが巻末の文献一覧にあることから裏付けを確認することができますし、今後のより良い社会のためのヒントにつながる良書だと思います♪

 「言ってはいけない」という本は、人類の本質や真実について理解を深めることができ、とてもオススメですね!

以下はこの本のポイント等です!

・病気には身体的な疾患のほかにこころの病(精神疾患)もある。では、次のような文をあなたはどう感じるだろうか。
①アルコール中毒は遺伝する
②精神病は遺伝する
③犯罪は遺伝する
ここでは①から③に向かって社会的タブーが強くなるよう並べてある。③にいたっては、一般にはまず見かけることのない主張だ。だが犯罪と遺伝の関係は、精神医学の専門書では頻繁に言及されている。依存症(アルコール中毒)、統合失調症(精神病)、反社会性パーソナリティ障害(犯罪)に遺伝がどう関わるのかも、行動遺伝学者によって1960年代から研究されてきた。そこでは、精神疾患(ひとのこころのネガティブな側面)にも遺伝が強く影響していることが繰り返し確認されている。

・ここで、なぜこんな不愉快な研究をするのか疑問に思う人がいるかもしれない。だが、次のように考えてみたらどうだろう。依存症から身を守るもっとも効果的な方法は、アルコールやドラッグなどの薬物に手を出さないことだ。依存症が遺伝なら、子供には自分の遺伝的脆弱性(
アルコール中毒になりやすい)をあらかじめ知識として教えることができる。アルコール中毒者は酒に対する適性がきわめて高く、最初のうちは飲めば飲むほど気持ちよくなっていく。だが「このくらいなら大丈夫」と大酒を繰り返すうちに一線を越え、やがてはベッドから起き上がるためだけに大量のアルコールが必要になって、最後は廃人と化してしまうというのが典型的なパターンだ。大学生になれば酒を勧められる機会も増えるだろうが、そのとき正しい知識があれば、「自分には遺伝的に大きなリスクがある」と説明してきっぱり断ることもできる。あるいは依存症と遺伝の関係が社会に周知されていれば、遺伝的脆弱性のある友人や部下に無理に酒を飲ませようとはしないだろう。薬物に接触しなければ依存症になることはないのだから、そのような環境を社会がつくってあげればいいのだ。

・さまざまな研究を総合して推計された統合失調症の遺伝率は双極性障害(躁うつ病)と並んできわめて高く、80%を超えている(統合失調症が82%、双極性障害が83%)。遺伝率80%というのは「8割の子供が病気にかかる」ということではないが、身長の遺伝率が66%、体重の遺伝率が74%であることを考えれば、どのような数字かある程度イメージできるだろう。背の高い親から長身の子どもが生まれるよりずっと高い確率で、親が統合失調症なら子どもも同じ病気を発症すのだ。私たちはこの「科学的知見」をどのように受け止めればいいのだろう。私のいいたいことはきわめてシンプルだ。精神病のリスクを持つ夫婦がこの事実を知ったとき、彼らは出産をあきらめるかもしれないし、それでも子どもがほしいと思うかもしれない。2人(と子ども)の人生は自分たちでつくりあげるものだから、どちらの選択が正しいということはできない。だがその決断は、願望ではなく正しい知識に基づいてなされるべきだ。あるいは、精神病と遺伝との関係が社会に周知されていれば、父母や兄弟、友人たちはそのリスクを知ったうえで、2人を援助したり、助言したりできるかもしれない。そのほうが、インターネットの匿名掲示板を頼りに、人生の大切な決断をするよりずっとマシではないだろうか。

・研究者は、教師などから「矯正不可能」と評された極めて高い反社会性を持つ子どもだけを抽出してみた。その結果は、衝撃的なものだった。犯罪心理学でサイコパスに分類されるような子どもの場合、その遺伝率は81%で、環境の影響は2割弱しかなかった。しかもその環境は、子育てではなく友達関係のような「非共有環境」の影響とされた。この結果が正しいとすれば、子どもの極端な異常行動に対して親ができることはほとんどない。親の「責任」とは、たまたまその遺伝子を自分が持っており、それを子どもに伝えたということだけだ。

・犯罪における遺伝と環境の影響を知るには、養子に出された犯罪者の子どもがどのような人生を歩んだかを調べてみるのも有益だ。もちろんこうした研究も行われていて、約1万5千人の養子(男の子)を対象としたデンマークの大規模な調査が有名だ。この調査では、実の親も養親もともに犯罪歴がない場合、有罪判決を受けた息子の割合は13.5%だった。養親に犯罪歴があり、実の親にない(遺伝的な影響がない)場合、この割合は14.7%にしか上がらない。しかし養親に犯罪歴がなく、実の親が有罪判決を受けたことのある(遺伝的な影響がある)ケースでは、息子が犯罪を犯す割合は20%に跳ね上がったのだ。そればかりかこの調査では、有罪判決を受けた子どもの割合は、実の親の犯罪件数に比例して高くなっている。常習的な犯罪者の息子は全サンプルの1%にすぎないが、有罪記録の20%に関わっていたのだ。

・イスラエルにおけるIQ検査などからわかったのは、極めて知能が高いのはアシュケナージ系のユダヤ人だけで、かつてスペインに住んでいたセファルディーや、中東や北アフリカで暮らしていたミズラヒムなど、それ以外のユダヤ人の知能は平均と変わらない。このことから、問うべきは「アシュケナージ系ユダヤ人だけがなぜ高い知能を持つようになったのか」だと、コクランとハーペンディングはいう。彼らのIQは平均して112~115くらいで、ヨーロッパの平均(100)より1標準偏差近く高いのだ(平均的な偏差値を50とすると、アシュケナージ系は偏差値60に相当する)。アシュケナージは「ドイツの」という意味で、ライン川沿いのユダヤ人コミュニティを発祥とし、その後ポーランドやロシアなど東欧諸国に移り住んでいった。オスマン帝国のようなイスラム圏で暮らしていたユダヤ人に比べて、アシュケナージには際だった特徴があった。ヨーロッパにおける激しいユダヤ人差別によって人口の増加が抑えられていたことと、こうした条件にユダヤ教独特の他民族との婚姻の禁忌が加わると、数十世代のうちに知能に関する遺伝的な変異が起きてもおかしくはないとコクランとハーペンディングは述べる。彼らの仮説は次のようなものだ。イヌは哺乳類の中でももっとも多様性に富むが、もともとはオオカミをヒトが飼いならし、18世紀以降の品種改良によってわずか数百年でセントバーナードからチワワまでさまざまな犬種がつくりだされた。ある特殊な条件の下では、こうした極端な淘汰が起こりうる。金融以外に生きていく術がないとしたら、数学的知能(計算能力)に秀でていたほうが有利だから、ヨーロッパのユダヤ人の富裕層は平均よりほんの少し知能が高かっただろう。ユダヤ人はもともと多産で、中世は少子化とは無縁だったから、裕福なユダヤ人は飢饉のときにも生き延び、平均より多くの子を産んだはずだ。虐殺や追放によってヨーロッパののユダヤ人の人口増加は抑えられていたが、だからといって絶滅に向かうのではなく、多産によって1世代か2世代で人口は回復した。こうしたときも、知能の高いユダヤ人は追放先で真っ先に経済的に成功し、大家族をつくるのに有利だったはずだ。DNA分析では、今日のアシュケナージ系ユダヤ人は祖先である中東人の遺伝子をいまでに50%近く保有している。これは過去2000年間における混血率が1世代あたり1%未満であったことを示しており、ここまで同族婚が極端だと、有利な遺伝的変異は散逸することなく集団内に蓄積される。仮に富裕なユダヤ人が平均より1ポイントだけ知能が高く、平均的な親たちよりも多くの子どもを残したとすると、IQの遺伝率を30%と控えめに見積もっても、40世代すなわち1000年後のIQは12ポイント(およそ1標準偏差)増加する。それに対してイスラム圏に住むユダヤ人は人口も多く、手工業のほかに皮なめし職人、肉屋、絞首刑執行人などの職につき、金融業に特化することはなかった。これが、彼らのIQが平均と変わらない理由だ。アシュケナージ系の高い知能は、ヨーロッパにおける厳しいユダヤ人差別から生まれたのだ。アシュケナージはテイ-サックス病、ゴーシェ病、家族性自律神経障害、2つの異なる型の遺伝性乳がん(BRCA1とBRCA2)といった、まれで重篤な遺伝病を持つ率が高いことが知られている(アシュケナージ系ユダヤ人のこうした疾患の有病率は他のヨーロッパ人に比べて100倍も高い)。変異遺伝子のなかには、2つ持つと病気が発症するが、1つだけなら有用な効果があるものがある。有名なのがアフリカで見られる鎌状赤血球貧血で、2つの変異遺伝子で重篤な貧血になるが、1つだけだとマラリアへの抵抗力が増す。同様にユダヤ人も、差別的環境への適応として知能を高める変異遺伝子を持つよう”進化”したが、その代償としてさまざまな遺伝病を抱えることになったのではないか、というのがコクランとハーペンディングの仮説だ。

・白人と黒人のIQの差を計測したアーサー・ジェンセンは、同時にアジア系アメリカ人のIQが白人よりも高いことを指摘していた。このことはPISA(国際学力調査)を見ても明らかだ。2012年の国際比較だが、数学的リテラシー、読解力、科学的リテラシーのすべてで上海、香港、シンガポールが上位3つを独占し、それに台湾、韓国、日本が続く。東アジア系の国々に割って入るのはフィンランドなど北欧の国だけだ。こうした傾向は従来、家庭での教育を重視する儒教的文化の影響後されてきたが、IQの高い遺伝率と、子どもの人格形成に子育てはほとんど関係ないという行動遺伝学の知見から考えると、この「文化決定論」が正しいとはいい難い。古代人の骨のDNA解析は、日本人の祖先(弥生人)が中国南部(揚子江流域)から朝鮮半島南部を経て北九州に渡ってきたことを明らかにしつつある。外見からもわかるように、華人と韓国人、日本人は同じ遺伝子を共有している。だとしたら、それが知能と関係しているのだろうか。ひとつの仮説は、セロトニントランスポーター遺伝子の分布だ。「幸福のホルモン」と呼ばれるセロトニンは、脳内の濃度(セロトニンレベル)が高いと楽天的になり、レベルが下がると神経質で不安を感じやすくなるとされる。このセロトニンを運搬するトランスポーター遺伝子には、伝達能力が高いL型と伝達能力が低いS型があり、その組み合わせでLL型、SL型、SS型の3つが決まる。この分布は大きな地域差があり、日本人の場合、約7割がSS型で、LL型は2%と世界でもっとも少ない。これが、日本人にうつ病や自殺が多い遺伝的な理由だとされている。IQで測る「知能」とPISAの「学力(テストの点数)」は同じではない。S型遺伝子が知能と無関係でも、勤勉と結びつくことは十分に考えられる。不安感が強いひとは将来のことを心配して、いまから備えておこうとするだろう。逆に過度に楽天的だと、先のことを考えるより今を楽しもうとするかもしれない。こうした遺伝的傾向が東アジアの国々に共通するのなら、国際比較で試験の成績が高いことも説明できそうだ。不安感と引き換えに高い知能を手に入れたというように。そしてこのことが、東アジアの国々で封建的な政治・社会制度が発達し、厳しい規律の組織が好まれる理由とも考えられる。儒教はSS型の遺伝子型に適した思想だったからこそ、東アジア全域に広まったのだ。

・子どもとの血縁を確認する方法を持たない男性にとって、もっとも大きな進化的損失は、他人の子どもをそうとは知らずに育てさせられることだ。嫉妬という強い感情はここから生まれ、あらゆる社会で妻の姦通が厳しく罰せられるようになった(その反面、多くの社会で夫の不倫は不問に付される)。夫婦間での殺しの大半は夫の嫉妬が原因だ。妻ももちろん嫉妬することはあるが、それを理由に夫を殺すことはほとんどない。妻が夫を殺すのは正当防衛か、父親の虐待から子どもを守るのが理由だ。これももちろん現代社会だけのことではなく、インド、ウガンダ、コンゴなどさまざまな伝統的社会で嫉妬から夫が妻を殺しており、男同士の殺人でも女性をめぐる争いが原因のことが多い。人類学者マーガレット・ミードが「嫉妬も暴力もない楽園」として描いたサモアでも、現実には姦通に対する夫の暴力の頻度が高いことがわかっている。
カナダの犯罪記録によれば、夫婦間の殺人には以下のような顕著な特徴がある。
①殺されるのは高齢の妻ではなく若い妻で、とりわけ夫が20歳未満の妻を殺す事件が顕著に多い(ここでは婚姻関係にある妻と内縁の妻、同棲相手を区別しない)。
②年齢差のあまりない夫婦に比べて、年齢差の大きい夫婦での夫の妻殺しが際立って多い
③法的婚姻関係にある夫婦に比べて、内縁関係にある男女の殺人が際立って高い。
④内縁関係にある夫婦では、40代から50代の女性が被害者になる割合が高い。
こうしたデータで興味深いのは、一家皆殺しは男しか起こさないことだ。典型的なのは妻と子ども(継子のことが多い)を殺した後に自殺するケースだが、女性はこうした行動をほとんどとらない。妻が夫を(正当防衛などで)殺すことはあっても、子ども(ほとんどが実子だろう)を手にかけることはない。あるいは、やむをえない事情で子どもを殺さざるを得なくなり、自らも死を選ぶとしても、夫まで一緒に殺そうとは思わないのだ。

・男性(ヒトのオス)は思春期になると、女性をめぐる厳しい競争に身を投じることになる。だがこの競争はフェアプレイで行われるわけではない。自然は道徳的なものではなく、さまざまな戦略をとる個体のうち、後世により多くの子孫を残した遺伝子が生き残っていくだけだからだ。そう考えれば、オランウータンの小型のオスと同様に、ヒトのオスのレイプも進化の適応である可能性は否定できない。女性獲得競争で不利な要素があるとして、それですぐにあきらめてしまうような遺伝的プログラムは、性淘汰の中でとっくの昔に消えてしまったはずなのだ。ところで、男の側がレイプを進化させてきたとすれば、女の側でもそれへの対抗策を進化させてきたはずだ。ソーンヒルとパーマーは、レイプされた女性がオルガスムを感じないことがひとつの対抗策ではないかと述べている。女性がオルガスムを得るとオキシトシンという性ホルモンが分泌され、これによって子宮が収縮し、スポイトのようにより多くの精子を吸い上げる。レイプではこの効果がないため、妊娠しにくいのではないかという。レイプされた女性は、当然のことながら大きな精神的ショックを受けるが、これも進化論的な適応の可能性がある。女性がレイプされると、利害関係を持男性(とりわけ夫)の怒りは、レイプ犯はもちろんのことながら、被害者である女性にも向けられる。じつはレイプを装っているだけで、合意のうえでのセックスではないかと疑うのだ。その結果、夫からの資源の提供を打ち切られると、レイプ被害者は生きていけなくなってしまう。そのように考えれば、レイプによって激しく傷ついた姿を見せることで夫の嫉妬や疑いをかわすように進化したとしても不思議はない。そしてこの仮説は、被害者に対する暴力の程度と心理的な苦痛に負の相関があることで補強される。暴力的に関係を迫られた証拠が身体に残っているほうが、レイプされた女性の精神的苦痛が少ないことがわかっているが、これは一方的なレイプだった(合意のうえでのセックスではない)ことを夫に信じてもらいやすくなるからだろう。ソーンヒルとパーマーはここからさらに進んで、レイプ犯の子どもを産むことが女性にとって進化の適応である可能性すら指摘する。性淘汰の目的が後世により多くの遺伝子を残すことであれば、フェアプレイで競争する個体よりも巧みにレイプする個体のほうが有利かもしれないのだ-ここまで読んでほとんどの人は不快な気分になっただろうが、これが進化心理学の典型的な考え方だ。

・両親ともに子どもと血のつながりがある(遺伝子を共有している)ケースでは、子どもの年齢に関わらず虐待数はほぼ一定だ。それに対して両親の一方が血縁関係になりケースでは、児童虐待の総数が多いのはもとより、子どもが幼いほど虐待の被害にあっていることが明白だ。この事実は、「生まれたばかりの赤ん坊は養育コストが投じられていない分だけ、(無意識のうちに)利害得失を計算してあきらめやすい」という進化心理学の仮説と整合的だ。逆にいうと、子どもが成長するにつれて養育の累積コストも大きくなり、母親はより強く子どもを守ろうとするだろう。このことは図を見るとよくわかる。これはカナダの犯罪記録をもとに、実の親と義理の親で子どもが殺される危険性を年齢別に推計したものだ。当然のことながら、実の親は子供をほとんど殺さない。一方、義理の親による子殺しは子どもが2歳までのときに集中し、6歳以降は大きく下がる。これは、子どもと血縁関係にない男性と暮らすようになった母親が、虐待には見て見ぬふりをしても、成長した子どもを殺すことには激しく抵抗するためだと考えられる。誤解のないように述べておくと、これはあくまでも「義理の父親と母親の連れ子」のケースで、養子のいる家庭とは関係ない。欧米の子どものいない夫婦や子育ての終わった家庭で養子を受け入れることが珍しくないが、養親は一般に裕福なことが多く、養子がうまく馴染めない場合は仲介者に戻すこともできるため、虐待などの事件はきわめて少ない。またこれらのデータを見ればわかるように、カナダにおいて血のつながらない2歳以下の子どもを殺した男(義理の父親)は1万人あたり6人、4歳以下の子どもを虐待したのも100人あたり1人強だ。妻の連れ子と暮らす男性はたくさんいるだろうが、そのほとんどが暴力とは無縁の家庭を営んでいることも強調しておきたい。

・嫉妬にかられた夫が妻を殺したり、暴力に耐えかねた妻が夫を殺すというのはよくある事件だが、実子や実の親を殺すのは例外的な出来事で、兄弟間の殺人もほとんど起きない。ただし親子と兄弟では愛情が異なるようだ。イギリスの経済学者ニック・ポータヴィーは、さまざまな「幸福」を金銭に換算している。それによると、家族と死別したときの悲しみを埋め合わせる賠償額は、配偶者が5000万円、子どもが2000万円に対し、兄弟はわずか16万円で友人(130万円)よりも少ない。幼いころは親しかった兄弟も、齢を重ねるにつれて疎遠になっていく。絆の価値がたった16万円なら、相続が「争続」になるのも無理はない。

・心拍数の低さと反社会的、攻撃的な行動はなぜ相関するのだろうか。これについてはいくつかの説明が提示されている。ひとつは恐怖心のなさ。「安静時」とはいえ、被験者の子どもは不慣れな環境で、見知らぬ大人の監督のもと、電極をとりつけられて心拍数を計測されるのだから、軽いストレスを受けている。そのような状況では、臆病で不安を感じやすい子どもの心拍数は上がるだろう。心拍数の低さは、恐れの欠如を反映しているのだ。このことは、爆発物解体の専門家の心拍数がとりわけ低いという事実とも合致する。彼らは一般の人より恐怖を感じる度合いが低く、それを有効に使って社会に貢献しているのだ。2つ目の説明は、心拍数の低い子どもは高い子どもよりも共感力が低いというもの。共感力を欠く子どもは他人の立場に身を置くことができず、いじめられたり殴られたりするとどんな気分になるか想像できない。同様に、共感力の低い成人は他人の感情に無関心で、反社会的・攻撃的になりやすいのかもしれない。3つ目の説明は刺激の追求だ。覚醒度の低さが不快な生理的状況をもたらし、それを最適なレベルに上げるために刺激を求めて反社会的行動に走る。この仮説では、人にはそれぞれ快適かつ最適な覚醒度があると考える。心拍数が低いと容易にその覚醒度に到達できず、誰かを殴る、万引きする、麻薬に手を染める、などの方法で刺激を高めようとするのだ。もちろん、こうしたとってつけたような説明を胡散臭く感じる人もいるはずだ。だが「心拍数で将来の犯罪を予測できる」という仮説が、大規模な実証実験によって証明されているとしたらどうだろう。

・心拍数の低い子どもは刺激を求めて反社会的な行動に走ることが多い。覚醒度の低さが生理的に不快で、覚醒剤のような麻薬に手を染めるのかもしれない。だがもしその子どもが知能や才能に恵まれていれば、社会的・経済的にとてつもない成功を手にするかもしれない。そもそもベンチャー企業の立ち上げなど、恐れを知らない人間にしかできないのだ。

・モーリシャスの大規模実験では、3歳児が不快な刺激にどのように反応するかが、皮膚コンダクタンス(きわめて微弱な電流を流したときの発汗量)によって計測された。ヘッドフォンを通してまず低音が与えられてから10秒後に不快な騒音が流される。これを数回繰り返しただけで、パブロフの犬同様、3歳児は低音が流されると同時に発汗するようになる。この実験から20年がたち、被験者が23歳になったとき、研究者たちは島内のすべての裁判記録から、どの子どもが成人後に犯罪者になったかを調査した。1795人の被験者のうち137人が有罪判決を受けていたが、彼らは(犯罪と無関係の)正常対照群に比べて、3歳時点の恐怖条件で際立って違いがあった。一般の子どもは、不愉快な音を予告する低音を聞くと、発汗量が増加する。ところが将来犯罪者になる被験者には、この反応がまったく見られなかったのだ。この発見は、幼少期における自立神経系の恐怖条件づけ機能の障害が、成人犯罪を導く因子として作用し得ることを示唆している。「発汗しない子ども」は、親がどれほど厳しくしつけても、良心を学習することができないのだ。

・ストレスに対する皮膚コンダクタンス反応では、刑務所に収監されている「愚かなサイコパス」は理論が予想する通り、発汗のない低い値しか示さなかった(良心を学習する能力がなかった)。だが社会に潜む「賢いサイコパス」は正常対照群と同様に、ストレスによって発汗量が上昇した。すなわち彼らは、ふつうの人と同じ自立神経系の素早い反応を持っていた。次にレインは、計画、注意、認知の柔軟性など「実行機能」を測定してみた。これは企業経営者として成功するために必須の能力で、「愚かなサイコパス」は正常対照群に比べてこの能力が著しく劣っていた。だが「賢いサイコパス」は、「愚かなサイコパス」はもちろん、一般の人を上回る高い実行能力を持っていたのだ。「賢いサイコパス」は、恐怖条件で良心を学習することもできたはずだし、企業経営者にも劣らない高い能力も持っていた。ではなぜ、彼らは犯罪の道を選んだのだろうか。これについてレインは2点指摘している。ひとつは、「賢いサイコパス」には養子に出されたり、孤児院などの施設で育てられたケースが多かったこと。実の両親との結びつきが弱かったために、親密な社会関係を形成する機会を逃したと考えられる。そしてもうひとつの明確な要因が心拍数の低さだ。「賢いサイコパス」の安静時心拍数は、「愚かなサイコパス」と同様に明らかに低かった。だが大きな違いは、ストレスを与えられると正常対照群と同じ値まで一気に心拍数が上がることだ。この刺激が快感になるなら、「賢いサイコパス」は心拍数を急上昇させるような体験を何度も求めるだろう。もちろんここで述べたことはすべて仮説の域を出ず、研究も緒についたばかりだ。心拍数のような単純な生理現象が犯罪を生むというのは衝撃的だが、しかし考えてみれば、すべての感覚的・生理的刺激は脳で処理されるのだから、そこから固有の性格や嗜好が生じたとしても不思議はないのかもしれない。

・ワラにもすがりたい思いの両親は、少年院を出たダニーを「脳を変える」というあやしげな診療所に連れて行った。最初の検査では、前頭前皮質に過度に遅い脳波の活動が検出された。これは覚醒度の低さの典型的な徴候だ。診療所はダニーに電極が装着された帽子をかぶせ、パックマンなどのビデオゲームをやらせた。これで集中力を維持し、覚醒度の低い未熟な皮質を鍛錬するというのだ。ほとんどの人はこれをバカバカしいと思うに違いない。札付きの不良がパックマンをやったからといって、いったい何が変わるというのか。だが、その効果は劇的なものだった。1年間のセッションで、ダニーは通信簿にFが並ぶ非行少年からオールAの優秀な生徒に変貌したのだ。治療が完了したあと、ダニーは次のように過去の自分を述懐している。「学校はまったくおもしろくなかったけど、犯罪には本当に興奮した。とにかく、警官を出し抜いて派手に暴れ回りたかった。それがイカすことだと思ってたんだ」犯罪と心拍数の関係でわかるように。脳は家庭や学校のような外的な環境よりもむしろ体内の生理的な刺激から強い影響を受ける。覚醒度の低い子どもは無意識のうちにより強い刺激を求め、それが犯罪を誘発するのだ。

・イギリスでは刑務所から釈放された犯罪者の再犯が問題になり、2003年に「社会防衛のための拘禁刑(IPP)」プログラムが発足した。これは、以前なら終身刑にならない被告を再犯の危険度によって無期懲役にする制度で、2010年までに5828人がIPP終身刑を宣告され、そのうち2500人は本来の犯罪の刑期を務め終えているものの釈放されたのは94人と4%に過ぎない。このプログラムによって、妥当な年数をはるかに超えて刑務所に収監される人は膨大な数にのぼるだろう。さらにイギリスでは2000年に、精神科医たちの異議を無視して「危険で重篤な人格障害(DSPD)」に対する法律が制定され、その法のもとで危険だと考えられる人物をたとえなんら犯罪を犯していなかったとしても、警官が逮捕し、検査と治療のためと称して施設に送ることができるようになってもいる。このように、現在でも「人権」を侵害した犯罪者予備軍の隔離は公然と行われている。なぜなら、「安全」に対する先進国の市民の要求が極めて厳しくなっているからだ。犯罪者の人権を尊重する(犯罪に甘い)政治家は、真っ先に選挙で落とされる。イギリスのDSPD法も、IPPも、トニー・ブレア率いる「リベラル」な労働党政権によって制定されているのだ。

・犯罪学者の調査によると、血中の鉛レベルが高い少年は、教師の評価でも自己評価でも非行スコアが高い。また胎児期、および出生後に鉛レベルが高かった子どもは、20代前半になると犯罪や暴力を起こしやすくなる(ある研究によると、胎児期における血中の鉛濃度が5マイクログラム増えるごとに、逮捕の可能性は40%上昇した)。アメリカでは、環境中の鉛レベルは1950年代から70年代にかけて上昇し、70年代後半から80年代前半に規制強化によって大きく改善した。その鉛レベルの推移と、23年後の犯罪発生率との間には極めて強い相関関係がある。母親の胎内で鉛に暴露した胎児や、鉛で汚染された母乳で育てられた乳児は成人して犯罪者になる可能性が高いのだ。同様の関係はイギリス、カナダ、フランス、オーストラリア、フィンランド、イタリア、西ドイツ、ニュージーランドで見出されており、世界、国、州、都市いずれの単位でも鉛レベルと成人後の犯罪件数を示すグラフの曲線はほぼ正確に一致している。

・胎児の脳に悪影響を与える重金属には、鉛以外にもカドミウム、マンガン、水銀などさまざまなものがある。だがそれよりも問題が大きいのは妊婦の喫煙と飲酒だ。現在では、妊娠中の喫煙は胎児の脳の発達に悪影響を及ぼすばかりでなく、高い攻撃性や行為障害を引き起こすことが知られている。デンマークの男性4169人を対象に行われた研究では、1日に20本の煙草を吸う母親の子どもは、成人後に暴力犯罪に至る割合が倍増した。フィンランド人5966人を対象にした研究でも、煙草を吸う母親の息子は、行為障害を持つ可能性が4倍になった。この研究結果を見て、因果関係が逆ではないかと思った人もいるだろう。喫煙が胎児に悪影響を与えるのではなく、妊娠中に喫煙するような母親だからこそ、遺伝的な影響もしくは幼児虐待によって、子どもが反社会的行動をとるようになるのだ。-実際、妊娠中に煙草を吸った母親の子どもの実に72%が身体的、性的な虐待を受けているという研究もある。ダメな母親だからこそ、妊娠中に煙草も吸うし、子どももダメになるのだ。ただし最近では、こうした第三の要因(疑似相関)は広く知られていて、それを統計的にコントロールしていない研究は学術誌に掲載できない。ここで紹介した喫煙と犯罪の関係も、両親の犯罪歴や社会的地位の低さ、母親の教育レベルの低さや家庭環境など、考えられる限りの要因を調整したあとの結果なのだ。

・喫煙には、一酸化炭素とニコチンという2種類の神経毒性がある。喫煙は子宮の血流を減少させ、胎児への酸素と栄養の供給を減らし、低酸素症を引き起こして脳に障害を与える。喫煙の影響を受けた胎児は頭囲が小さくなり、脳の発達が損なわれ、選択的注意や記憶などさまざまな側面で障害を起こし、計算と綴りの能力が低くなる。また胎児期のニコチンへの暴露はノルアドレナリン系への発達を阻害し、交感神経系の活動を損なう。その結果、自律神経の機能が低下し、安静時心拍数が低くなり、覚醒度の低い、常に刺激を求める子どもが生まれる可能性も指摘されている。

・妊娠中に母親がアルコールを大量摂取すると、胎児性アルコール症候群と呼ばれる障害が引き起こされる。その特徴は頭蓋顔面の異常で、顔の中央部は比較的平らで、上唇は極めて薄く、両目の間隔が大きく離れているケースが多い。アルコールは、胎児の脳の機能そのものにも重大な影響を与える。アルコールに暴露された脳は組織が広範に萎縮し、とりわけ脳の2つの半球を連結する脳梁の機能が失われる。ニューロンの損失も顕著で、構造的・機能的障害によって学習能力や実行機能が大きく低下する。アルコールの胎児への影響は極めて深刻で、アフリカ系アメリカ人の母親を対象にした研究では、妊娠期間中、週にたった1杯のアルコール飲料を摂取しただけで子どもが攻撃的になったり、非行に走ったりする確率が上昇した。また出生後の栄養不良、とりわけ亜鉛、鉄、タンパク質の不足が脳の発達を阻害し、認知能力(IQ)を低下させて反社会的行動を導くこともわかっている。

・アメリカの心理学者マシュー・ハーテンステインは、卒業アルバム写真を何百枚も集めて笑顔の度合いを点数化し、後年の結婚生活を予測した研究で一躍有名になった。ハーテンステインによれば、男女ともに卒業写真であまり笑っていなかった人の離婚率は、満面の笑みの卒業生の5倍にのぼるのだ。

・知性は会話を聞かなくても、外見から推測できることがわかった。研究者は知性を表す手がかりとして、視線と美しい顔立ちを挙げている。話しているときに相手の目を見る人は、知的な印象を与えるばかりか、実際に知能が高い。「美しい顔立ち」というのはいわゆる美男美女のことではなく、”美しさのレベルが半分以下の顔”の場合とされているから、「端正な顔立ち」とか、「整った顔立ち」というほうが正確かもしれない。俳優のようにあまりにも美しいと、人はそれを知性とは感じない。よどみなく話しているときは表情も整って見えるだろうから、平均的な容貌で、全体のバランスがよく好感が持てると、人はそれを知性に結びつけるのだ。

・私たちは、面長の顔と幅の広い顔を見せられたとき、後者を攻撃的と判断する。そしてこの直感は、男性に関してはかなり正確だとわかっている(女性については、面長と幅広で攻撃性に差はない)。なぜこのようなことが起こるのだろうか。研究者は、男性の顔の幅はテストステロンの濃度に関係しているのではんかと考えている。テストステロンは代表的な男性ホルモンで、この数値が高いほど競争を好み、野心的・冒険的で、攻撃的な性格になる(当然、性欲にも強く関係している)。テストステロンの濃度の違いは遺伝的な要因もあるが、それよりも胎児のときの子宮内の環境から大きな影響を受けている。胎児は子宮の中でさまざまなホルモンに曝されていて、その影響は脳だけでなく身体的な特徴としても現れるのだ。広く知られているのは人差し指と薬指の比率で、女性はその長さがほぼ同じだが、男性では薬指が長いことが多い。人差し指と薬指の長さの違いは、テストステロン値が高いほど大きくなる。同様の特徴が、顔の長さと幅の比率についても観察されている。テストステロンの濃度が高い男性ほど顔の幅が広くなり、攻撃的な性格が強くなるのだ。-誤解のないようにいっておくと、これはあくまで「平均的な男性」のことえ、幅広の顔の男性がすべて暴力的だというわけではない。

・アメリカの裁判の判決と被告の容貌を比較した研究では、童顔の男性にカネを騙し取られたと訴えたとしても、多くの場合、敗訴することがわかっている。300の裁判を調べた研究では、被告が無実を訴えても、大人びた顔の被告の92%に有罪判決が下りたが、童顔の被告が有罪となったのは半分以下の45%だった。裁判に提出された証拠や、被告の顔が美形かどうかや年齢を考慮に入れてもこの結果は変わらなかった。

・ハマーメッシュは、美しさの基準は時代や文化によって異なるものの、そこにはある種の普遍性があるという。あらゆる社会に共通する美の基準は顔の対称性と肌のなめらかさで、女性の体型で重要なのはウエストのくびれだ。これを進化論的に説明すると、顔の対称性が崩れていたり、肌に湿疹や炎症ができているのは感染症の徴候で、ウエストのふくらんだ女性は妊娠の可能性がある。いずれも子孫を残すのに障害となるから、進化の過程のなかで健康な異性や妊娠していない女性を選好するプログラムが脳に組み込まれたのだ。多くの人はこうした説明を不愉快に思うに違いない。だがこれは、現在では科学(進化生物学や進化心理学)の標準的な理論で、実験や観察結果による膨大な証拠が積み上げられている。もっとも現代人の美の選好がすべて進化で説明できるわけではなく、ヒトと大半の遺伝子を共有するチンパンジーやボノボのオスは、若い”処女”よりも出産経験のある年長のメスに魅力を感じる。貴重な食料とセックスを交換するのなら、健康な子どもを産む能力を証明している相手のほうが”投資効率”が高いわけで、確かにこのほうが進化論的に合理的だ。

・20代女性の平均年収を300万円とすると、美人は毎年24万円のプレミアムを受け取り、不美人は12万円のペナルティを支払う。こう考えると、思ったより「格差」は小さいと感じるのではないだろうか。世間一般では、美人とブスでは天国と地獄ほどの違いがあると思われているのだから。ただしこの計算も、一生で考えるとかなり印象が変わってくる。大卒サラリーマンの生涯賃金は退職金を含め約3億円とされているから、美人は生涯に2400万円得し、不美人は1200万円も損して、美貌格差は3600万円にもなるのだ。

・さらに身も蓋もないことに、美貌と幸福の関係も調べられている。そして予想通り、美人はよい伴侶を見つけて豊かで幸福な人生を手に入れ、不美人はブサイクな男性と結婚して貧しく不幸な人生を送ることが多いという結果が出ている。だが幸いなことに(?)この差も一般に思われているほど大きくはなく、上位3分の1の容姿に入る人が自分の人生に満足している割合は55%(すなわち45%は不満に思っている)で、下から6分の1の容姿でも45%が自分の人生に満足している。この結果を肯定的にとらえれば、美形でも半分近くは不幸になり、ブサイクでも半分近くは幸福になれるのだ。この美貌格差が、男性よりも女性にとって大きな心理的圧迫になっていることは明らかだ。これは男性が女性の若さや外見、すなわち生殖能力に魅力を感じるかで、これによって女性は熾烈な「美」の競争へと駆り立てられる。それに対して女性は、男性の外見以外にも、社会的な地位や権力、資産に魅力を感じる。これはブサイクな男性も、努力によってそのハンディを乗り越えられるということだ。その結果、女性だけが美しさの呪縛に苦しむことになる。

・ウィスコンシン大学のチームは、フォーチュン500の企業の男性CEO55人の写真を調べてみた。すると、顔の長さに対して幅の広いCEOのほうが会社の収益が高いことがわかった。母親の胎内で高濃度のテストステロンに曝された男性は顔の幅が広くなる。こうした男性は成人後もテストステロン値が高く、攻撃的・暴力的な傾向が強い。これは別のいいかたをすれば、冒険心に富み、競争で勝つことに執着するリーダータイプのことだ。このことから、経営者の顔と会社の業績の相関には以下の2つの可能性が考えられる。ひとつは、生まれつきテストステロン値が高く、同時に家庭環境や知能に恵まれた男性は、刺激を求めて犯罪や暴力に走るのではなく、自身の才能を政治やビジネスの競争に勝つことに使おうとする、ということだ。一方、同じように高い知性を持っていてもテストステロン値が低い(顔の細長い)男性は「勝つ」ことへの執念が欠けていて、そのため出世競争で脱落してしまうし、仮にCEOになれたとしても会社の業績を向上させることができない。もうひとつの可能性は、私たち(部下や取引先、消費者など)がテストステロン値の高い男性を無意識のうちにリーダーと見なすことだ。顔の幅が広く精力的な男性は攻撃的・暴力的に見えるから、人々は恐怖や畏怖の念を抱く。こうした男性と相対したときに自らの身を守る最善の方法は、膝下に額ずいて臣従を誓うことだろう。それに対して顔の細長いCEOは、高い地位についても人々からリーダーとして受け入れられないため経営に失敗してしまうのだ。テストステロンは年齢とともに減少していくが、その度合いは個人差が大きい。精力的な男性は高齢になってもテストステロン値が下がらず、ビジネスでも性生活でも現役のことが多い。またテストステロン値は、地位によっても変わることがわかっている。チンパンジーのテストステロン値を測ると、群のリーダーになると大きく上がり、リーダーから脱落すると急激に下がる。現役の時に活躍した人も、いったん引退すると急に老け込んで見えるのはこの効果のせいかもしれない。テストステロン値の高い男性は競争を好み、地位が上がるにつれてさらにテストステロン値が上がって魅力と恐ろしさが増すから、部下は無条件で指示に従うようになる。これはワンマン経営の創業者によく見られる特徴で、こうした独裁タイプのリーダーが冒険的で的確な経営判断をすれば会社の業績は大きく向上するだろう。ただし逆に、判断を間違えると誰も止めることができず、破滅へと突き進むことになってしまうのだが。その意味でこの興味深い実験には、顕著な「生き残りバイアス」がかかっている。フォーチュン500に載るのはどこも成功した会社だから、その中でテストステロン値の高いリーダーを捜せば、冒険がうまくいったのだからハイリスク・ハイリターンの法則によって安定経営の会社より収益性が高いのは当たり前なのだ。

・イギリスの生物学者ロビン・ベイカーは、平均すれば男性の10%は他人の子どもを自分の子どもと誤解して育てているという。だがこの数字は所得によって大きく異なり、最低所得層に限れば他人の子どもの比率は30%に跳ね上がり、最高所得層の男性では2%に激減する。この推計をそれがもし正しいとすればどのように考えればいいのだろうか。高所得の男性と結婚した妻が、夫をだまそうとはあまり思わない理由は明らかだ。彼女にとっても、夫よりすぐれた遺伝子を持つ若くて健康で美貌で長身の男性は魅力的だろうが、血のつながらない子どもがいるという欺瞞が発覚したときに失うものがあまりにも大きいので、リスキーな性戦略を採用しようとは思わない。このことは逆に、最低所得層の家庭に夫と血のつながらない子どもが多い理由も説明している。夫の稼ぎが少なければそれを失ったときのコストも小さいから、妻にとってはギャンブルをするハードルが低くなるのだ。

・アドシェイドは、女性の高学歴化が低学歴の女性の性戦略をきわめて困難なものにしているという。高学歴で高所得の女性は、自分の釣り合った高学歴で高所得の男性とカップルになろうとする。男性は一般に、女性に若さや美貌を求めることが多いが、それでも低学歴の女性が高学歴の女性との競争に勝ち残るにはかなりの資質を持っていなければならない。高学歴の男性も女性ほどではないとしても高学歴の相手と家庭をつくる傾向があるためで、一時のロマンスなら若さと美貌で十分だろうが、長期の関係を考慮すると、趣味や嗜好、家庭環境がまったくちがう相手はやはり億劫なのだ。こうして高学歴の男性と高学歴の女性が結婚し子どもをつくると、グローバル資本主義の陰謀などなくてもごく自然に社会の経済格差は拡大していくだろう。次に問題なのは、いまやかなりの比率の男性が学歴社会か脱落しつつあり、高学歴の女性の恋愛市場が過当競争になっていることだ。あぶれた女性は「恋人なし」になるか、低学歴の男性から自分の好みに合う相手を見つけるほかはない。こうして低学歴の女性は、高学歴の男性の奪い合いだけでなく、低学歴の男性との恋愛市場でも不利な立場に置かれることになる。そしてこれが、アメリカの黒人女性の半分が独身かシングルマザーになる理由だ。黒人女性の第一の苦境は、彼女たちの57%が大学に進学しているのに対し、黒人男性では48%しかいないことだ。需給において高学歴の黒人男性が少なすぎる。第二の苦境は、黒人女性の大半が黒人男性のボーイフレエンドを求めている(既婚黒人女性の96%が黒人男性と結婚している)のに対し、黒人男性はつき合う女性の人種にはさほどこだわらないことだ。黒人女性は、数少ない高学歴の黒人男性をめぐって白人やヒスパニック、アジア系などすべての高学歴女性と競争しなくてはならない。第三の苦境は黒人男性の収監率が際だって高いことだ。高学歴の黒人男性をあきらめたとしても、低学歴の黒人男性は刑務所に入っていて絶対数が少なく、そこでも激しい競争にさらされる。そのうえ、この競争に勝ち抜いて結婚・出産しても、夫が刑務所に行く可能性も高い。ここまで悪条件がそろっていれば、黒人女性の多くが満足するパートナーを獲得できずに独身を通したり、離婚してシングルマザーになるのも当然だ。黒人女性はひとつの典型で、高学歴の男性が稀少となりつつある現代の知識社会では、低学歴の女性は人種に関わらずきわめて不利な状況に置かれている。その結果、母子家庭が増えたり、独身で低所得のまま老年を迎える女性が増えると経済格差はますます広がり、社会は不安定化するだろう。これはとても難しい問題だが、経済学的には、こうした状況を大きく改善する方法がひとつだけあるとアドシェイドはいう。それは一夫多妻制の導入だ。格差社会の頂点にいる富豪たちが多くの妻を持てるようになれば恋愛・結婚市場の過当競争が緩和され、婚活ヒエラルキーの下層で苦しんでいる女性たちにもパートナーを獲得するチャンスが広がるだろう。一夫多妻は女性の人権を蹂躙する前近代的な許しがたい制度だとされているが、「勝ち組」の男性が多くの女性を獲得することで損をするのは「負け組」の男性で、女性の厚生は全体として向上するはずなのだ。もっとも、この「改革案」が実現する可能性はほとんどないだろうが。

・霊長類のなかで、発情期に関わらず交尾し、性行為をコミュニケーションの道具に使うのはヒトとボノボだけだ。そのボノボは、一夫一妻制のテナガザルや一夫多妻制のゴリラより進化的にはヒトに近い。だとしたらなぜ、ヒトの性行動を考えるときにボノボを基準にしないのか。そして彼らはこう宣言する。「ヒトの本性は一夫一妻制や一夫多妻制ではなく、ボノボと同じ乱婚である。

・人類の歴史のうち200万年は狩猟採集の旧石器時代で、ヒトの本性はこの長い期間に進化した。それに対して農耕が始まったのは1万年ほど前で、歴史にいたっては2000年程度しか遡れない。だが私たちは、無意識のうちに農耕社会や歴史時代を基準に「人間」を理解しようとする。先史時代の人々がどのように暮らしていたかを正確に知る方法がないからだが、だからといって200万年のうちの1万年や2000年だけを取り出して人間の本性を論じても意味がない。文化人類学は確かに多くの伝統的社会を調査したが、これは旧石器時代とはまったく違う社会だ。旧石器時代の人々は、血縁関係を中心にした50人から100人程度の集団を作って平地を移動しながら狩猟採集生活を送っていた。現在の伝統的社会は、農耕に適した土地を奪われた後に島や密林などの僻地に取り残された人々で、移動の自由を失って定住する以外になくなった。旧石器時代には広大なアフリカとユーラシア大陸にせいぜい数百万人(大半の期間は数十万人)が分散していたのだから、現代の伝統的社会から彼らの生活を想像することはできないのだ。

・ライアンとジェタは、旧石器時代の人類は集団内の女性を男たちで共有するボノボのような乱婚だったと考える。彼らは別の部族と出会うと女たちを交換し、新しく集団に迎え入れられた女は乱交によって歓迎される。旧石器時代の環境を考えればそのほうが進化論的に合理的だからだ。歴史上、戦争の理由のほとんどは土地をめぐる争いだが、これは農耕社会の成立以降の話で、狩猟生活のための土地がいくらでもあるのなら限られた資源を巡って殺し合う必要などまったくない。そうなると戦争の原因は女の奪い合いしかないが、乱婚であれば、むしろ周辺の部族は集団に新しい血を提供してくれる貴重な存在なのだ。また乱婚では、男たちは女をめぐって集団内で競争する必要もない。だったら、女が子育てのために男の庇護を求めるという話はどうなるのだろうか。だが考えてみると、死亡率の高い旧石器時代では、これは女性の最適戦略とはいいがたい。事故や病気で夫が死んでしまえば(これは日常的に起きたことだろう)、保護を失った母子は生きていくことができなくなってしまうからだ。だとしたら、乱婚によって子どもの父親をわからなくさせ、複数の「父親候補」を子育てに協力させたほうがいい。これによって父親の一人が死んでも、残りの父親からの援助を期待できるから、一夫一妻制よりもずっとリスク分散できるのだ。それでは、男たちはどこで競争するのか。それは女性器(ヴァギナ)の中だ。ヒトの本性が乱婚だというきわめて説得力のある証拠のひとつが男性器の構造だ。ヒトのペニスは乱婚のチンパンジーがボノボよりも長く、太く、先端にエラがついている。これまでの通説では、ペニスがこのような特徴的な形状を持つようになった理由をうまく説明できなかった。だがヒトのペニスの機能は、かんたんな実験で明らかになった。ペニスと同じかたちをしたものをゴムの管の中で激しく動かすと、管の中に真空状態が生じ、内部の液体が吸い出されるのだ。男性のペニスと性行動は、その特徴的な形とピストン運動によって、膣内に溜まっていた他の男の精液を除去し、その空隙に自分の精子を放出して真っ先に子宮に到達できるよう最適化されているのだ。

・乱婚社会においては、男たちは集団内でも女をめぐって暴力的に争うのではなく、膣内で「精子競争」している。ボノボを見ればわかるように、こうした婚姻形態は集団の平和を保つのにものすごくうまく機能する。一方、乱婚社会における女性の性戦略は、多くの男と性交渉して、もっとも優秀な男の精子が勝って受胎するのを期待するというものだ。幼なじみに性的魅力を感じないのがウェスターマーク効果で、ボノボやチンパンジーでも、ヒトでも、これは遺伝的に不利な近親交配を避ける進化の仕組みだ。一般には、自分と異なるタイプの遺伝子のほうが感染症などに強い子どもが生まれるから、メスは集団内のオスよりも「よそもの」に強く魅かれるようになる。ボノボのメスは思春期になると「冒険的」になって母集団から離れて別の群れに加わるが、旧石器時代の女性たちも同じように、自らの意思で集団間を移動していたのかもしれない。生まれた子どもは集団内の(高齢者を含む)女集団の中で育てられ、男集団は狩りの成果を持って戻ってくる。こうした男女の役割分業は、現代でもアフリカやアジア南太平洋の伝統的社会で見られる。

・ヒトの本性が一夫一妻であれば、女性には性交の際に声をあげる”進化論的な”理由はない。先史時代のサバンナには獰猛な肉食獣がいたのだから、声によって自分の居場所を知らせるのは極めて危険だったはずだ。誰でも知っているように、男と女のオルガスムは極めて対照的だ。男は挿入後の何回かのピストン運動でたちまち射精し、いったん射精すると性的欲望は消えてしまう。それに対して女の性的快感は時間とともに高まり、繰り返しオルガスムに達する。この違いをこれまでの進化論はうまく説明することができなかったが、ライアンとジェタは乱婚説で鮮やかに謎を解いてみせる。男性が短時間でオルガスムに到達するのは、女性が大きな声をあげる性交が危険だからだ。旧石器時代の男にとっては、素早く射精することが進化の適応だった。それに対して女性には、大きな声をあげることに、身の危険を上回るメリットがあったはずだ。それは、他の男たちを興奮させて呼び寄せることだ。これによって旧石器時代の女性は、一度に複数の男と効率的に性交し、多数の精子を膣内で競争させることができた。そのためには、よがり声だけでなく、連続的なオルガスムが進化の適応になるに違いない。

・江戸時代まえの日本の農村には若衆宿のような若者たちの共同体(コミューン)があり、夜這いによる性の手ほどきや祭りの乱交が広く認められていた。こうした風習を持つ社会はアジアだkでんく世界中で見られるが、それが隠蔽されたのは近代化によってユダヤ・キリスト教由来の硬直的な性文化が支配的になったからだ。少し注意してあたりを見回せば、私たちのまわりには「乱婚」の痕跡がたくさん残っている。ライアンとジェタはその一例として、中国の少数民族モソ族を挙げる。モソ族は母系制の農耕社会で、女の子が13歳か14歳になると自分の寝室を持つようになる。中庭に面した寝室には表通りに通じる専用の扉がついていて、男はそこから娘の部屋に迎え入れられる。彼らのルールは、誰と夜を共にするかが娘の選択に任されていることと、迎え入れられた男は夜明けまでに去らなければならないことだ。子どもができた場合、実の父親は責任をとる必要はなく、母親の家で育てられる。ただし兄弟も家事を手伝うから、男たちも間接的に子育てのコストを支払っているのだ。

・ライアンとジェタの「乱婚」説が正しいとすると、進化心理学のこれまでの通説は大きく書き換えられることになる。男と女の性戦略は対立などしていない。男の本性が乱婚なら、女もまたそれに合わせて乱婚的に進化してきた。男女の不一致は進化論的な「運命」ではないのだ。男は女性獲得競争に勝つために暴力的になったわけでもない。乱婚の社会ではセックスはいつでも好きなときにできるのだから、争う理由などないのだ(競争は精子が代わりにやってくれる)。だが農耕が、「幸福な旧石器時代人」をエデンの園から追い払い、すべてを変えてしまった。狩猟採集社会では「所有」や「独占」は無意味だったが、農耕社会では、土地を奪われれば飢え死にするしかないし、穀物などの「富」を独占すればなんだって手に入る。この社会環境の激変によって、ヒトの性行動も旧石器時代とまったく変わってしまったのだ・・・。この新説は一部では話題になったものの、専門家の間でも検証が進んでいるとはいいがたい。

・胃潰瘍は遺伝的な影響が見られるものの、一卵性の類似度が二卵性よりも極端に高いわけではない。”遺伝病”と見なされるがんは、胃潰瘍と比べて双生児類似性がずっと低い。これは、がんを引き起こすのががん遺伝子だとしても、それが発現するかどうかは環境によることを示している。環境で発病が決まるなら、親族にがんが多い、いわゆるがん家系だとしても、食事や生活習慣に配慮することで予防は可能だ。今後、双生児研究がさらに進展すれば、「がんにならない生活」がどのようなものかわかってくるかもしれない。このように行動遺伝学は、私たちの生活の改善に大きな可能性を秘めている。

・家庭が子どもの性格や社会的態度、性役割に与える影響は皆無で、認知能力や才能ではかろうじて言語(親の母語)を教えることができるだけ。それ以外の親の影響が見られるのはアルコール依存症と喫煙のみだ。学習能力はもちろんとして、「男らしく(女らしく)しなさい」というしつけの基本ですら、親は子どもの人格形成になんの影響も与えられないというのは、ものすごく理不尽な話に違いない。だが子育ての経験がある人ならば、どこかで納得しているのではないだろうか。なぜなら、子どもは親の思い通りに全然育たないのだから。行動遺伝学の膨大なデータは次のように告げている。「私は、遺伝と非共有環境によって「私」になる。」

・現代の進化論では、私たちの心(意識や行動)は進化適応環境(EEA)に最適化されていると考える。これは遺伝的な変異が極めてゆっくりとしか起こらないためで、現代人の遺伝子は旧石器時代の人類とほとんど変わらない。そう考えれば、私たちは遺伝的に200万年以上続いた旧石器時代の環境に最適化されているはずだ。子育ての大切さが強調されるようになったのは、核家族化が進み、教育が将来の成功を左右するようになった近代以降だ。それ以前の子どもたちは大家族で育ち、親は教育のことなど気にかけていなかった。ハリスは子育て神話を、「科学的根拠のないイデオロギー」として退ける。赤ちゃんは、旧石器時代の進化適応環境を生き延びるための戦略プログラムを持って生まれてくる。両親と子どもだけの核家族で育ち、幼稚園・保育園で幼児教育を受け、小中高校から大学まで勉強し続けるよう作られているわけではないのだ。ヒトが他のほ乳類と大きく異なるのは、無力な乳児期が極めて長いことだ。生後少なくとも1年間は、母親が集中的に養育し、授乳しないと死んでしまう。そうなると母親は、次の子どもを得るまでにまた10ヶ月の妊娠期間を必要とする。母親は出産までに大きなコストを支払っている(投資をしている)から、生まれた子どもをできるだけ大切に育てようとする。進化論的にいえば、これが母親が子どもに強い愛情を抱く理由だ。しかしその一方で、その子どもには兄や姉がおり、授乳期間が終わればまた妊娠できるから、兄弟姉妹の1人にだけ手間をかけるわけにはいかない。母親の進化論的な最適戦略は、できるだけ多く子どもを産み、成人させていくことだ。旧石器時代は(というより近代以前は)乳幼児の死亡率が極めて高かったから、1人か2人の子どもにすべての子育て資源を投入する核家族型の戦略はあり得なかった。日本でも戦前までは、兄弟姉妹が10人近くいるのが珍しくなかったのだ。進化適応環境においては、授乳期を終えた子どもは集落の一角で、兄姉やいとこたちと一緒に長い時間を過ごしていたはずだ。こうした状況を現代の移民の子どもたちに置き換えてみれば、なぜ彼らが母語を忘れてしまうかを明快に説明できる。両親は、母語を話そうが話すまいが、食事や寝る場所など最低限の生活環境を提供してくれる。子どもにとって死活的に重要なのは、親との会話ではなく、(自分の面倒を見てくれるはずの)年上の子どもたちとのコミュニケーションだ。ほとんどの場合、両親の言葉と子どもたちの言葉は同一だから問題は起きないが、移民のような特殊な環境では家庭の内と外で言葉が異なるという事態が生じる。そのとき移民の子どもは、なんの躊躇もなく、生き延びるために、親の言葉を捨てて子ども集団の言葉を選択するのだ。

・ヒトは社会的な生き物で、群れから排除されてしまえば生きていく術がない。古今東西、どんな社会でも「村八分」は死罪や流刑に次ぐ重罰とされた。これは子どもも同じで、「友だちの世界」から追放されることを極端に恐れる。勉強だけでなく、遊びでもファッションでも、子ども集団のルールが家庭でのしつけと衝突した場合、子どもが親のいうことをきくことは絶対にない。どんな親もこのことは苦い経験として知っているだろうが、ハリスによって始めてその理由があきらかになった。子どもが親に反抗するのは、そうしなければ仲間はずれにされ、「死んで」しまうからなのだ。親よりも「友だちの世界」のルールを優先することが子どもの本性だとすれば、「子どもはなぜ親のいうことを聞かないのか」という疑問にはなんの意味もない。逆に不思議なのは、宗教や味覚のように「親のいうことを聞く」ものが残っていることだ。これについてハリスは、「親が影響力を行使できる分野が、友だち関係のなかで興味の対象外になっているものだけだ」と考えた。特殊な場合を除いて、子どもたちは友だちの親の宗教に関心を持たない。同様に豚肉やニンジンを食べないとしても、それだけで仲間はずれにされることもない。グループの「掟」は、食べ物の好き嫌いとは無関係なのだ。

・1998年、ハリスは満を持して「子育ての大誤解」を出版した。この本を書くようにハリスを後押ししたのは著名な進化心理学者・言語学者のスティーブン・ピンカーで、彼の推薦もあって同書は書評などで大きく取り上げられ、高い評価を得た。その後ハリスはアメリカ心理学会賞を授与され、研究者としての「名誉」を回復することになる。その賞は、かつてハリスを”研究者失格”と見なしたハーバード大学心理学部長ジョージ・ミラーの名を冠したものだった

・小さな子どものいる親は、「子育ては子どもの人格形成にほとんど影響を与えない」というハリスの集団社会化論を受け入れ難いかもしれない。だが自分の子ども時代を振り返れば、親の説教より友だちとの約束のほうがずっと大事だったことを思い出すのではないだろうか。このことをわかりやすく示すために、ハリスは乳児期に離ればなれになった一卵性双生児の姉妹を例に挙げる。2人の遺伝子はまったく同じだが、成年になったとき、1人はプロのピアニストになり、もう1人は音符すら読めなかった。養母の1人は家でピアノ教室を開いている音楽教師で、もう一方の親は音楽とはまったく縁がなかった。当たり前の話だと思うだろう。ところが、子どもをピアニストに育てたのは音楽のことなどなにも知らない親で、音符すら読めないのはピアノ教師の娘だった。2人は一卵性双生児で、1人がプロのピアニストになったのだから、どちらも極めて高い音楽的才能を親から受け継いでいたことは間違いない。家庭環境や子育てが子どもの将来を決めるのなら、なぜこんな奇妙なことが起きるのだろう。ハリスによれば、子どもは自分のキャラ(役割)を子ども集団の中で選択する。音楽とはまったく縁のない環境で育った子どもは、なにかのきっかけ(幼稚園にあったオルガンをたまたま弾いたとか)で自分に他人と違う才能があることに気づく。彼女が子ども集団のなかで自分を目立たせようと思えば、(無意識のうちに)その利点を最大限に活かそうとするだろう。音楽によって彼女はみんなから注目され、その報酬によってますあす音楽が好きになる。それに対して音楽教師の娘は、まわりにいるのは音楽関係者の子どもたちばかりだから、少しくらいピアノがうまくても誰も驚いてくれない。メイクやファッションのほうがずっと目立てるのなら、音楽に興味をもつ理由などどこにもないのだ。ハリスの集団社会化論では、子どもは友だちとの関係の中で自分の性格(キャラ)を決めていく。どんな集団でも必ずリーダーや道化役がいるが、2人のリーダー(道化)が共存することはない。キャラがかぶれば、どちらかが譲るしかない。このようにして、まったく同じ遺伝子を持っていても、集団内でのキャラが異なれば違う性格が生まれ、異なる人生を歩むことになるのだ。

・「ウィリアムのおかれた状況は、母親には育てられたが仲間とのつきあいがないままに成長したサルの状況と似ている」と述べている。仲間が不在のまま育ったサルは、明らかに異常行動が目立った。同様に英才教育を受けた神童も、幼少期に友だち関係から切り離されたことで自己をうまく形成することができず、大人になると社会に適応できなくなり、せっかくの高い知能を活かすことなく凡庸な人生を終えてしまうのだ。それでは、親が子どもに対してしてやれることはなんだろう?それに対するハリスの答えは極めてシンプルだ。「親は無力だ」というのは間違いだ。なぜなら、親が与える環境(友だち関係)が子どもの人生に決定的な影響を及ぼすのだから。白人と黒人の生徒が混在する学校に通う黒人の子どもは、「勉強するような奴は仲間じゃない」という強い同調圧力をかけられている。仲間はずれにされたくなければ、意図的に良い点数を取らず、ギャングスターの振る舞い方を身につけなければならない。同様に男女共学の学校に通う女子生徒は、「数学や物理ができる女はかわいくない」という無言の圧力を加えられている。「バカでかわいい女」でなければ友だちグループに加えてもらえないなら、好きな数学の勉強もさっさと止めてしまうだろう。このように考えれば、親のいちばんの役割は、子どもの持っている才能の芽を摘まないような環境を与えることだとハリスはいう。知的能力を伸ばすなら、よい成績を取ることがいじめの理由にならない学校(友だち集団)を選ぶべきだ。女性の政治家や科学者に女子校出身者が多いのは、共学と違って学校内で「バカでかわいい女」を演じる必要がないからだ(必要なら、デートのときだけ男の子の前でその振りをすればいい)。同様に芸術的才能を伸ばしたいなら、風変わりでも笑いものにされたり、仲間はずれにされたりしない環境が必要だろう。だが有名校に子どもを入れたとしても、そこでどのような友だち関係を選び、どのような役割を演じるかに親が介入することはできない。子どもは無意識のうちに、自分の遺伝的な特性を最大限に活かして目立とうとするだろうが、それは多分に偶然に左右されるのだ。もちろんこれは、「子育ては無意味だ」ということではない。人生とは、もともとそういうものなのだから。

良かった本まとめ(2016年下半期)

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